ローダスと、少々気まずい話をした直後の休日。シレイアは招待を受けていたシェーグレン公爵邸に嬉々として出向いた。
「お久しぶりです、エセリア様!」
「本当に久しぶりね、シレイア。元気そうで何よりだわ」
互いに笑顔で近況を語りつつお茶を飲んでから、エセリアは頃合いを見て静かにカップを置いた。そして顔つきを改めながら話を切り出す。
「実は王都に来た直後に、カルバム大司教から頼まれた事があるの」
「父からですか?」
エセリア様にどんな相談を持ちかけたのかと怪訝に思ったシレイアだったが、そこでエセリアの口から語られた父との会話の内容を聞いて、呆れるのを通り越して心底申し訳ない気持ちになった。
「なるほど、そういう事でしたか。父が私に結婚するのを望んでいるのは、はっきり口にしないまでも薄々察してはいましたが、そんな私事にエセリア様を巻き込んでしまって誠に申し訳ありません」
(本当に、諸々でお忙しいエセリア様を捕まえて、私に結婚するように勧めてくれだなんて、何て見当違いな上に筋違いな要請をしているのよ!!)
深々と頭を下げたシレイアを見て、エセリアが笑顔で宥める。
「それは良いのよ。正直に言わせて貰えば、婚約者も夫もいない私が何をどう話したって、あなたがあっさり『仕事を辞めて結婚します』なんて事にはならないでしょうし」
「当然です。まだまだ官吏として至らない所が多々ありますし、やりたい仕事が一杯ありますもの。差し当たっては、来年開設の学術院ですね! エセリア様から構想を聞かされた段階から、頑張って上司にアピールしてきましたが、この度無事に民政局の学術院担当者に内定しました! 来年からよろしくお願いします!」
満面の笑みで再度頭を下げた友人を見て、エセリアの笑みも自然と深くなった。
「そうだったの。私も気心の知れた人が、担当者の一人になってくれて嬉しいわ。そうなると選任担当者として、学術院に赴任してくれるのかしら?」
「当然です! 研究者の方々のサポートをしつつ、導き出された成果をいち早く幅広く国内に広める為に、全力を尽くします!」
「本当に良かったわ。それだと話も進めやすいし」
「話? 学術院の話以外に、まだ何かあるのですか?」
エセリアの安堵した表情を見て、我に返ったシレイアは冷静に問いかけた。するとエセリアも真顔になる。
「他にあると言うか……、まず話を一度、元に戻すわね? 実はカルバム大司教からあなたの事について依頼された時に、キリング総大司教からも頼まれた事があるの。色々取り繕うのが面倒くさいから洗いざらい正直にぶちまけると、ローダスは昔からあなたの事が好きで、それなのにストレートに告白できないヘタレだから、ローダスとあなたをくっつけるか、玉砕させてきっぱり諦めさせて欲しいと、総大司教様から無茶ぶりされたのよ」
「…………はい?」
予想外過ぎる内容を聞かされたシレイアは、目を丸くして固まった。そして控え目に、この間の事情を説明する。
「エセリア様はご存知ないかもしれませんが、これまで結構な数の男性からの告白とか交際の申し込みを、ローダスが仲介していたのですが……。ローダスがわたしのことを好きなら、どうして他の男性との仲を取り持とうとするのですか?」
「それに関しては、総大司教様からしっかり聞いているわ。だからさっきヘタレと言ったのよ。あなたが難攻不落だろうから、幾ら紹介しても玉砕するだけだとタカをくくっていたわけね。そしていざ自分が告白しようと思ったら、怖気づいて踏み切れないってこと。これをヘタレを言わずに、何と言うのよ。 幾ら勉強や仕事ができても、ヘタレはヘタレ。そうは思わない?」
「……そうですね。ヘタレ以外の何者でもありませんね」
苛立たしげにエセリアが告げた内容に、シレイアは心の底から賛同した。
(本当に、何なのよそれはっ!! これまでローダスに仲介してきた人をとんだ意気地なしだと思っていたけど、まさかローダスがそれの上を行く臆病者だとは思っていなかったわよ! 本当に見損なったわ! 第一、私に振られるのが前提で紹介していたなんて、その人達に対しても失礼過ぎるんじゃない!?)
