「ベタニス局長。王都内主要街路の五カ年整備計画、ならびにこの半年間の塩の市場流通価格の推移レポートを作成しましたのでご覧ください」
シレイアは若干緊張しながら、持参した書類の束を席に着いている上司に差し出した。対する彼は手元の書類から視線を上げ、軽く頷きながらそれを受け取る。
「ああ、ご苦労だった。思ったより早かったな。今、ざっと目を通してみても良いか?」
「はい、お願いします」
机の前に立ちながら、シレイアは彼の判断を待った。するとベタニスはサクサクと書類をめくって内容を確認すると、該当する箇所を指で指し示しながらシレイアに指摘してくる。
「このページのここ、舗装の仕様と用いる資材が異なっているのに、購入計画は同一品目で予算を計上している。それから、ここの産地や輸入先ごとの分析も入れてくれ。他にも任せているから、再提出は半月以内で構わない」
「分かりました。修正の上、再提出いたします」
これまでにも細かな指摘を受けることは多々あり、シレイアは納得しながらしみじみと考え込んだ。
(相も変わらず、局長の指摘が鋭すぎる。というか、私がまだまだ未熟で迂闊だってことよね。気を引き締めて頑張らないと)
そんな事を考えていると、何故かベタニスが微妙に言いにくそうに声をかけてくる。
「ところで、だな。君に、改めて確認したい事があるのだが……」
「はい。何でしょうか?」
「例の、アズール伯爵領派遣の件だが、本決まりで構わないのだな?」
そう問いかけられた途端、シレイアは血相を変えて上司に詰め寄った。
「局長! まさか今になって撤回だなんて仰いませんよね!?」
(万が一そんな事を言われたら、ぬか喜びさせた局長を呪ってやるから!!)
心の中で物騒な叫びを上げたシレイアだったが、その彼女の恫喝の声が聞こえたわけでもないのに、ベタニスが若干引きながら話を続ける。
「いや、一応再確認してみただけだ。本人にやる気があっても、ご家族が反対する可能性があるしな。率直な話、その辺はどうなんだ?」
それを聞いたシレイアはキョトンとした顔になってから、不思議そうに言葉を返した。
「家族、ですか? この話をしたら両親は喜んでくれましたし、全く問題ありませんからお気遣いなく」
「そうなのか?」
「はい。母なんか『シレイアが落ち着いた頃に、アズール伯爵領に旅行に行こうかしら。その時は案内をよろしくね?』とか言っていたくらいですし。遊びに行くんじゃなくて仕事をしに行くっていうのに、吞気なんだから」
最後は愚痴めいた呟きで、シレイアが話を締めくくる。それを聞いたベタニスは、微妙な表情になった。
「そうか……。それはまた随分変わ、いや、奇特なご両親だな」
「はい! 自慢の両親です!」
満面の笑みで頷いたシレイアを見てベタニスの顔が僅かに引き攣ったが、彼はすぐに気を取り直して彼女に新たな指示を出した。
「それでは再提出を頼む。それからこの書類を、財務局長に届けてくれないか?」
「畏まりました。それでは行ってきます」
一度自分の席に戻ってから、シレイアは預かった書類を届けるために部屋を出て行った。その途端、一部の若手の間で、囁き声が交わされる。
「おいおい、シレイアの奴、本気でアズール伯爵領に出向するつもりみたいだぞ?」
「親も反対しないとは恐れ入ったな。さすがに、娘を官吏にさせるだけのことはあるか」
「そんな事より、例の賭けはどうなると思う?」
「そうだよな……。あと二年の間にローダス・キリングが口説き落としてシレイアが仕事を辞めるか、ローダス以外の男と結婚して彼女が仕事を辞めるか、2年後も独身のままで仕事を続けているか、だろう?」
「もう、2年後も独身のままで仕事三昧で決まりだろ」
「だよなぁ……。大穴狙いでキリング以外の奴と結婚退職に賭けたってのに……」
「大穴すぎるだろ。自業自得だ」
そこで民政局トップの冷め切った声が、室内に響き渡る。
「君達。業務中の私語は慎みまえ」
「…………」
怒鳴りつけているわけでもないのに不思議と伝わってくる、威圧感があり過ぎるそれに、室内が静まり返った。それからしばらくの間、室内には紙をめくる音と室内を移動する足音しか聞こえなくなり、用事を済ませて戻って来たシレイアが、静まり返った室内に怪訝な顔になったくらいだった。
(全く、最近の若い者どもは、落ち着きがなくていかん。第一、他人の結婚話で賭け事をするなど何事だ)
手の動きを疎かにせず書類を捌いていたベタニスは、チラリとシレイアの席に目を向けてから小さく溜め息を吐く。
(確かに女性官吏は、これまで結婚すると辞めてしまうのが常だったからな。本音をいえばカルバムは見どころも伸び代もあると思うから、この先も仕事を続けていって欲しいが、一生結婚せずに働けなど強制もできないし)
シレイアの有能さと将来性に密かに期待していたベタニスは、彼女が男だったら結婚云々で仕事を辞めるか辞めないかなどと周りに詮索されることもあるまいにと、少々残念に思いながら仕事をこなしていった。
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