Against human:恋し紅色に染まった蝶 影の女神を殺すため戦場を飛ぶ

『彼女は恋をして、その恋のために命をかけてでも戦う』
戸﨑享
戸﨑享

16 初期研修(後)

公開日時: 2020年12月9日(水) 00:57
文字数:2,497

「上手く極めればいい稼ぎになるし人脈も広がる。それに美味いものを食えば、やっぱり体が、心が喜ぶんだ」


朝ご飯を食べたときに味わった満足感は、人生の中で数える程度しかないほどの満足感を得たのを思い出す。


「誰かと大事な話をするときも会談の場に出せば場を和やかにして話を進めやすくなるし、腕が良ければそれだけで家政婦やメイド、料理人として金を稼ぐのには困らない」


「でも、難しいのでは」


「難しいな、腕を上げたければ一生修業するつもりでいるべきだ。でも、できないならできなかったで、別に構わないんだよ。何事もやってみることが大切だ。将来のために努力を惜しまなければ、その努力は意外とどこかで何かの役に立つもんだ」


どこかで何かの役に立つ、何一つ具体性のない言葉だったが、明奈はその言葉をすんなり受け入れた。発言者の奨が今の言葉に万全の自信を伴っている様子が見えたからだ。


主がそう言うのなら、という妥協ではなく、明奈は奨をそこまで言わせるのならという興味で、料理の訓練が少し楽しみになる。


一方明人から提案されたのは、デバイスやテイルについての学習と高度な思考訓練だった。


一般常識レベルではなくデバイスエンジニアを目指すため、専門学校や大学で学ぶ内容と同レベルの専門知識を身に着けるプランだ。


「どうかな?」


奨は明奈に尋ねる。当然明奈に反対はない。


むしろ明奈はとても嬉しかった。戦う術も、料理も、デバイスについての専門的な教育も受けたことがなかった。これほどまで新しいことを学べる自分は、ここに来て幸運だと思った。


明奈には、2人の先輩が自身のことを気にかける気持ちが伝わっている。源家では、主に気を使っていただけることはとても素晴らしいことだと教えられてきた。


その理由を、明奈は今、少し掴んだ。こうして、2人の先輩が、彼らなりに自身のことを考えてくれたのに気づき、心が弾んでいるような感じがしているからだ。


しかし、一方で、ただでさえ教えを頂ける中で、そこから先の自分の価値を出すために、どのように主の役に立たなければならないのかを考えなければならない。


間違えると失望される、それがものすごいプレッシャーとしてのしかかる。


「難しい顔をしてるね」


明人に言われ、明奈は首を傾げる。自分ではそんなつもりはなかったが、実際にそうなっていたのだろう。不快な気持ちにさせてしまったのならば謝らなければならないと思った。


謝罪の言葉の前に、明人は言う。その言葉はまるで、明奈の心を見透かしたかのようなものだった。


「今はとにかく甘えていいよ。俺らだって好きでそうしている。……その、13歳で急に社会に放り投げられて、食っていけるのか不安な気持ちはよく分かるつもりだ」


奨が苦い思い出をよみがえらせているのか、奨がため息をつく。


「大変だったよなぁ。何度連中にさらわれそうになったり殺されそうになったか……」


「それより稼ぐのが大変だっただろ」


「まあな。カネがねえ、って前は結構ぼやいてたな」


「俺らは手探りでいろいろ手に入れて何とか生きてきたけど、ものすごい大変だったから、明奈にはそんな風になってほしくない。君が少しでも楽になるのなら、それで君が喜んでくれるのならそれでいいんだ。だからそう怯えるな」


怯えた顔。


そんな顔をしていたこと、明奈には自覚がなかった。それで主を不快にしてしまっていたのならば、それは本当に失礼だと、明奈は思った。


言う通りにしようと、今はこの人たちを信じようと、明奈は自分に言い聞かせる。


役に立とうという気持ちは今でも強く存在する。それでも、この2人に迷惑が掛かるのならば、良くないことだと考えた。まだ出会ってから24時間経っていないものの、先輩2人が良い人だというのを明奈は感じている。


そんな人たちが辛いということは彼女も望むところではない。源家での教育どうこうではなく、自分がそう思うから。


明奈には、自覚があった。少しずつ、この先輩達に、主と従者という関係以上の興味を持ち始めていることに。


「分かりました、その、よろしくお願いします」


明奈は二人に頭を下げた。


これから先、教えを頂くことにより、何か、新しいものが見つかるような予感を、今の明奈は持っていた。







源家の本土の入り口は駅。ここは孤島であるが数世紀前にのように港や空港という建物は必要ない。


島は防衛上の観点から障壁に覆われ、出入りできるのは駅だけだ。駅と言う理由は、低空飛行で水上を走る列車でこの島に来るのが一般的な源家本土への行き方でであり、列車が止まるのは昔から駅という建物だと相場が決まっている。


駅では身分確認と、源家本土滞在証明書を貰うだけだ。


八十葉に近い傘下の家の本土でありながら、これほど簡単に入れるのは、そもそも荷物検査というもの自体が無意味だから。


現代では誰もが生活にデバイスを使うため、回収することはできないうえ、そのデバイスで、危険物をつくるのは容易だ。そもそも検査には何の意味もないのである。


駅を抜ければいよいよ源家本家がある島の観光都市部へと出られる。駅前からまっすぐ伸びる大通りには、島の街の主要な機関、病院や役所、図書館や税務署、迎賓館などの生活に欠かせない公共機関と、外部からの来賓をもてなす機関が並ぶ。


そしてその道がいつまでも続くわけではない。しばらく走ればその先に神社が見える。


『源流邸』と呼ばれる大きな社を中心として、広大な敷地の中に資料館を含めた立派な施設なのだが、実は、源家が所有している建物の1つであり、正式な神社というわけではない。


初代の源家当主が、本土を創立した時に、何か源家本家の象徴となるようなものが欲しいと、倭の各地に在る本物の神社を参考に立てた建物なのだ。


この地に住まう人々は神社と言ってしまっているのには目をつぶらなければならない。


「これを見るのも初めてなのか?」


「はい……本当に恥ずかしながら、その、私は島の反対側の地域から出たことがなくて。でも、すごいですね、こんなのが、この土地にあったなんて」


島の観光をしていた奨達は、その源流邸へと来ていた。


中心社の前の広場で、その建物を眺めているところである。

お金:倭における通貨の単位は円のままだが、硬貨やお札は使われておらず、12家がそれぞれ認可したプリペイド式のマネーカードで統一されている。この時代に銀行は基本的に存在しないため、財産は全てそのマネーカードに入っていると言っても過言ではない。なくさないようにしよう。

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