「失礼いたします」
ご機嫌伺いの為に統計学資料室を訪れたシレイアは、ノックの後、神妙に頭を下げつつ入室した。するとグラディクトが、鷹揚に声をかけてくる。
「ああ、モナか。久しぶりだな」
「申し訳ございません。この時期から剣術大会の細々とした雑用をこなさなければならず、なかなかこちらに顔を出せませんでした。取り敢えず私の分担内容が一段落つきましたので、この間のお詫びに参りました」
弁解がましく嘘八百を述べてから、シレイアは再度頭を下げた。しかしグラディクトは気を悪くした風情は見せず、余裕の笑みを浮かべながら頷く。
「気にするな。剣術大会までまだ日数があるのに、お前達がエセリアにこき使われていたのは知っている」
するとここで、アリステアが憤慨した声を上げた。
「本当にエセリア様って、自分以外の人は全て家臣とかだと思っているんですね! 絶対に王太子殿下さえ、格下だと思っていますよ! 本当になんて傲慢な人なのかしら!」
「アリステア、そう怒らなくて良い。エセリアが勝手気ままに振舞えるのも、今のうちだけだ。絶対にあの女に思い知らせてやる」
「そうですね! いくらエセリア様が公爵令嬢でも、王太子であるグラディクト様に勝てる筈がありませんよね! 頑張ってください、グラディクト様!」
「ああ、任せてくれ」
(そうですね。ごくごく普通の王太子殿下とその婚約者の関係だったら、王太子殿下に敵う筈ありませんよね。《《普通》》なら。なんかもう、馬鹿馬鹿しくなってきたわ)
不自然なほどに自信に満ち溢れたグラディクトと、意気軒高なアリステアを見て、シレイアは早くもげんなりしてきた。しかしここで話を止めるわけにはいかず、気を取り直して質問を繰り出す。
「あの……、殿下。お尋ねしても宜しいですか?」
「何だ?」
「聞くところによると、アリステア様が剣術大会で接待係に所属するのに合わせて、殿下が他の接待係の皆様をお招きしてお茶会を設けられるとか。それは本当でしょうか?」
「ああ、本当だが。それがどうかしたのか?」
「その場を和やかにするために、お招きになる方々や今現在社交界で話題になっている事などを纏め、アリステア様にその内容を把握して頂いた方が良いと愚考いたします。必要であれば私が周囲の者達に声をかけて、必要な資料を作成しておこうかと思ったのですが」
シレイアは慎重に申し出てみた。しかしグラディクトの返答は、予想外のものだった。
「それは無用だ。既にそのような物を準備済みだし、アリステアに詳細について順次説明している」
それを聞いたシレイアは、意外に思いながら問いを重ねた。
「そうだったのですか。これは余計な事を申し上げました。ご容赦ください。因みに、そのお茶会はいつ開催の予定ですか?」
「二日後だ」
「……なるほど。それでは今から準備をしても間に合う筈がございませんね。前々から準備を進めていらしたとは、さすがはグラディクト様です」
「いや、歓談の場を設けるとなった時に真っ先に情報収集を提案してくるとは、さすがだな、モナ。あいつらときたら、こちらから指示を出さないと何もできないときている。本当にお前やアシュレイと交換したいくらいだ」
準備をしていると聞いて安堵したものの、話を聞いているうちに嫌な予感を覚えたシレイアは確認を入れてみる。
「あの……、そうしますと、諸々の情報収集をしているのは、側近の方々なのですか?」
「ああ。それを元に、私がアリステアに教えている」
ここでアリステアが、上機嫌で会話に割り込んできた。
「グラディクト様はとっても教え方が上手なんですよ? 本当に、他の教授達に見習って欲しいです!」
「アリステア。いくら本当の事とは言え、そんな事を公言したら本職の教授達の立場がなくなるだろう。その気持ちだけで十分だから、他では言わないでくれ」
「えぇ? 本当の事なのに……」
(駄目だわ。この人達、本格的に頭が沸いてる。取り敢えず、これ以上無理強いしたら怪しまれかねないもの。ここは引くしかないわ)
相変わらず能天気なアリステアと、彼女から手放しで褒められてまんざらでもない表情のグラディクトを眺めながら、シレイアは絶望的な気分になっていた。
その日の夕刻。夕食前の時間帯にサビーネのところに押しかけたシレイアは、先刻のグラディクト達との会話の一部始終をぶちまけた。
「ということだったんだけど。サビーネ、どう思う?」
一通り説明してから、シレイアはサビーネに感想を求めた。対するサビーネは話の途中から片手で額を押さえており、シレイアの話が終わると同時に深い溜め息を吐く。
「どうもこうも……。二日後って、どう考えても今から準備は無理よ。それに事前に情報収集はしていたとは言っても、《《あの》》腰巾着達が絶対片手間に集めた穴だらけの内容を、《《あの》》殿下が掻い摘んで彼女に教えているとしか思えないわ」
「やっぱりそうよね……」
「それにあの殿下はエセリア様同伴の時には、エセリア様が豊富な知識と話題でその場を円滑に回しているのよ。あの人が会話の主導権を握れるわけがないわ」
冷静に指摘してくるサビーネに、シレイアは(やっぱりそうよね)と再認識しつつ、最終確認を入れる。
「そうなると、本格的にどうしようもない?」
「ええ。確実にどうしようもないわ。レオノーラ様達が本気で怒らないように、神様に祈っておきましょう」
「今日から二日間、就寝前の祈りの時間を倍にしておくわ」
もはや神頼みとなってしまった事態に、シレイアとサビーネは憂鬱な顔を見合わせから、揃って項垂れたのだった。
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