Against human:恋し紅色に染まった蝶 影の女神を殺すため戦場を飛ぶ

『彼女は恋をして、その恋のために命をかけてでも戦う』
戸﨑享
戸﨑享

38 奨と春と莉愛先生(中)

公開日時: 2021年1月15日(金) 00:23
文字数:3,668

「ちょっとあなた! 何、莉愛先生を悲しませているのよ」


「……それは気が付かなかった。申し訳ない。今度から話さないように避けるよ」


「はい? ……なんでそうなるのよ!」


春はものすごく怒った顔で迫ってくる。いままで喧嘩どころかちょっとした言い合いもしたことはなく仲良くやっていたつもりだけあって、奨はその時ものすごく困惑した。


春が許せないことはいくつかあった。本人は物事をスパッと言うタイプだったらしく、春が何が気に入らないのかを奨はすぐに把握した。


莉愛先生は奨にもっと未来の夢を持って生きてほしいの願っているが、奨が全くの真逆だということ。そしてもう1つとして、もっと自分やみんなと仲良くしてほしいと思っていること。


しかし、当時の奨には今の自分の何がいけないのかが本気で分からなかった。


莉愛先生を悲しませたくなければ自分から避ければもう自分の不愉快な顔を見る必要はないだろうし、これでも他の子とは仲良くしていたつもりだった。文句も言われていないし喧嘩もしていない。


そのように反論したら、そういうことじゃない、と真っ向から反論が返ってくる。


「奨、楽しそうじゃないんだもん。私たちは一緒にいて楽しいけど、奨はいつも愛想笑いばっかり」


「そうか?」


春は奨の表情を見て不機嫌そうに頬を膨らませる。


「いっつもそう! なんか奨ってロボットみたいなの! 都会にあるアレみたいなの! そうやって愛想よくして、私たちには全然自分のこと見せようとしない!」


「……そんなことをいわれても困る」


奨に自覚はないが、本人は知る由もなかったが、当時の彼には表現すべき個性はあまりにも希薄だった。


何かを欲する欲望もない、将来への希望もない、好き嫌いはないし、そもそも食事や睡眠等も、生物的に必要な行為でそれ以上でもそれ以下でもないという認識だった。食べるなと言われれば食べないし、寝るなと言われれば寝ないよう努力する。


「もっとやりたいことがあれば言いなさいよ!」


「特に。強いて言うなら、みんなの役に立てればそれで幸せだ」


「嫌なことがあれば言いなさいよ!」


「それも特にない。俺はみんなのなかで一番新入りだから、遠慮は俺がすべきだ」


「そうじゃないのー! 奨はもっとみんなになんでも言っていいの!」


「え……?」


春はどんどんと奨に、いろいろと言葉を浴びせる。その内容は徐々にただの罵詈雑言になっていく。


しかし、奨はそれを微笑みながら聞き入れ、嫌そうな顔も、悔しそうな顔も、悲しそうな顔もしなかった。


ただ一言。


「俺のためにそんなに言ってくれてありがとうな」


これで春の堪忍袋の緒は切れ、それどころかその袋が木っ端みじんになる。


そして春はとんでもないことを言い始めたのだ。


「あなた、明日から私のものになりなさい!」


「は?」


「これからは私についてきなさい! 莉愛先生を悲しませるお前みたいなやつ、私がさいきょーいくしてやるんだから!」


そんな流れで、春は次の日から付きまとってくるようになったのである。


春は次の日に、奨をぎゃふんと言わせることを宣言。他の子どもは大いなる困惑を覚えることになる。


莉愛は自分を気遣って奨の面倒を見るのかと問うと、元々そのつもりだった春もいつしか目的と手段が逆転していて、違うと答えてしまう。結果的に面倒を見ている妹のような春に気を遣われているわけではないと分かり安心した。


それからというものの、春はことあるごとに奨に話しかけてきた。






「奨、てつだってー」


「いいよ。今から」


「ちょっと、そっちの仕事やってるでしょ! 断りなさいよ!」


「俺のなんて後でやれば済む」


「だめー! そういうのがだめなの! 嫌だと思ったときはちゃんと嫌って言って」


「嫌じゃない」


「もう!」






「奨、肩もんでー」


「いいよ」


「な……私にパシリにされて悔しくないの? ウザいとか思わないの!」


「思わない。君が良く思ってくれるなら」


「ちがーう! 嫌ってときは嫌って言いなさいよー!」


「嫌じゃないって」


「むかつくーとか」


「君が喜んでくれるならそれでいいんだ」


「もう!」






春が行ったのは、奨の再教育と表現するのにぴったりの言葉だった。


春は元々子供たちのまとめ役、リーダー的存在で他の子どもたちの面倒を見る莉愛を良く補佐していた。


莉愛は春にとって憧れの存在であり、いつかはああなりたいと豪語するほどに莉愛を莉愛を慕っている。それ故に、莉愛が不安に思う奨を変えて心配を減らすのも自分の仕事だと春は考えていた。


