アイラ達が店を出てから遠慮なく号泣したレスターを宥め、落ち着かせてから別れたシレイアは、その足で王宮内の寮に向かった。
アイラ自らマルケス同伴で出向くとまで言及した事で、この機会に彼女と実家との交流が再開するのは確実だった。シレイアにとっては、もう婚約式の開催云々よりもそちらが実現した方が嬉しく、満足しきって寮の自室に入る。まだ通常勤務時間内で、静まり返った寮の空気はシレイアにとっては心地よく、しみじみとその日の首尾を思い返す。
(ご両親の素直じゃない愛情表現とアイラさんの頑固さで、随分回り道しちゃったのよね。でも、お互いに歩み寄る事ができそうで良かった。 まだ婚約式開催については不透明だけど、アイラさんが弱っているお父さんは無理だろうけど、お兄さん達を招待して安心させてあげたいとか思ってくれたら嬉しいんだけどな)
ベッドの上にゴロンと仰向けになったシレイアは、そんな希望的観測を頭の中に思い浮かべながら、マルケスについても思いを巡らせた。
(それにしても……。マルケス先生が、アイラさんのお父さんに直談判に行ってた話、本当に驚いたわ。アイラさんも全然知らない様子だったし、マルケス先生はそんな事一言も漏らしていなかったって事よね?)
うんうんと一人で天井を眺めながら頷いたシレイアは、恩師の行動力と思慮深さに改めて感じ入った。
(給費生になるならないの時期だと、十二歳かそこらのはずなのに、他人の為にそこまでできるって凄い事よね。それに蹴り転がされたって話だったから、多少なりとも怪我だってしたかも。でもそれを言ったらアイラさんが気にすると思って、ずっと口を閉ざしていたのよね。うん、マルケス先生、凄く格好良いわ。アイラさんは絶対、幸せになれるわよ)
そこまで考えたシレイアの顔が、無意識に緩む。
(本当に、運命的な修学場での出会いよね。そんな素敵な出会いに、ちょっと憧れちゃうなぁ……)
シレイアが一人でニマニマと笑み崩れているうちにいつの間にか時間が経過し、通常就業時間が終了して寮に人が戻って来た。その気配を察知したシレイアが時計を確認すると、既に夕食の時間にかかっている事実に気がつく。それでシレイアは早速食堂に向かった。
「シレイア。お休みだったのに、本当に早く戻って来たのね。実家に泊まって来ても良かったのよ?」
「そうしたいのは山々ですが、今日は半ば強引に休みを貰ったので。明日は早めに出勤するつもりですから、早く寝て明日に備えます」
「休み明けにギリギリで出勤するよりは遥かにマシね。しっかり食べて頑張りなさい」
「はい、そうします」
苦笑気味に多めに料理をよそってくれたルシアナに笑顔で返し、シレイアは空いている席に座って食べ始めた。食べ始めるとともに徐々に人が集まり、シレイアが食べ終える頃には殆どの席が埋まった状態になる。そんな盛況の食堂に、外出から戻ったアイラが姿を現した。
他の皆と同様に夕食を食べに来たと思いきや、彼女は食堂に隣接した厨房には向かわず、まっすぐシレイアに歩み寄る。この間の二人の微妙な空気を知っていた周囲は、何事かと口と手の動きを止めてその様子を見守った。
「シレイア。ちょっと良いかしら」
「え? って、アイラさん!? あのっ、どうかしましたか!?」
アイラが近付いてきたのが背後からだったため、シレイアはその接近に全く気がつかなかった。振り返って声をかけてきた相手を認めた瞬間、シレイアは見事に動揺する。その結果、盛大に音を立てながら椅子から立ち上がった。
シレイアは全身から冷や汗を流したが、それを見守る周囲も同様の心境だった。なぜならアイラの表情は微妙に強張っており、とても友好的な空気を感じられなかったからである。緊張と沈黙に支配された食堂内に、落ち着き払ったアイラの声が響いた。
「ちょっとあなたに話したい事があるのだけど」
「ええと……、それでは談話室とか、私の部屋とかに移動しませんか? どんな内容のお話かは分かりませんが」
「その心配は無用よ。他の人にも聞いて貰いたいから、今、ここで話すわ」
「そうですか……。それでは、どんなお話でしょうか?」
「……………………」
シレイアは恐る恐る話を促してみた。しかし何故かアイラは、難しい顔をしたまま押し黙る。
「あの……、アイラさん?」
