「納得できない……」
「シレイア? 今、何か言った?」
「うん? どうかしたのか?」
唐突にシレイアがボソッと呟いたのを耳にして、ステラとイザークが怪訝な顔を向けた。それが契機となって、シレイアが抑えきれない怒りの声を上げる。
「ラベル大司教様は新たな貸金業務の立ち上げと遂行のために、これまでものすごく尽力されてきたのに! それなのにこんな怪我を負わされて、総主教会からも身を引く羽目になるなんてあんまりよ! 一体、神様は何を見てるのよ! 見ているのなら怠慢すぎるし、本当は神様なんていないんじゃない!?」
腹立ちまぎれに罰当たりな事を言い出した娘を、ステラは即座に叱りつけた。
「シレイア! あなた、何を言っているの!」
「だって理不尽過ぎるわよ!」
「お黙りなさい! 第一、お見舞いに来て騒ぎ立てるとは何事ですか! 場所と立場を弁えなさい!」
「……ごめんなさい」
(どうしようもなく悔しいし、腹立たしいわ。この気持ちをどうすれば良いのよ!)
険しい表情のステラに叱責され、シレイアは瞬時に我に返った。そして唖然としているイザークとミリアにム向かって頭を下げる。そんなシレイアをイザークは驚いた表情で眺めてから、軽く手招きした。
「シレイア。こちらにおいで」
「はい。なんですか?」
「ちょっと屈んで貰えるかな?」
「こうですか?」
言われるままベッドに歩み寄ったシレイアは、更に前かがみになって頭を下げた。するとその頭が、軽く優しく撫でられる。
「シレイアは、本当に優しい良い子だな。だが、そんなに怒らなくても良いんだよ? ほら、左腕が動かなくても、右手で君の頭を撫でてあげることはできるからね?」
「…………っ」
頭上から降ってきた優しく言い聞かせてくる声に、シレイアは反射的に頭を上げそうになったが、そのまま涙が零れそうになるのを堪えつつ、床を見つめ続けた。
「幸い、年は取ってもいまだに頭や口は衰えていないから、神の教えを説くこともできる。今度のことは、神が私に与えた試練だろう。まだまだ骨身を惜しまず、老骨に鞭打って働けということか。神様はなかなか人使いが荒いらしい」
「大司教様……」
笑いを含んだ声で、自分自身に言い聞かせるように口にしたイザークは、シレイアの頭から手を離して妻に向き直った。
「ミリアム。私はまだまだ引退できそうにないぞ。こんな可愛らしい娘さんを、無神論者にはできないからな。そうだろう?」
そこで毅然として微笑む夫の姿を目の当たりにしたミリアムは、涙ぐみながら笑顔で断言した。
「はい! ええ、そうですわ! 年寄りはでしゃばって、嫌がられるのが役目ですもの! まだまだ神の使徒としてのお役目は、十分すぎるくらい果たせますわ! 耄碌して自分が何を言っているのか分からなくなって、周囲から引きずり下ろされて辞めるのが妥当ですとも!」
「お前は随分人使いが荒かったんだな。今の今まで知らなかったぞ」
そんなやり取りをした老夫婦が顔を見合わせて楽しげに笑い出し、それに釣られてステラとシレイアも笑顔になった。
(本当なら、大司教様はこのまま引退して穏やかな暮らしをした方が良いのかもしれないけど……。まだまだ大司教様を必要としている人が大勢いるはずだもの。思い直してくれて良かったわ)
シレイアはしみじみと考え、イザークがここまま表舞台から消える事はないだろうと確認して安堵した。それから少しの間、四人で楽しく会話をしてから、ステラとシレイアはイザークに別れを告げて寝室を出た。
「ステラ、シレイア。今日は来てくれてありがとう。あなた達のおかげで、あの人が見違えるように元気になったわ」
「いえ、結果的にはそうかもしれませんが、今日はお騒がせしました。ほら、シレイア。あなたからもお詫びしなさい」
「お騒がせして、本当に申し訳ありませんでした」
玄関でお礼を言われた二人は、恐縮しながら頭を下げた。しかしミリアムは笑みを深めながら言葉を継ぐ。
「本当に良いのよ。復帰すると言ってもさすがにもう少し先になるから、またお見舞いに来てくれたら嬉しいわ。子供たちはもう独立して夫婦二人暮らしだから、賑やかさとは無縁の生活だし」
「はい! お邪魔させてもらいます!」
「嬉しい。楽しみにしているわね」
近日中の訪問の約束をしてミリアムに別れを告げて歩き出した二人は、気分よく自宅に向かった。
「お母さん、ラベル大司教様が引き続き責任者を務めてくれるみたいで良かったわね」
「ええ。取り敢えずひと安心だわ。これからマーサの分も頑張らないとね」
「マーサおばさん? ……ああ、夫人会の方ね。マーサおばさんが王都を離れたし、お母さんが頑張らないといけないわね」
今回の事で、シレイアは夫人会の動揺も著しいのだろうと察した。更に、夫である聖職者たちへの影響を無視できない夫人会の取りまとめに、今後励まなければいけないだろう母の役割を思って深く頷く。
「これから忙しくなると思うから、シレイアに色々と迷惑をかけるかもしれないけど……」
「もう小さな子供じゃないし、自分のことは自分でできるから心配しないで。それに私にできる事があったら手伝うから、いつでも言ってね?」
「ありがとう。頼りにしているわ」
(卑怯者の汚い策略に嵌められたまま、貸金業務を頓挫させるわけにはいかないもの。お父さんやお母さん、関係者の皆に頑張って貰わないと。大したことはできなだろうけど、私もできるだけの協力はするわよ!)
シレイアは内心で憤然としながら、決意も新たに自宅に向かって歩き続けた。
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