最後の長期休暇も終わりクレランス学園に戻ったシレイアは、年度末の官吏登用試験に備えて充実した日々を送っていた。しかしそんな彼女とは対照的に、グラディクト達は目論見通りに音楽祭を開催する事が叶わなかった上、様々な事を考えては企画倒れになって、悪あがきにも程がある日々を過ごしていた。
(全く次から次へと、しょうもなくて実現しそうにない催し物ばかり思いつくんだから。こっちがダメ出しをすると逆切れするし、毎回宥めるのが大変だわ。馬鹿馬鹿しいにも程があるわよ)
放課後にグラディクト達のご機嫌伺いに統計学資料室に出向いたシレイアは、ひとしきり彼らの愚痴や文句を聞かされ三文芝居を見せられてから辞去し、心底うんざりしながら廊下を歩いていた。
(それにしても、例のエセリア様が陰で糸を引いているのを告発する宣誓書だけど、もう何通あの人達に渡っているのかしら。私は既に3通渡しているけど、他の皆も分担して渡している筈なのよね)
その日もグラディクト達を宥め、安心させるための宣誓書を手渡してきたシレイアは、その内容に目を通した時のちょっとした違和感を思い返した。
(でもちょっと気になっているのよね。二枚以上並べてじっくり見たわけではないから、私の気のせいかもしれないけど……)
そのまま深く考え込み始めた彼女の思考を、ここで聞きなれた声が遮る。
「あ、シレイア。ちょうど良いところに。今、少し話しても構わないかしら?」
唐突に話しかけられたシレイアは、慌てて声のした前方に目を向けた。すると廊下の反対側から歩いて来たらしいエセリアが、笑顔で佇んでいるのを認め、即座に頷く。
「構いません。何かご用ですか?」
「ええ、ちょっとね」
エセリアが笑顔のまま短く答えると、彼女の周囲にいた女生徒達に空気が読めない者は皆無であり、皆揃って自然な動作で遠ざかって行く。
「それでは、私達は失礼します」
「ええ。ごきげんよう」
そして至近距離に誰もいなくなってから、エセリアは若干声を潜めながら話しだした。
「今、彼女達と話をしていたのだけど、剣術大会の開催が近付いたから、そろそろ本格的に接待係の打ち合わせを行うらしいの」
「確かに、もうそんな時期ですね。でも、接待係……。彼女、わざわざ設けた顔合わせの席で、レオノーラ様以下の面々に軽くあしらわれてお終いだった筈なのに。そう言えば、止めるとかの話はしていませんでしたね……」
うんざりしながらシレイアが呟き、エセリアも同様の表情で頷く。
「当然と言えば当然なのだけど、彼女が真っ向から立ち向かってどうこうできる相手ではないもの。今回もどう考えても円満に終わる筈がないけど、問題を起こされて騒ぎになってしまうのは勘弁して欲しいわ」
「確かにそうですよね。でも本当の所をレオノーラ様に打ち明けないまま協力をお願いするわけにはいきませんし、エセリア様にはどうしようもないのではありませんか?」
下手な慰めや無責任な事は言えず、シレイアは真っ正直に告げた。それにエセリアは、諦めきった様子で応じる。
「そうなのよね。こればかりは、運を天に任せるしかないわ。取り敢えず、事前に開票係の生徒名簿は配られる筈だから、当日までにそれを頭に入れておいて周囲の人の話を良く聞いておくように、彼女にアドバイスしておいてくれる?」
「分かりました。多少腹の立つ言動があっても、おとなしく聞いておくようにですね」
「そういうこと。これは二・三日中で良いからお願い」
「分かりました」
なるべく早くアリステアに言い聞かせておこうと決意しながらエセリアと別れたシレイアは、一人になってから思い至った。
(あ、せっかくエセリア様に遭遇したんだから、この機会に宣誓書について聞けばよかった。でも次の機会で良いわよね)
シレイアはその時そう思ったものの、剣術大会の運営準備や官吏選抜試験の準備、グラディクト達の監視兼フォローに忙殺され、その些細な疑問について問いただす機会をしばらく逃してしまうのだった。
エセリアから指示を受けた翌日。シレイアは早速モナとして統計学資料室に出向き、グラディクトの不平不満を聞き流しつつ相槌を打って宥めてから、慎重に話を切り出した。
「あの、最近小耳に挟んだのですが……」
「何だ、モナ?」
「剣術大会の日程が迫って参りましたが、近々接待係の皆様で集まって、打ち合わせを行うと言うのは、本当でしょうか?」
「はい、そうですよ? レオノーラさんから、お知らせの用紙を貰いました」
事も無げに答えたアリステアに、シレイアの顔が無意識に引き攣る。
「確か長期休み前に、接待係の顔合わせの場で、何やら不愉快な事があったと漏れ聞いておりましたが……。アリステア様はそれでも、このまま接待係として参加されるのですか?」
「ええ、勿論よ! これから色々な場面で社交的な活動をしないといけないんだから、お茶を出す位できないとね!」
「はぁ……、そうでございますね……」
打てば響くように返してきた彼女を、シレイアは何とも言えない表情で見やった。するとそれを見て勘違いしたグラディクトが、鷹揚に頷きながら自信満々に言い聞かせてくる。
「モナはその打ち合わせの席で、またアリステアが不快な思いをしないか、懸念してくれているのだな。安心しろ。その時も私がきちんと同席して、睨みを利かせておくからな!」
(これは完璧に駄目なパターン。絶対レオノーラ様達から白眼視されるわ)
シレイアは早々に説得を諦め、心底レオノーラ達に同情しながら神妙に頭を下げた。
「それなら心配ございませんね。余計な気を回してしまいました」
「ううん、そんな事は無いわ。モナさん、いつも私の事を心配してくれてありがとう!」
「本当に、お前のような者がいてくれて、心強いぞ!」
「勿体ないお言葉です」
(心配なのはレオノーラ様を筆頭に、迷惑を被る事が確実の、接待係の皆様へのフォローなんだけど……。それにしても『社交的な活動』云々と臆面もなく言う辺り、本気でエセリア様に取って代われると思っているのよね。本当に救いようが無いわ)
本格的に頭痛を覚え始めたシレイアだったが、気合いを振り絞って本題を口にした。
「取り敢えず、その打ち合わせの席では、皆様のお話をきちんと伺っておいた方が宜しいと思われます」
そう控え目に忠告すると、アリステアは笑顔で力強く頷いてみせた。
「勿論よ。係の中に意地悪な人が多いのは確かだけど、それを理由に自分の仕事を疎かになんかできないわ! きちんと相手の言う事にも、耳を傾けるつもりよ」
「その通りだ。さすがアリステアは真面目で、責任感があるな」
「そんな……、グラディクト様。そんな事で一々、誉めないで下さい。人として当然の事ですから」
「いいや、その当然の事が全く出来ない上に理解できない、無教養で無礼な奴らが多過ぎる」
そしてお約束通り、自分達の世界に突入した二人を、シレイアは白け切った目で眺めていた。
(真面目な人間は、平気で大嘘を吐いたりしないわよ! ……それにしてもどうしてエセリア様は、『良く話を聞いておくように、アリステア嬢にそれとなくアドバイスしておいて欲しい』とか、仰ったのかしら?)
確かにうわの空で話を聞いていたら周囲の者達の怒りを買うのは必至だが、普通、他人の話を聞くのは当然だしわざわざ口に出すほどの事だろうかと、その時シレイアは唐突に疑問に思った。しかしその時も疑問をあっさりと流してしまい、後日頭を抱える事態になるのだった。
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