「さあ、これで大丈夫ね」
サビーネの部屋に到着したシレイアは、ドアを閉めるのは当然としても、彼女の動作や口調になにやら厳重さを感じてしまい、不思議に思いながら問いかけた。
「サビーネ? 鍵までかけて、どうかしたの?」
するとサビーネはシレイアに椅子を勧めつつ自身も座りながら、怖いくらい真剣な顔で口を開く。
「シレイア。これから話す内容は、当面あなたの胸の内に留めておいて欲しいのだけど」
「それは構わないけど、一体どうしたの?」
するとサビーネは、小さなテーブル越しに話を切り出した。
「エセリア様が王太子殿下の婚約者なのは、あなたも知っているわよね?」
「当然よ。そして今年はそのお二人が揃ってクレランス学園に入学されるから、さぞかし華やかで活気溢れる学年になるでしょうね。エセリア様と同学年で、本当に良かったわ」
「そうなのだけど、実はエセリア様は在学中に、王太子殿下との婚約を破棄に持ち込もうと考えていらっしゃるの」
「へぇ、そうなの。婚約破棄……、婚約破棄ですってぇぇぇっ!! サビーネ!! ちょっと待って! 一体全体、どういう事よっ!?」
素直に頷きかけたシレイアだったが、話された内容を理解した途端、血相を変えて立ち上がった。そんな彼女を、サビーネが座ったまま真顔で宥める。
「シレイア、ちょっと落ち着いて」
「あっ、ご、ごめんなさい! でもちょっと待って。その婚約が国内外に公表された後に、書庫分店でサビーネから詳しい事情と言うか背景を聞いたけど、王妃陛下の姪に当たるエセリア様を婚約者にすることでグラディクト殿下は王妃様の後見を得た形になって、立太子されたのではなかった? その状況で婚約破棄なんかできるの? シェーグレン公爵家側から、婚約解消を申し入れるということかしら?」
動揺しながらも、シレイアはなんとか状況を思い返しながら椅子に座り直した。そんな彼女に対し、サビーネが説明を続ける。
「その方向性だと実現性は低いわね。王家から打診があって公爵家が正式に受け入れた話だし、そう簡単には話が進まないと思うわ。今のところ、どちらにも表立った非はないしね。グラディクト殿下はまだ公務は少ないながらも、取り敢えず無難にこなしているし。……エセリア様への態度が不遜すぎるけど、人目がある所では巧妙に取り繕っているもの」
そこまで話を聞いたところで、シレイアの眉根がわずかに寄せられた。
「エセリア様への態度がどうですって?」
「この際だから聞いて頂戴、シレイア。ワーレス商会書庫分店で顔を合わせた時も、不愉快極まりない話だし誰に聞かれるか分からないから、これまであなたにも言ってこなかったけど」
いかにも憤懣やる方ない様子で、それからサビーネはひとしきりグラデヂィクトに対する不平不満を語った。それを聞き終えたシレイアの反応は、それは辛辣なものになった。
「へぇ……、『女の癖に出しゃばるな』とか、『私のおかげで王妃になれるのだから、もう少し引き立て役を身に付けておけ』ですって? なに、その勘違い野郎」
「その場に居合わせた紫蘭会の皆様は内心で激怒していたけど、コーネリア様が無言で圧力をかけておられたし、当のエセリア様がグラディクト殿下の物言いを笑って流して皆を宥めていたから、これまで問題にすらならなかったのよ」
「そんな事が……、許しがたいわ。直に顔を合わせたら、その場で一発殴りそうよ」
「やっぱり早めに入寮して良かったわ。本格的に授業が始まって、王太子殿下と顔を合わせるまでには平常心を取り戻しておいておいてね?」
実際に右手を握り締めているシレイアを見て、サビーネは笑顔で宥めた。それを見たシレイアは、すぐに平常心を取り戻す。
「サビーネ、大丈夫よ。もう落ち着いたわ。父や総主教会の評判にも係わるから、問答無用で王太子殿下に殴りかかったりしないと誓うわ」
