シレイアはレスターから聞いていた日時にカフェに出向き、店内に足を踏み入れた。しかしその途端、店内の状況に内心で焦りを覚える。
(あれ? なんだか予想外に混んでいるんだけど。これって大丈夫なのかしら?)
ざっと見回した感じでは、店内は満席だった。それにシレイアが困惑していると、比較的近くの席から声がかけられる。
「シレイア、こっちだ」
「あ、レスター。待たせたわね」
「予定時刻までまだ十分時間はある。俺は準備のために、早く来ただけだから」
取り敢えず席の確保ができているのに安堵し、シレイアは軽く右手を上げながらレスターに歩み寄った。そして両隣とは衝立で仕切られたテーブルの窓側の席を示されたシレイアは、大人しくテーブルを回り込んで腰を下ろして店員に注文を済ませる。
「準備って何の? それに、店内が満席みたい。アイラさんとお兄さんが来た時に座る席がなかったら、他の店に行ってしまうかもしれないわ。困ったわね」
座った早々に、シレイアは懸念を口にした。それにレスターが事も無げに答える。
「大丈夫だ。二人が来たら、隣の席を空けるから」
「空けるからって……。そんな、無茶な。他の客に無理強いさせる気? 何を考えているのよ」
「だから大丈夫だ。ちゃんと打ち合わせ済みだ。俺達以外の客は、全員俺が頼んだ知り合いだから」
「……はい?」
「離れた席に座ってしまったら二人の様子を窺う事はできないし、こうすれば確実だろう?」
当然のように告げてくる内容に、シレイアは呆気に取られた。次いで、レスターの非常識さに頭を抱える。
「あのね……。確かに確実なのは分かるけど、そんな事に知り合いを動員するなんて、少しは他人の迷惑も考えなさいよ」
「取り敢えず予定が空いている人に頼んでいるし、滞在中の飲食代はこちら持ちで、それとは別に謝礼も前払い済みだ。全員、快く引き受けてくれたぞ?」
「そうは言っても! こんな事にどれだけお金を使う気よ!?」
「あ、費用については心配いらない。全額、エセリア様が負担してくださった」
「え!? ちょっと待って! どうしてここで、エセリア様の名前が出てくるのよ!?」
予想外過ぎる話の流れに、シレイアは思わず声を荒らげて問い質した。しかしレスターは、淡々と説明を続ける。
「ここでアイラさん達の様子をこっそり観察すると決めたものの、確実に盗み聞きする方策が思い浮かばなくてな。偶々、屋敷内でエセリア様のご用を承る事があった時に、ついでに相談を持ちかけたんだ」
「あんた、一体何を考えているの!? 主家のお嬢様に、超個人的な相談を持ちかけるなんて!! 私にしてみれば、王子殿下や王女殿下に個人的な相談を持ちかけるようなものでしょうが! ありえない!」
思わず非難めいた口調になったシレイアだったが、レスターは少し不思議そうに首を傾げただけだった。
「そうか? ナジェーク様から『知ったかぶりをして放置するより、分からない事を素直に周囲に尋ねた方が良いに決まっている。それに誰が問題を解決する能力があるかを見極めるのも大切な事だから、迷った時はその能力を持つ人物に遠慮なく頼れ』と言われているんだ。だからこれまでにもナジェーク様やエセリア様に色々な事で相談を持ちかけて、その都度、素晴らしい提案や解決策を提示して頂いている。やはりナジェーク様は、俺が生涯を捧げるにふさわしい方だ」
「……ああ、そうなの」
(本当に、変な意味で物怖じしないというか、躊躇わない即断即決のキャラになったのね……。取り敢えず、頑張って働いて結果も出しているみたいだし、いちいち突っ込まないようにしよう)
もう何を言っても無駄だと悟ったシレイアは、運ばれてきたカップに口を付けてお茶を飲み始めた。するとここでレスターが、感心したように言い出す。
「ところで、良く今日休暇が取れたな。さすがに日にちが近すぎて、無理じゃないかと思っていたんだが」
「なんとしてでも取るって言ったでしょう?」
「それにしても、相当無理したんじゃないのか? それに新人がそんな事を言い出したら、周囲の心証が悪くなりそうだし」
「それくらい、なんとも無いわよ。その日、休みを入れていた先輩の前で『二人、いえ三人の今後の人生がかかっているんです!! 後生ですから休みを代わってください』と恥も外聞もなく叫びながら土下座して、その人の足に組み付きながら切々と訴えたら、他の細々とした業務を肩代わりするのを条件に交代して貰ったから」
「それで、なんとも無いのか……。思い切りが良過ぎるな……」
「なんとでも言って。後悔はしていないわ」
シレイアは、唖然とした様子のレスターから無言で視線を逸らしつつ、再びカップを口に運んだ。すると彼女の背後に視線を向けていたレスターが、唐突に告げてくる。
「シレイア、お兄さんの方が来た」
「え? あ、どこ?」
「背後の窓、通りの向こう側、斜め右方向からこっちに向かってる」
「ええと……、あ、あの人か」
思わずキョロキョロと店内を見回してから、シレイアは背後を振り返って窓の外を確認した。すると確かに一人の年配の男性が、こちらに向かって歩いて来るのを認める。するとレスターは、隣接の客に声をかけた。
「すみません、ジャックさん、タリアさん」
「分かった。じゃあ、俺達はこれで」
「レスター、ご馳走様。またね」
「ええ。ありがとうございました」
どうやらレスターの顔見知りだったらしい二人は、笑顔で手を振って店を出て行った。それを見送ったシレイアは、レスターに尋ねる。
「レスター。店に向かって来る人を確認するために、このテーブルの席にしたの?」
「そうしないと、タイミング良く隣の席を空けられないだろう?」
「さすがね。これってやっぱり、エセリア様のアイデア?」
「ああ。洗いざらい事情を説明して助言を求めたら、店内貸し切りと席の配置を指示された上で、『感動的な展開の予感がするから、事の一部始終を聞かせてくれるなら費用は全額私が負担するわ』と仰って下さったので、ありがたくご厚意に甘えることにした」
「レスター。あなたのその物怖じしなさすぎる所が、少し羨ましいわ……」
真顔で経緯を告げるレスターに、シレイアは本気で頭を抱えた。そうこうしているうちに、ドアから先程の男性が入って来る。
「いらっしゃいませ。こちらの席でよろしいでしょうか?」
「ああ。後でもう一人来るから」
「畏まりました」
首尾よくアイラの兄が隣のテーブルに着いたのを確認したシレイアは、無言で席を仕切っている衝立に目を向けた。そこでレスターが、小声で呼びかけてくる。
「シレイア」
「分かっているわ。お互い、余計な事は口にしないようにしましょうね」
「それから、どんな展開になっても、できるだけ平常心を保つ事。店に迷惑だけはかけないようにな」
「心がけるわ」
真顔で頷き合っていると、それほど待たずに待ち人が現れた。
「いらっしゃいませ」
「すみません。待ち合わせなのですが……、ああ、分かりました」
店員の声に続いてアイラの声が聞こえ、シレイアは彼女に見つからないよう、咄嗟にドアの方向に背を向ける。それが功を奏し、兄が座っている隣のテーブルにアイラがやって来ても、シレイアは気づかれずに済んだ。
衝立の向こうで兄妹が向かい合って座った気配を察知してから、シレイアは慎重にそちらに視線を向ける。
(緊張する。レスターにここまでお膳立てして貰って暴れるつもりは無いけど、アイラさんに酷い事を言うようなら許さないんだから)
改めてそう決意しながら、シレイアは衝立の向こうに意識を集中した。
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