シレイアの中でローダスに対する評価がだだ下がりすると同時に、彼に対する怒りがふつふつと湧き上がっていたところで、エセリアが唐突に問いを発する。
「それで更に率直に聞くけど、そのヘタレと結婚する気はある?」
「え? 結婚? それはあり得ないです」
「う~ん、もっと突っ込んだ話をしてしまうけれど、それはあのヘタレだろうがそうでなかろうが、結婚するのは論外って解釈で良いのよね?」
「はい。ヘタレだろうが誰だろうが、別に結婚したいと思いません」
反射的にシレイアが即答すると、ここでエセリアが難しい顔になって微妙に話題を逸らしてくる。
「やっぱり女性がちゃんと仕事を持って、結婚出産後も働き続けるのは、まだまだ難しい状況だものね」
「難しいと言うか、皆無だと思いますが?」
「一応、お義姉様は兄と結婚後も近衛騎士として王宮勤務を続けていたし、妊娠したので今現在は出仕を控えているけど、出産して体調が落ち着いたら、仕事に復帰して貰う事になっているの」
「カテリーナ様が妊娠を期に出仕を控えているのは知っていましたが、さすがにこのまま近衛騎士団を辞めるのではと思っていました。今の話が本当なら前代未聞ですし、認められるまで公爵家や近衛騎士団で色々揉めなかったのですか?」
唐突に出されたカテリーナの話題に、シレイアは少々面食らった。しかしカテリーナの近況については人伝に耳にしていた程度だった為、シレイアは少し踏み込んでみることにする。するとエセリアが、どこか遠い目をしながら説明を続けた。
「確かに近衛騎士団の上層部でかなり議論になったそうだけど、お義姉様に甘いお兄様が色々水面下で個別に脅、いえ、調整とお願いをして、きちんと認めていただいたみたいなの」
それを聞いたシレイアは、ナジェークの手腕に納得して深く頷いた。
「ナジェーク補佐官の辣腕ぶりは、仕事だけではなくてプライベートにおいても発揮されておられるんですね……。でもそれは、かなり特殊な事例ですよね?」
「確かにそうね。そもそも私の両親が、体面に拘らないタイプの人間だったと言うのが大きいけれど、それに加えてお義姉様が出仕しても、きちんと育児を担ってくれる人間が存在しているもの。家事は元々、使用人が担っているし」
「本当にカテリーナ様は、幸運な方ですよね。羨ましいです」
そこでシレイアは、思わず羨望の眼差しで正直な感想を述べた。するとエセリアが、それにすかさず食い付いてくる。
「そういう感想を口にするということは、シレイアも結婚出産後に仕事に復帰した時、家事育児を誰かが担ってくれるなら、結婚しても良いと思っているわけよね? 結婚なんかどうでも良いと心底思っているなら、さっきのような台詞は出ないと思うし」
「それは……、確かにそうかもしれませんが、全く現実味がありませんよ? 仕事を続ける上では、結婚は障害にしかなりませんから」
「ところが、それがそうでも無くなるかもしれないと言ったら、シレイアはどうする?」
「え?」
意味ありげに問いかけられたシレイアは、本気で戸惑った。そこでエセリアは、壁際に控えていた自分付きのメイドを振り返る。
「ルーナ。例の預けておいた書類を、ここに持って来て」
「かしこまりました」
何事だろうと困惑を深めたシレイアの目の前で、メイドからエセリアに書類の束が渡される。その内容をエセリアに説明して貰うに従い、シレイアの目に驚きの色が広がっていった。
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