口を引き結んで睨みつけてくる相手に、シレイアは半ば怖気づきながらも再度話を促してみた。するとアイラは、やけ気味にまくし立てる。
「あああぁもうぅぅっ! どこの誰か知らないけど、ろくでもない事を提案して! シレイア! 婚約式なんてものを提案したのは、まさかあなたじゃないでしょうね!?」
語気強く迫られたシレイアは、ここで涙目になりながら必死に弁明した。
「いえいえいえ、滅相もありません! あれを提案したのは、今現在ナジェーク様の下で働いている修学場時代の同級生です! でも弁解させて貰えれば、彼はマルケス先生とアイラさんの幸せを願って、真剣に考えたので!」
「本当に余計な気を回してくれて! 前代未聞よね! 長期にも程がある婚約期間に、見た事も聞いた事もない婚約式だなんて!」
「確かに前代未聞かもしれませんが、女性官吏の先駆者として大先輩のアイラさんには、ある意味これ以上相応しいものはないのかもしれません!」
「何よそれ! 私が年寄りだっていう嫌味なの!?」
「邪推は止めてください!! そんな嫌味なはずないじゃないですか!!」
「本当に、恥ずかしいじゃないの! こんな年を取ってから、どんな顔をして婚約おめでとうとかの祝福を受ければ良いのよ!!」
「別に恥ずかしい事じゃありませんし、そこは普通に『ありがとう』と返せば……、え?」
そこまで口にしたシレイアは、直前にアイラが口にした内容について確認を入れた。
「あの……、アイラさん? そうすると……、マルケス先生との婚約式開催を、了承していただけるんでしょうか?」
慎重に、控え目にシレイアが尋ねてみると、アイラは僅かに頬を染めた。そしてそっぽを向きながら怒ったように告げる。
「私は別にしなくても良いと今でも思っているんだけど、今日実家に出向いた時、話の流れでマルケスの教え子達が婚約式を開催しようと言っていると教えたら、家族が是非参加させて欲しいって言い出して! まだ決まっていないからと言っても、全然人の話を聞かないし! もうこうなったら仕方がないから、するしかないでしょう! あれだけ楽しみにしてくれているんだから!」
それを聞いたシレイアの顔に、驚愕と歓喜の色が入り混じる。
「え? あ、本当にやってくれるんですか!? 後で『やっぱり止めるわ』とか言うのは無しですよ!?」
「そんな事を間違っても言わないように、わざわざ大勢の前で言ってあげているんでしょう!? それくらい、優秀な官吏なら察しなさいよ!! ここにいる全員が証人よ! 女に二言は無いわ! どう、シレイア、これで満足でしょう!!」
もう殆ど自棄で叫びつつ、アイラは真っ赤な顔で胸を張った。シレイアはそんな彼女に勢いよく抱きつきながら、歓喜の叫びを上げる。
「はいっ!! アイラさん、 ありがとうございます! 本当に嬉しいです、おめでとうございます! これからもご指導、宜しくお願いします!!」
「全く……。本当にあなたは、鍛えがいがありそうね」
苦笑しながらアイラが呟くのと同時に、食堂内で一斉に椅子から立ち上がる音が響いた。
「アイラさん、おめでとうございます」
「婚約式、私、絶対参加させて貰いますから!」
「皆でどういうお祝いにしようかと、ずっと考えていましたし」
「楽しい、思い出に残る式にしましょうね!」
「皆、ありがとう」
緊張しながら二人のやり取りを見守っていた面々は、決着がついたのを幸い嬉々としてアイラを取り囲んだ。代わる代わる改めて祝辞を述べる者達に場所を譲り、人の輪を抜けたシレイアは、安堵の溜め息を吐く。そこで軽く肩を叩かれて振り返った。
「お疲れ様。無事一件落着みたいね」
笑顔で声をかけてきたカテリーナに、シレイアも笑顔で返す。
「カテリーナさんこそ、お仕事お疲れ様です」
「話の流れからすると、首尾よくご実家の方々と和解できたのよね?」
「そうみたいです。強引に話をもっていきましたが、良い方に転んで安心しました」
「殴られた甲斐があったわね。これからは婚約式の準備で忙しくなりそう」
「そこら辺は頼りになる同級生たちがいますので、あまり心配していません」
「それは何よりだわ」
そこで二人はアイラを囲んで盛り上がっている人垣を眺めて、改めて微笑み合った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!