明奈;主人公。13歳の少女で源家の教育機関を卒業した新社会人。
太刀川 奨:明奈を買った主の1人。16歳の少年で、傭兵として各地を旅している
須藤 明人:奨の相棒で明奈のもう1人の主。こちらも16歳の少年で、奨よりはやや頼りない
源家の本家が存在する人工島は3つのエリアに分かれている。
人々が生活を営み、店や迎賓館があるのは招待客用に用意された都市エリア。1000年以上前、倭の国の観光地の一つとして数えられていた鎌倉という地を参考にして整地されているという話も頷ける街並みだ。
奨と明人は商店街の道を歩く。
宿を出て商店通りにさしかかる。奨と明人が目の前で朝飯を何にしようか話を続けていた。
お腹がすくという感覚は、人間特有のものだ。〈人〉は栄養摂取を必要としない以上、体が空腹を訴えることはない。しかし、舌を満足させる美味を求める欲求は〈人〉も持っていて、現代においても、料理というものは健在している。
源家本家のあるこの土地は朝早くから様々な店が開店している。本家の条例により夜8時以降は営業禁止である代わりに、朝は七時から開けて良いことになっている。特に食事処は朝メニューをそろえて、観光客の呼び込みを積極的に行っている。
「明奈は何がいい?」
「え……、その、先輩方のお好きなように」
難航する朝ご飯選び。奨が後ろを向き、明奈に質問を投げたものの、明奈は答えを返すことができない。
「やっぱり美味しいもの食わないとな。朝は和食がいいぜ。米を食うぞ、米」
「こ……め?」
今度は明奈が首を傾げる。明人はさすがに、米という言葉が分からないとは思ってなかったのか、明奈が疑問をもったことに驚きを隠せなかった。
「ご飯だよご飯。知らないのか?」
「米。高級食材ですよね……?」
「こうきゅうしょくざい?」
「私なんかが食べていいものでは」
「えぇ……もしかして食べたことない?」
明奈は迷いなく頷く。その頭の中で白いご飯がそどれくらい神格化されているのか、明人は予想できずにどう反応を返せばいいかすぐに判断できなかった。
「なら、定食屋に入ろう。明奈の成人祝いだ。ちょっと高めの物をたのもうか」
明人の提案に賛成し、再び歩き始める。
「あの、そんな」
明奈は、ご飯を食べたいとは言っていない。それを望んだのは明人であって、その話の流れをつくったのも明人だ。しかし奨が、明奈の成人祝い、という言葉を口にしたのが良くなかった。明奈がまるで自分のせいで2人の行動を制限してしまったかのような印象を受けてしまった。
明奈は、自分が生意気なことを言ってしまったかと思い、心臓をバクバク動かしている。
心配をかけまいと平然を装った顔を見せ頷きを返す明奈を見て、
「怖がる必要はないって、贅沢しても俺らがいいって言ったんだから」
明人が一言。
明奈は自分の真意が知られていないことにほっとしつつ、これからは一語一句、話す内容に気を付けようと心に誓う。
店員の例の挨拶を受けて、店の中に入る。和食をメインにするこの店はやはり、倭の国の古代からの伝統様式に倣った内装になっていた。
家族用の座敷席が空いていたので、そこに腰を下ろす。
「どれにしようか……」
奨は早速、メニューを手にして、少し笑みを浮かべながらリストを吟味し始める。
源家では健康で多少の無理がきく健康な体をつくるために与えられる栄養は質素で味気ないものを与えられ徹底管理されてきた。自分で食べるものを決めるという経験がなく、困っている。
「お先に決めてください……」
と言い、明人や奨と同じものにしよう、と、考えるくらいしかできない。
「あ、もしかして、こういうところにも行ったことないのか……?」
明人は明奈の今の心境をようやく察する。奨も明人の言葉を聞き、しまった、という様子で明奈に詫びを入れた。
「すまん。配慮が足りてなかったか」
「え」
