休暇で実家に向かっていたシレイアは、上機嫌で今後の予定を考えていた。
(エセリア様が来月、久しぶりにアズール伯爵領から王都に戻られるから、お会いするのが楽しみね。それ以上に、アズール学術院構想がいよいよ本格始動になるわけだから、もう待ちきれないんだけど)
浮き立つ気持ちを押さえながら実家に到達し、玄関の扉を開けて中に入ると、何故か自分以上に上機嫌な母に出迎えられた。
「お母さん、ただいま~!」
「シレイア、お帰りなさい! あなたの帰りを、今か今かと待っていたのよ!!」
「え? お母さん、どうかしたの?」
「取り敢えず座って頂戴!」
「うん、分かったわ」
(こんなに興奮して、どうしたのかしら。お母さんらしくないわ)
玄関ホールで待ち構えていたのかと思うくらい、即座に腕を引かれて居間に押し込められたシレイアは、怪訝に思いながらソファーに座った。すると向かい側に座ったステラが、満面の笑みで話を切り出す。
「あのね? 来月のティアド伯爵家とリール伯爵家の結婚式を、ケリー大司教様が取り仕切ることが決まったの!」
しかしそれを聞いても、シレイアは何がそんなに嬉しいのかと思っただけだった。
「え? ああ、そうね。個人的な繋がりとかなければ、王族の挙式は総大司教が担当して、貴族全般の挙式は他の大司教が担当するって、総主教会内で暗黙の了解があるものね。でもそんなの珍しくはないでしょう?」
「それが……。あなたには言っていなかったけど、この二年程の間、ケリー大司教様が担当した貴族の挙式は一件もなかったのよ」
ここで急に表情を一変させ、ステラが沈鬱な表情で現状を告げてくる。瞬時にその意味を悟ったシレイアは、顔色を変えて問い質した。
「ちょっと待って、どうして!? だってこの二年と言えば、お父さんだって二件担当していなかった? 貴族の家はそれなりにあるし、本家分家含めたら途切れずに挙式はあるわよね!?」
「ええ。その通りよ。通常なら普段から付き合いのある大司教を名指して依頼してくるほかは、担当は総主教会側で割り振るわ。だけど、あの婚約破棄騒動以来『ケリー大司教以外の大司教に担当をお願いしたい』という申し入ればかりだったの」
「どうしてそうなるのよ! あの事件は、ケリー大司教様とは全く関係がないじゃない!?」
納得のいかない話に、シレイアは怒りを露わにしながら母親に訴えた。対するステラもやりきれない表情になりながら、この間の状況を説明する。
「ええ。国王王妃両陛下もそう明言されているのだけど、『実は両陛下はケリー大司教を水面下で目障りに思っていて、下手に関わりを持ったら不興を買ってしまうのではないか』と邪推したり、『ジムテール男爵家と関わりがあるなどと噂されたくない』と世間体を気にして、貴族の方達はケリー大司教様に依頼するのに二の足を踏んでいるそうなの」
「何なのよそれ!! 揃いも揃ってろくでもないわね!」
「それでね? 私、半年ほど前に紫の間でサビーネさんと偶然会った時に、サビーネさんの挙式が近い事をあなたから聞いていたものだから、つい『あなたの結婚式を執り行う大司教を、ケリー大司教に指名してもらえないかしら』とお願いしてしまって……」
ここで気まずそうに自分から視線を逸らしつつ母が告げた内容を聞いて、シレイアの顔が強張った。
「お母さん、ちょっと待って! そんな話、初耳なんだけど!? 第一、先月サビーネと会った時、そんな話は一言もしていなかったわよ!?」
「ついさっき、サビーネさんからの手紙を、リール伯爵家の方が届けてくださったの。それによると、あなた達が会った時はまだ交渉中だったから、ぬか喜びさせたくなくて黙っていたそうよ。気を揉ませてしまっていたら申し訳なかったと書いてあったわ」
「そんなものがあるの!? 見せて!!」
「はい、これよ」
差し出された手紙を、シレイアはひったくる勢いで手に取り、急いで広げて内容に目を走らせ始めた。
「さすがに私も、勢いで頼んだ後に猛省したの。挙式となったら自分だけの都合で事が運べるとは思えないし、相手方に反対されたり揉める原因になってしまったら申し訳ないと思って」
「本当にその通りよ! もう、本当にお母さんらしくない! 今後はもっと考えてね!?」
「ええ。重々承知しているわ。でもその手紙を読んで、本当に安心したの。サビーネさんが義理のお母様になるティアド伯爵夫人に相談したら快く引き受けてくださったそうで、総主教会との交渉も夫人が引き受けてくれたと書いてあるでしょう?」
そこで該当する箇所に目をやったシレイアは、反射的に頷く。
「え? あ、本当だわ。それで連絡が遅くなったのは、『ケリー大司教様が、自分は当面晴れがましい役目は控えるべきと固辞したのを、お義母様が説得するのに時間がかかったから』と書いてあるわね」
「そうなの。どうやらティアド伯爵夫人は、あの婚約破棄騒動に巻き込まれた形になったケリー大司教様に同情してくださっていて、随分食い下がって説得していただいたみたいね。本当に嬉しさと申しわけなさで、胸がいっぱいになってしまったわ……」
しみじみとした口調でステラが述べ、手紙を読み終えたシレイアも安堵の溜め息を吐く。
「本当に良かった。それにサビーネのお姑さんになる方が理解のある方だと分かって、私も安心したわ」
「これで少しは貴族の方からもケリー大司教様を忌避する空気が薄れるでしょうし、今後、総主教会内でも変に気を遣うようなことが減ると思うの」
「そうよね。ティアド伯爵家もリール伯爵家も、社交界ではそれなりの影響力を保持している筈だもの。その家がケリー大司教様に挙式を担当して貰ったのなら、あからさまに指名から除外するような行為は減るわよ。私、早速サビーネにお礼の手紙を書くわ。お母さん、便箋を貰える?」
それにステラは即座に頷いた。
「ええ。私も書くつもりよ。それにサビーネさんの他にも、ティアド伯爵夫人にもお礼状を書こうと思っているの。でも一面識もない人間から、いきなり手紙が届いたら不審に思われるかしら?」
「それは確かにそうかも……。それならサビーネ宛ての手紙に同封して『お手数ですがティアド伯爵夫人に感謝の気持ちをしたためたので、ご都合の良い時にお渡しできないでしょうか』とお願いしたら? それなら不審物扱いで、いきなり廃棄される危険性はないと思うし。結婚間近だし、頻繁に顔を合わせる機会があると思うから」
「そうね。サビーネさんにお願いしてみようかしら」
(サビーネも、あの婚約破棄後の諸々を聞いて、ケリー大司教様様にかなり同情していたものね……。水面下であれにかかわっていた身としては、当然と言えば当然だけど。わたしもそうだけど、これで少しは気が楽になったかしら)
サビーネの結婚式について、それからシレイアは母と笑顔で語り合った。その間、二年前から心の中でわだかまっていたものが、幾分軽くなった思いだった。
「ただいま! ステラ。シレイアは帰っているよな? 今日は嬉しい知らせがあるんだ!」
「お帰りなさい、あなた。ケリー大司教様が、ティアド伯爵家とリール伯爵家の挙式を担当することになったのでしょう?」
「……え? お前、どうしてそれを知っているんだ? 今日、総主教会で決定したばかりなのに」
その日、嬉しいニュースをノランが持ち帰ったが、既に妻子がその内容を知っていた事で彼は目を点にして当惑した。その様子にシレイア達は笑いを誘われ、それから一家揃って楽しいひと時を過ごしたのだった。
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