「良かった。それじゃあ、話を戻すわね。エセリア様はこれまでのあれこれで王太子殿下に対して好意を抱けない事に加え、王妃になる事で自分が希望する様々な活動に支障が出る、または断念差ざるをえない事態になるのを避けるために婚約破棄を望んでいるの。それもシェーグレン公爵家側からではなく、王家側、正確に言えばグラディクト殿下側からそう仕向けるように持ち込むつもりなのよ」
その説明を聞いたシレイアは、難しい顔で考え込んだ。
「それは……、状況が正確には分からないから断言はできないのだけど、相当難しいのではない?」
「あなたの言う通りよ。でも『無茶です。不可能に決まっています』とか言わないのね」
「だって、あのエセリア様が考えておられるのでしょう? どれほど成功の可能性が低くても、あの方だったらやり遂げてしまいそうな気がするもの」
シレイアの本心からの言葉に、サビーネが嬉々として頷く。
「やっぱりシレイアだわ! それでね? その計画実現のためには、シレイアの頭脳が絶対に必要になると思うの! 半月前、婚約者のイズファイン様と共に招かれた公爵邸で、エセリア様からこの話を打ち明けられた時、脳裏に真っ先にあなたの顔が浮かんだわ。だからその時に他言無用と言われたけど、あなたには一刻も早く同意を取り付けておきたかったのよ」
そこまで信頼されて嬉しくないはずがなく、シレイアは喜色満面で礼を述べた。
「ありがとう。私を信用して打ち明けてくれて。勿論賛同するし、秘密は守るわ」
「こちらこそ嬉しいわ。国教会の貸金業務を頓挫させようと暗躍していた連中を一網打尽に追い込んだ、あの時のシレイアの鮮やかな知略! 今でも昨日の事のように覚えているもの! すごく心強いわ、頑張りましょうね!」
「ええ、今度は直にエセリア様のお役に立てそうで、私も嬉しいわ」
「それじゃあ、エセリア様が入寮したら、シレイアを紹介するわね。実は、その婚約破棄話の時に、つい紫蘭会の事をエセリア様に喋ってしまったのよ」
「あ、そうだったの? 確か会員数がまだ目標数に達していないから、まだラミアさんやコーネリア様はエセリア様には秘密にしておいたのよね?」
続く打ち明け話に、シレイアは首を傾げながら確認を入れた。するとサビーネが、苦笑まじりに話を続ける。
「そうなのよ……。うっかり勢いで。それで仕方がないから、翌日ワーレス商会書庫分店に出向いて、ラミアさんに謝ったわ。どういう話の流れでそうなったのか、一部始終を伝えたら『そういう事情であれば、仕方がありませんね。気にしないでください。そろそろ頃合いだとは思っておりましたからこの機会にエセリア様をご招待しましょう』と笑って許してくれたわ」
「それは良かったわね。そうするとこれからは、紫の間でエセリア様とバッタリ出くわすなんて可能性もあるわけね?」
「そういうこと。それでシレイアを『何年も前に紫蘭会に入会して以来の友人』と紹介するつもりだけど、それで構わない?」
「勿論よ!」
そこでシレイアは、気になった事について尋ねてみた。
「一応確認だけど、私が婚約破棄の話を知っているのは、エセリア様に知られてはいけないのよね? サビーネは現時点では、内密に話を聞いているわけだし」
「そうしてくれる? そのうちにタイミングを見て、婚約破棄計画にシレイアを引き込むように働きかけてみるから」
「分かったわ。それまではそ知らぬふりをしておくわ」
「それじゃあ、シレイア。改めてよろしく」
「こちらこそ。色々頑張りましょうね」
そして手を取り合いしっかりと握手した二人は、これからの学生生活が実りあるものになるだろうと確信していた。
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