「はぁ……、とんでもなかったな……。たいしたお嬢様だ」
「本当に……、びっくりした……」
招かれた二人を丁重に送り出し、室内の上層部の面々が彼女達を見送るために移動を始めた気配を察知してから、レナードとシレイアかはしみじみとした声で感想を述べた。すると割と近くから、呆れや馬鹿にした口調で悪態を吐きながら移動し始めた者達がいた。
「はっ! 何なんだ、あの世間知らずのお嬢様は。国教会が貸金業など、できるわけがないだろうが!」
「そうだよな。組織というものは、それぞれの役割が確立しているものだ。国教会は国民に正しい教義を布教させるのが唯一無二の役目なのに」
「全く傍迷惑な話だな! そんな子供の世迷い言を上層部の皆様に賢しげに語るために、あんな汚らわしい本を出版したなど」
「とても見識のある者の振るまいではないな。ワーレス商会も先がないのではないか?」
エセリア達を嘲笑いながら立ち去る男達の背中を、シレイアは冷えきった目で見やった。
「…………」
「シレイア?」
無言になったシレイアを心配してレナードが声をかけると、彼女は彼を見上げながら口を開く。
「ねぇ、レナード兄さん。あの人達って馬鹿なの? 室内にいた総主教会の上層部の皆さんが正式に貸金業について検討すると発言したからには、それが今後の国教会の方針として決定したって事じゃない?」
その的確な指摘に、レナードが真顔で頷く。
「シレイアの言う通りだ。だけど当たり前の事がなかなか理解できない残念な人が、世の中には一定数存在するんだよ。あの中の一人は、確か実家が貸金業を生業にしていた筈だし」
「認められないと言うか、認めたくないのね?」
「そうだろうね。それにしても……」
そこで舌打ちしたいような顔になったレナードだったが、シレイアが思い付いたように言い出す。
「あ、私、エセリア様がどんな人か直に見てみたいから、正面玄関まで行ってみる!」
「シレイア、それならこっちだ。近道だし、見送りに出てくる上層部の方々の人目につかない場所に案内するから」
「ありがとう、レナード兄さん。お願い」
そして室内を移動する面々よりは出遅れたものの、総主教会内を知り尽くしているレナードの適切な誘導によって、少し距離がある場所ながら、シレイアは物陰からしっかり当事者の顔を拝める位置を確保できた。
(うわぁ……、エセリア様って予想していたより可愛くて品があって……。あれこそ、お姫様って感じなのにあんな画期的な事を考え付いて、それを実行に移すために男性同士の恋愛本まで書いてしまうなんて……。なんて規格外で非凡な人なの? 本当に凄いわ……)
恍惚としながらエセリアに尊敬の眼差しを送っているシレイアを見て、彼女の心境が手に取るように分かってしまったレナードは、微笑ましく彼女を見守った。そしてエセリア達が乗り込んだ馬車が走り去るのを見送ってから、シレイアがレナードを振り返る。
「レナード兄さん。あの話は国教会の、大規模な新規事業になるわよね?」
「確実に、そうなるだろうな……」
「やってみたい?」
「シレイア?」
「大変そうだけどその分やりがいがあるから、携わってみたいって顔をしてる」
真摯に見上げてくるその視線に、レナードは自然に笑顔になりながら肯定した。
「本当にシレイアには敵わないな。ああ、その通りだよ」
「それなら、その方針が国教会全体に公表する前に事業の問題点を洗い出して、それに対する対処策を考えた上で、上層部に献策すれば良いと思うの」
「え?」
いきなり予想外の事を言われたレナードは面食らった。しかしシレイアはそのまま考えを述べる。
「大々的に全国的な事業展開を公表されてからだと遅いわ。あんなに貶していたさっきの人達も、国教会内での出世を目論んで、我先にと担当者に立候補しそうじゃない。だから予め、アピールできるものを準備しておくの。問題点や検討事項の例としては……、全国一律の利息での貸し出しとなると、都市部ではなく辺境地域の資金が潤沢でない教会へどのような基準でどれ位の金額を融通すれば良いかとか、貸出基準を地域ごとの物価や景気に応じて緩める必要があるかどうかとか、貸し倒れた時の責任分担をどうするかとか、色々ある筈よ。それへの対策を予め考えておけば、それに対して真剣に考えていると判断してもらえそうだもの」
「シレイア……」
「献策先は……、事業の方向性から考えると、財務を統括している大司教様か、国教会内の人事の総責任者である大司教様かな? 今は誰がしているんだっけ?」
ぶつぶつと独り言っぽく呟いたシレイアを眺めながら、レナードは小さく溜め息を吐いてしみじみと言い出した。
「シレイア、やっぱり君は他の誰よりも頭が良いよ。感動した。俺なんか、足下にも及ばない。本当に惜しいな、君が……」
そこで「しまった!」と言った感じで不自然に口を閉ざしたレナードを見て、シレイアは少々からかうように笑った。
「男だったら良かったのに?」
「あ……、いや、すまない」
ばつが悪そうに視線を逸らした彼を、シレイアは笑顔で宥める。
「レナード兄さんの、他人が嫌がる事は絶対口にしない配慮ができる所と、自分に非があると認めたら素直に謝罪できる所は美点だと思うし、私は好きよ?」
それを聞いたレナードも、自然に笑顔になる。
「ありがとう、シレイア。負けを認めるのはあまり好きではないが、シレイアに負けるのなら清々しい気分だな」
「何それ? レナード兄さんったらおかしい。笑っちゃうよ?」
「うん。俺もなんだか、無性に笑いたい気分になってきた」
(レナード兄さんが私に敵わないって言うなら、私はエセリア様には絶対敵わないわよ。でも悔しいとかじゃなくて、凄くワクワクする! 私と同じ年の女の子があれだけの事を考えて、本気で実現させようと世間に働きかけるなんて凄すぎるわ!)
そして顔を見合わせた二人は、揃って「あははは」と楽しげな笑い声を上げた。そしてシレイアはここまで付き合ってくれたレナードに礼を述べ、すっきりとした気持ちで自宅に戻った。
その日の夜。
シレイアはベッドに入ってからも、査問会の内容を思い返して目が冴えたままだった。
(どうしよう……。昼間の興奮が抜けなくて眠れない)
もう何度目かの寝返りを打ちながら、シレイア悶々と考え込む。
(あのエセリア様は、これからもきっと国のために色々な事を考えて、実現させていくのよね? 食事の時にお父さんに教えて貰ったけど、エセリア様はマール・ハナーとして本を書く他にも色々画期的な物を提案して、それをワーレス商会が商品化しては莫大な利益を上げているそうだし。それで最近、ワーレス商会からの寄付額が増えているだなんて、全然知らなかった。それと比べたら私なんて、全く世間に貢献できていない、過保護な親の下でぬくぬくと暮らしている子供でしかないわ)
自身をエセリアと比較したシレイアは、僅かに落ち込んだ。しかし彼女の思考は、落ち込んだままにはならなかった。
(残念? ううん、悔しいっていう方が正しいかな? 私も世間に対して、エセリア様位の巨大な成果を出したいとは思わないけど、自分自身の力で何かを成し遂げてみたい。そのためには、何をどうすれば良いかしら?)
自分でも大それた野望かもしれないと思いながらも、シレイアはここで前向きに自分の可能性について考え始めていた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!