「え? ちょっと待って! どうしてそうなるの!?」
自分の仕事と結婚話が、どうして父親の転属話に繋がるのか分からなかったシレイアは、慌ててノランを問い質した。それはデニーも同様であり、隣に座っているノランの肩を掴みつつ盛大に叱りつける。
「ノラン! お前、いきなり何を訳の分からない事を言い出すんだ! れっきとした総主教会の大司教のお前が、地方の一教会に赴任するなどできるわけないだろう! 正気か!?」
「それなら、ただの司教に降格されれば問題はないな。司祭でも良いが」
「馬鹿も休み休み言え! 何の問題も落ち度もない人間を、降格させられるわけないだろうが!?」
淡々と応じるノランに、早くもデニーは切れかけた。そんな二人の様子を見て、シレイアが不安そうに声をかける。
「お父さん?」
その声を聞いたノランは、言葉足らずで娘を不安にさせてしまったのを悟った。それでデニーからシレイアに向き直り、落ち着いた声音で話し出す。
「私がお前に幼い頃から自由に学問をさせたのは、お前の可能性を潰したくないと思っていたからだ。だが最近はそれを忘れて、自分の願望だけをお前に押し付けていたのが分かった。いや、エセリア様とお前に、理解させられたと言った方が正しいな。エセリア様は自らや周囲の方々のみならず、常に広く世間一般の人々の幸福を追求していらっしゃるのに、私は娘にとって何が幸福なのかを見極めることができなかった。今回、あの方と我が身を比べて私がいかに恥ずかしく、卑小な存在であるかを思い知らされたよ……」
しみじみと自らの心情を語った父親を励ますように、シレイアは力強く言葉を継いだ。
「お父さんだけじゃないわ。私だって固定観念から抜け出せずにいたから、同じ気持ちよ。だからより一層、自分にできる事を最後まで諦めずに追い求めたいと思ったの」
「ああ、お前の気持ちは分かるとも。私も全く同じ気持ちだ。だから私にできる事として、今後お前が心置きなく仕事ができるように、ステラと一緒にアズール伯爵領に移住する」
その意味する所を正確に理解したシレイアは、慌てて言葉を返した。
「お父さん! 私、仕事を続ける為に、お父さん達の助けを当てにはしていないわよ!? 自分の力でやり遂げたいから、エセリア様の構想は渡りに舟だと思ったのだし! お父さん達の生活を、私の人生に合わせる必要はないわ!」
そんな娘の主張に深く頷きつつも、ノランは静かに言い聞かせてくる。
「それは勿論、分かっている。至近距離に住むつもりはないし、通常の生活まで事細かく手を出すつもりはない。官吏の仕事がどういうものかは私には全く想像ができないし、手助けできる事など皆無だろう。だが……、プライベートで本当に困った時、どうにもならなくなった時に、ほんの少し手を差し伸べるくらいは許してくれないか?」
真摯にそんな事を訴えられてしまったシレイアは、じわりと目頭が熱くなった。それを誤魔化すように、無理に笑ってみせる。
「許すもなにも……。前から思っていたけど、お父さんは私に甘すぎだと思う……」
「ステラが結構厳しいからな。私が少し甘いくらいで、ちょうど良いと思うが」
「お母さんが今の話を聞いたら、王都から地方に移住するなんてと言って怒るか、驚いて倒れるかもしれないわよ?」
半ば本気で懸念を口にしたシレイアだったが、ここでノランはおかしそうに笑った。
「お前は意外にステラを分かっていないな。この話をステラが聞いたら、怒るどころか嬉々として荷造りの段取りを考え始めるのに決まっている」
「そうかしら?」
「そうだとも」
自信満々で頷いてみせたノランを見て、シレイアも思わず笑ってしまった。そして親子でひとしきり笑い合ってから、シレイアは顔つきを改めて礼を述べる。
「……お父さん」
「うん? どうした?」
「ありがとう。官吏として頑張れって言われた時より、数倍嬉しいわ」
「そうか。それは良かった。エセリア様にお礼の手紙を書かないとな」
そこで話は終わったと判断したシレイアは、ソファーから立ち上がった。
「それじゃあ先に戻って、お母さんに今の話をしておくわね」
「ああ。その時のステラの反応を、帰ったら教えてくれ」
「お父さんが言った通りだと良いんだけど。デニーおじさん、これで失礼します。お邪魔しました」
父と笑顔で頷き合ってから、シレイアはこの間の話の流れについていけず、呆然自失状態で固まっていたデニーに対し、礼儀正しく挨拶してドアに向かって歩き出した。ここで漸く我に返ったデニーは、慌てて立ち上がってシレイアを引き留めようとする。
「……あ、シレイア! ちょっと待ってくれ! 今の一連の話は!」
しかしそんな彼の腕をノランが掴み、微笑みながら申し出た。
「デニー。早速、移籍手続きを進めたいから、近日中の上層部会議で議題に出して欲しいのだが」
「ノラン、お前は黙れ!」
「何をそんなに怒っている。司教や司祭の移動など、珍しい事ではあるまい?」
「司教や司祭だったらな!! お前は自分の立場を分かってないのか!? 大体お前は昔から、普段は飄々としているのに、偶に突拍子もない言動で周囲を振り回して!! いい加減にしろ!!」
そんな父の困惑声とデニーの怒声を背後に聞きながら、シレイアは廊下に出て母が待つ家に帰って行った。
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