官吏となってふた月が経過し、建国記念式典での騒動やそれに伴う諸々も一通り処理が終わり、王宮は従来の空気を取り戻していた。この頃になるとシレイアも単純な事務作業から、簡単な資料作成や統計処理を任されるようになっており、仕事に対する意欲も増していた。
「ラジンさん、こちらの表計算が終わりました。それでこちらが、前年度分との比較になります。チェックをお願いします」
「早かったな。分かった、確認しておく。午後は他の仕事に取りかかって貰っても良いか?」
「はい。どんどんやります、お任せください」
「頼もしいな、頼んだよ」
相変わらず、女性官吏ということで民政局内で煙たがる者も一定数存在していたが、シレイアの父が総主教会大司教という関係もあってか、下手に国教会との関係を悪化させないよう、上層部は一定の配慮をしたらしかった。
配属当初からシレイアの指導担当者や組んで作業する者などは、女性だからと言って偏見を持つような人間は皆無であった。それを肌で感じていたシレイアは、正直に言わせて貰えば特別扱いは避けて欲しかったが、この頃には円滑な人間関係を保つために必要な措置だと割り切っていた。
「シレイア、お疲れ様。ここ良い?」
「ええ、空いているわよ。座って」
「ありがとう」
昼休憩に食堂に出向いて昼食を食べていると、同様に休憩に入ったらしいオルガがやって来た。シレイアが空いていた隣の席を促し、彼女は頷いてテーブルにトレーを置きつつ座る。しかしオルガは料理に手を付けたと思ったら、幾らも食べないうちに浮かない顔で溜め息を吐いた。
「はぁ、なんだか疲れたな……」
そのまま手を止めているのを見て、シレイアは心配になってきた。
「どうしたの? 財務局の仕事って、今繁忙期だったかしら?」
「そうじゃなくて……。働き出したばかりの頃は職場の環境や仕事に慣れるのが精一杯で、あまりじっくり考える余裕もなかったというか……。最近、漸く仕事にも慣れてきて、改めて感じるようなことがあってね」
「それは私にもあると言えばあるけど。因みに、どんな事?」
改めてそう尋ねられたオルガは、少し考えてから口を開いた。
「なんだか、微妙に腫れ物に触るような感覚と言えば良いのかしら。何となくお客様扱いと言うか」
「え? でもそれじゃあ、仕事にならないんじゃない?」
「ええと……、一言でうまく言えないけど、きちんと仕事をして貰えるのかとか、任せても大丈夫か不安を感じると言うか。率直に言うと、『どうせ何年かしたら結婚して辞めるのに、そんな奴に重要な仕事を任せたり教えたりするのは無駄だ』という雰囲気を、なんとなく感じるのよ」
「ああ……、うん。それは私も、民政局内で感じることがあるわ。幸い、そう言うのをあからさまに表に出す人は身近にいないけど。でもそういうのは、気にしても仕方がないんじゃない?」
自らの職場で、いまだに微妙な視線を送ってくる何人かを思い返しながら、シレイアは明るく言葉を返した。しかしオルガは対照的にどことなく暗い表情になり、俯き加減に告げる。
「私、官吏や騎士でも女性だとほとんどが数年で辞めていくと聞いていたし、それが普通なんだなと思っていたから、結婚費用を貯められて円満に結婚退職できたら良いなと漠然と思っていたの。それで他の人の事も、婚約したとか結婚したとかの話題を普通に出していたけど、女ですぐに辞めるから官吏として取るに足らない人間としてしか見られないなんて、想像だにしていなくて」
そこまで聞いたシレイアは、慌てて友人の話を遮った。
「ちょっと待って、オルガ。さすがにそれは考えすぎよ。誰もあなたの事を、取るに足らない人間だなんて思ってはいないわよ」
「そうかしら?」
「そうよ。聞くところによると財務局の女性官吏の割合は他と比べても低い筈だし、上司や同僚の人達は、まだ微妙にオルガとの距離感を掴めないでいるんじゃない? 第一、私達は就任してまだ二か月を過ぎたばかりなのよ? どの程度の仕事を任せても良いか、向こうだって試行錯誤している時期だと思うわ。だからこちらから変な隔意を持ったりしないで、今は任された仕事を頑張りましょう。そして実績で、一人前の官吏だときちんと認めて貰えば良いのよ。ね?」
真顔でシレイアが言い聞かせると、オルガは気を取り直したように頷く。
「そうね。さすがにお荷物までには思われていないだろうし、そこそこの戦力だと認識して貰えるように頑張るわ」
「オルガだったら、今でも十分戦力になっていると思うけど?」
「ありがとう。でも、カテリーナさん達みたいに近衛騎士だったら、こういう事は考えずに済んだのかな……」
「え?」
ここでオルガは視線を動かしつつ、独り言のように口にした。シレイアは彼女の視線を追い、少し離れたテーブルにカテリーナと女性騎士達が固まって座っているのを認める。
「ああ、そうね。騎士団は15の隊に分かれているけど、女性全員第15隊に集められているものね。でも他の男性騎士と全く係わらずに勤務できるはずもないし、女性騎士でも私達と同じだと思うわよ?」
「それもそうよね……。口にしても仕方がない事を話しちゃったわ。せっかくの休憩時に、変な事を言ってごめんね?」
「良いのよ。女性が少ない場所で働くとなったら、多かれ少なかれ考えさせられる事はあるはずだもの」
(民政局内では気を遣って貰っているみたいだけど、他の所はあからさまな所もあるんだろうな。親の威光を利用するつもりは無いけど、働きやすいのは父さんのおかげかもね)
それからシレイアは、気持ちを切り替えたらしいオルガと雑談をしつつ食べ進めた。しかし殆ど食べ終えた時点で、オルガが変な顔になりながら独り言のように問いを発する。
「あら? なに、あれ?」
「オルガ。あれって、何? ……は?」
官吏と騎士団共用の食堂であれば、昼時にそこを利用するのは勤務中の官吏や騎士に限られている。しかし通路から食堂に入り、まっすぐカテリーナがいるテーブルに歩み寄るナジェークは、豪華な私服を身にまとっていた。それだけでも異常事態であるのに、その右手には色とりどりの一抱えもある花束を持ち、左手には紐で縛ってある直方体の木箱を提げているとあっては、誰がどう見ても不審者である。
オルガに釣られて視線を向け、そんな彼の姿を認めたシレイアは、友人同様呆気に取られて彼を眺める事しかできなかった。
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