春は奨が気に入らないことを言うたびに怒っている。


自分から理不尽な要求を突き付けてはそれに従うと怒りだし、奨はぼっと一人でいる時は無理やり呼んで、無理やり仲間内に入れて一緒に遊んだり、おしゃべりしたりを強要。そして奨が黙ったり、少しでも仲間に対して気を遣うことを言ったら頬を引っ張る。その他、奨は命令に従って怒られるという理不尽を続けられた。


さすがに莉愛も春の横暴さに腹を立てることは何回かあり、そのたびに母親に激怒された子供のように涙を流していたが、それでも奨に、嫌なことは嫌と言わせるために、自分の思いや感情を自分の中で消さないようにするために諦めはしなかった。


「……ぜったい、もっとアイツをいい子にするんだもん。莉愛先生が喜ぶから」


そんな春の熱心な様子を見て、莉愛も奨の心のケアをより熱心にやるようになった。


春の働きは意外と効果があったようで、少しずつほんの少し、微笑む以外の表情や、言われたことに対する反応以外の言葉を話すようになると、本当に些末な変化を見逃さずにそれを拾ってあげるようになった。


その分、莉愛の子供たちへ費やす時間は増え、苦労も増えてしまったが、それでも莉愛は、奨が変わってきたこと、少しずつ年相応の表情を見せ始めた変化を楽しみながら、手間を惜しまなかった。




「奨くん。どう? 今日の料理」


「おいしいです。先生」


「……キノコ、苦手?」


「そんなこと……」


横から春の鋭い視線が奨に突き刺さる。効果はない。


「ありませんよ」


「そんなことはないでしょう。噛んだ瞬間、顔にしわが」


「莉愛先生の料理は美味しいよ。俺がもしそんな顔になってたなら、ごめ」


「謝ったらだめ。ご飯の時はみんなで楽しくよ? 食卓はみんなで正直になれる場所じゃないとね?」


「……エノキは、苦手、だな」


「ふふ。今、いい顔だったね」




春と莉愛の積極的な介入のおかげで、他の皆も徐々に奨を見る目が代わっていった。最近はなんだか接しやすくなったと。


そして、奨の更生作戦の成果が見られる出来事が起こる。


ある日、同居していた男の子の一人、フラムが出かけていた。そして返ってきた彼はいじめにあったのか酷い見た目になっていた。


フラムは元々、ハーフの子で母親が北米の生まれで、倭の国の一般的な子供と少し雰囲気が違っていた。


莉愛のところでは気にする子供はいなかったが、他の団員が面倒を見ている子供たちはそうはいかないようで、たびたびフラムはいじめの対象になっていたのだ。


最初に一緒にいた奨と春が彼の姿を目撃して話を聞く。すると、奨は顔には出さなかったものの、唐突に家の外に走り出した。


春はあまりに急なことでどうすればいいか分からず、家で夜ご飯をつくっていた莉愛に相談する。莉愛はため息をつき、けがをしていたフラムに手当を施した。


しかし、その時はさすがに莉愛も、春も思わなかっただろう。まさか怪我人がもう1人増えるとは。


夜ご飯の時間になっても奨だけは帰ってこなかった。これは初めてのことで莉愛も春も心配になり、外に出る。


すると、傭兵団の副団長と共に、奨がいくつも痣や傷をつくって帰ってきたのだ。


「こいつが、ウチの悪ガキと喧嘩してたぞ。……私も驚いた。こいつ、ガキのくせに2歳も年上の家で預かってるところのガキに殴りかかって、喧嘩してやがったんだ」


「え……?」


「莉愛もその顔か……。やっぱただごとじゃなかったんだな。でも喧嘩はだめだ」


そのとき、奨が見せた表情に、莉愛と春は心が揺さぶられた。


奨は怒った顔で、

「うるせえよ! あいつらがフラムをいじめたんだ。なのになんで俺から殴ったらダメなんだ! やられたらやり返して当然だ! そうしないとあいつらは許せない!」

叫んだのだ。


それは1年以上共に同じ家で過ごした中で、莉愛が初めて見た奨の激情だった。


結局奨はいじめの犯人である年上の保護児童たちに一泡も吹かせられなかったらしく、その時奨は莉愛に叱られる際に言ったという。


「莉愛先生、俺を強くしてくれ」


「え?」


「先生ずっと言ってたじゃないか。未来に夢を持とうって。俺、夢ができた。俺は莉愛先生も、ここにいるみんなも好きだ。だから俺は先生みたいに強い傭兵になる!」


「奨君……それは……」


莉愛は一瞬躊躇ったものの、もしここで奨を拒めばまた以前のように戻ってしまうかもしれない。そう思い、本当は咎めたい奨の夢をそこで認めてしまった。


「……分かった。私が奨君を鍛えてあげる。その代わり、今まで見たいに優しくはできないよ?」


奨は強く頷いた。それを近くで見ていた春は、莉愛の嬉しそうな顔を見て、とっても喜んでいた。


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