突如として主に謝られ、明奈は再び混乱してしまう。明奈にとって『謝る』とは下の人間が上の人間へと非礼を詫びる時にするものであり、決して目上の人が自分たちにかけるべき言葉ではない。
他者から見れば、明奈はどんな反応をすればいいか怯えている表情だ。
「俺も孤児で面倒見てもらってた後、外に出た時はこんなにありふれたものだったとは驚いたものだよ。せっかく外に出たんだ。遠慮は許さないぞ。しっかり食ってけ」
明奈は従者としての自覚を強く持っていることは、これまでの言動ではっきりしている。故に奨は、最後をやや命令っぽく言うことで、彼女ができる限り余計なことを考えないように促した。
その効果は目に見えて表れる。
「は、はい!」
奨は、そして明人は今の反応を見て、最初の内は彼女にかける言葉を工夫することを決心した。
明奈がいろいろ食べられるように、と考えた奨が、定食ではなく大皿でおかずをいくつか頼み、三人分のご飯とみそ汁を持ってきてもらっていた。
「奨先輩が嬉しそう……?」
「あいつ、食事の時は上機嫌なんだよ」
「そうなんですか?」
「いつもは無愛想に見えるんだけど、何か食ってるときは、幸せそうなんだよな」
それを聞いた奨は、真っ向からその言葉にコメントを返す。
「当たり前だ。美味いものを食う。それが嫌いな人間がいるか? 〈人〉でもわざわざ三食料理をして食う奴だっているんだぞ」
2人のやりとりは昔からの親友という間柄にしか見えない。本当に仲が良いのだなぁ、と明奈は師匠となる2人に感想を抱く。
目の前に白いご飯。源家では十万円を超える価値のある食物だと教えられてきたものが目の前にあり、緊張から体を震わせている。
「まあ高いのは事実だから、それを一概に責めるつもりはないけど、さすがに、金持ちだけが食うレベルじゃない。遠慮せず、一口食ってみろ」
目の前に置かれた箸を手に取る。源家では食事は出されなかったものの、偽豆を使った箸の使い方の練習はしていたため、食物を口に運ぶのに苦労はしない。
明奈は、炊き立ての白米を口の中へと運び込む。
「ん……」
広がるほのかな甘み。明奈にとって初めての感覚だった。体が、脳が、喜んでいるのを感じた。
明奈が隣を見ると、明人が笑っていたのが見えた。
飲み込み、そして明人にどうしたのかと尋ねた。
「いや、その、いい顔してたからさ」
少し、明人の顔が赤くなっていた。明奈はその意味をまだ理解できなかった。
「明奈が笑ってくれて、こっちとしても、なんか少し安心したよ。男二人と急に同行することになって、さぞ怖かっただろうと思ってたからさ」
笑っていたという。明奈はそれを自覚していなかった。しかし、納得はした。自分が笑っていたことにも、奨が夢中になるのにも。
それだけの良い感情が自分の中に生まれていたことを自覚していた。
「そ、そんなことないです。その、ありがとうございます!」
これは主への礼儀ではなく、素直なお礼の言葉として、自然と出た言葉だ。
「いいや。さ、食べよう。今日もこの後はいろいろとやることがあるからな」
奨もまた箸を動かし始めた。早速おかずへと手を伸ばし、口に放り込む。
一方で明人は、まだ明奈のことをじっと見つめていた。何故かうっとりとしている。
「おい、何じろじろ明奈を見てる」
奨に言われ、慌てて明人は箸をとった。
明奈は初めての料理に夢中になっていたが故に、明人のこの行為には気が付かなかった。
食事事情:テイルによって食べ物も再現できる。それも料理されたもの自体を再現できるため、農業や料理を行う人間は非常に少なくなった。ただし、農業も料理もテイルで再現すると差が生まれない同質のものができるため、同じものを作りたくても質をこだわる者は素材、料理の腕などを気にする。そのため、そのような食への探求心がある者への需要を満たすために、今も完全に廃れてしまったわけではない。
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