マルケスのプロポーズに巻き込まれた形のシレイアが、誰にもその内容を口外しないまま一か月ほどが経過した。その頃には彼女自身も殆どその事実を忘れ去っており、夕食を済ませた時間帯に談話室で、同期や先輩達と共にとある話題で盛り上がっていた。
「カテリーナさんの婚約披露の夜会、この前終わったのよね」
「なかなか盛大だったらしいわよ」
「そりゃあ公爵家と侯爵家の縁組だし、しかも社交界の話題の中心の家だものね」
「シェーグレン公爵家はともかく、ガロア侯爵家の方は少々微妙だけど、話題にならない方がおかしいわよ」
「はぁぁ……、それにしてもカテリーナさんも結婚かぁ……」
「さすがに結婚したら、寮は出て行かれるしね」
「せっかくだから、有志を募ってお祝いを贈らない?」
「あ、それ良いかも」
「賛成。少額でも人数が集まれば、それなりの記念品は贈れるわよね」
「そうしましょう。上級貴族相手に大したものは贈れないとは思うけど、カテリーナさんだったら嫌な顔をせず受け取ってくれると思うし」
そんな風に全員の意見が一致し、具体的に各自どれくらいの金額にするか、纏め役を誰にするか実際のプレゼントはどうするかなど賑やかに意見交換していると、談話室に続いている食堂から、素っ頓狂な叫び声が響いてくる。
「それで結婚ですってぇえぇぇぇぇ―――――っ!!」
どう考えてもただ事ではない声に、その場全員がピクリと反応して口を閉ざした。次いで、怪訝な顔を見合わせる。
「何? 今の凄い声?」
「ルシアナさんの声よね?」
「一体、何事なの?」
そこでシレイア達は揃って立ち上がり、ドアを半分開けて食堂を覗いてみた。するとテーブルを挟んで、ルシアナとアイラが向かい合っているのが目に入る。
「あれ? ルシアナさんだけじゃないわ」
「アイラさんと話をしていたの?」
困惑するシレイア達の視線の先で、ルシアナが傍目にも激しく動揺しながら話を続ける。
「ア、アイラ! しかも今の話は! 冗談なの!? 冗談にしてもたちが悪すぎると思うわよ!?」
「ルシアナさん、落ち着いてください。冗談なんかじゃありませんし、本当の事ですから。私、もう決めました」
「そうは言っても、いくらなんでも、それってどういう事なのよ? まさか詐欺!? アイラ、あなた騙されているんじゃない!?」
「いえ、決してそういうわけでは……。どう説明したものかしら、困ったわね……」
「あ、ちょっとシレイア!」
「どうかしたの!?」
狼狽するルシアナと、苦笑気味に首を傾げるアイラ。そこでシレイアは先程聞こえた「結婚」の言葉に敏感に反応し、他の者達が引き留める間もなく、勢い良くドアを開けて二人に駆け寄った。
「あああ、あのっ、アイラさん! お邪魔します!」
「あら、シレイア。お疲れ様」
「はい、アイラさんもお疲れ様です。いえ、そうではなくて、今の話が聞こえてしまったのですが、アイラさん、誰とご結婚されるんですか!?」
期待に胸を膨らませながら、シレイアは直撃した。対するアイラは、少しだけ照れくさそうな表情になりながら告げてくる。
「嫌ね、シレイア。マルケスとよ。決まっているじゃない」
「そうですよね! ご結婚、おめでとうございます!」
(うわぁあぁぁぁん、話が纏まって良かったぁあぁぁぁ! 普段は忘れていたけど、時々思い返してはやきもきしていたのよね! これですっきり、安心したわ!)
感激して胸の内で快哉を叫んだシレイアだったが、ここでルシアナが憤然として叫んだ。
「全然良くありませんよ! 実際に結婚するのは十年二十年先の話で、それまでは婚約期間だなんて! 非常識にも程があるでしょう!」
「それは確かに、世間一般で言われる婚約期間よりは長いかもしれませんが、私自身一般的ではない女性官吏ですし、ここで普通の感覚に合わせなくても良いんじゃありません?」
「しかも別居なのに、時々会う為だけの家を買うためにあなたがお金を出すなんて! しかも生活費も出すなんて、信じられないわ!」
「休暇の時には落ち着いて二人で過ごす家が欲しいと思いましたし、どう考えても私の方が稼ぎは良いので、支払う所は支払うべきだと思いますよ?」
納得しかねる顔つきで非難するルシアナを、アイラは冷静に宥める。しかしそこで、事態がより一層混沌としてきた。
「ちょっと待ってください、アイラさん!」
「それ、私達が聞いてもどうかと思います!」
「ルシアナさんが言うように、色々怪しすぎます!!」
「相手の男、詐欺師じゃないんですか!?」
「皆、酷いわねぇ」
シレイアに引き続き、談話室から血相を変えて駆け寄って来た後輩たちを見て、アイラが苦笑を深めた。ここでさすがに恩師が詐欺師呼ばわりされるのを看過できなかったシレイアが、アイラと彼女達の間に割り込んで弁明する。
「ああああのっ! マルケス先生は詐欺師じゃありません! それに、婚約期間が以上に長いのも、アイラさんに心置きなく官吏の仕事を続けて貰えるようにと、熟慮した上での判断で」
「ちょっと待って、シレイア」
「あなた、相手の男を知ってるの?」
「はい! 総主教会付属修学場在籍時代の、私の恩師です! アイラさんとマルケス先生もその同窓生で、同期生だと伺ってます! 当然独身ですし、今現在も教師として保護者や総主教会関係者からの信頼も厚く、品行方正で通っている方です! 決して詐欺師などではありませんので、皆さん、くれぐれも誤解のないようにお願いします!」
必死の形相で一気に語った後、微妙に息を切らしているシレイアを見て、周囲の者達は幾らか冷静さを取り戻した。
「まあ、そういう事なら……」
「シレイアがそこまで言うなら、本当に詐欺師ではないみたいだし」
「総主教会付属の修学場勤務……。確かに俸給は官吏より安そうだけど、それなりに信用はあるわよね……」
「今まで勤務を続けているのなら、不祥事は起こしていないわけよね」
取り敢えずその場が沈静化したのを見て、アイラがシレイアに声をかける。
「助かったわ、シレイア」
「お役に立てて幸いです」
シレイアが笑顔で頷くと、ここでミリーが神妙な顔で確認を入れてくる。
「それでは相手に関しては取り敢えず置いておくことにして、アイラさんはその状態で納得しているんですか?」
「ええ。プロポーズされてから色々考えてみたんだけど、仕事をしているうちは満ち足りた生活ができると思うのよ。でもね、仕事を辞めた後を想像してみたら、ちょっと寂しくなってね」
「退職した後、ですか?」
「実家とは絶縁しているから、厳密な意味で家族と呼べる人間はいないの。これまで結婚はしなかったし、当然子供も授からなかった。それに対して、全く後悔はしていないわ。でも人生の最後を一緒に暮らしてくれる人がいて、それがマルケスだったら良いかなって思ったの」
「そうですか……」
これまでのアイラの人生を思って、なんとなくその場がしんみりとした空気になった。それを払拭するべく、その場で最高齢のルシアナが、わざとらしく明るい声で告げる。
「そこまで考えた末での判断なら、部外者がどうこう言う筋合いではないわね。結婚おめでとう、アイラ。……あ、違うわね。結婚するのはずっと先だし、正確には婚約おめでとうだわ」
それを受けて、すかさずシレイア達も笑顔で話し出す。
「そうですね。ご婚約、おめでとうございます!」
「それじゃあ、まだまだ仕事は続けられるんですよね?」
「安心しました。アイラさん位のベテランに抜けられると、現場が大変ですもの」
「勿論、これからもビシビシこき使うから安心して頂戴」
「時々は手心を加えてください。お願いします」
(本当に、良い結果に落ち着いて良かった。確かに変則的ではあるけど、当事者が納得しているのなら問題ないわよね?)
それから室内で寛いでいた他の者達にもあっという間にアイラの婚約話が広まり、食堂には寮内の女性騎士と女性官吏が入れ代わり立ち代わりやって来て、アイラの決断に驚愕したり祝福の言葉を述べたりと、遅い時間まで賑わっていたのだった。
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