「遠慮なく、飲んで頂戴」
「はいっ! いただきます!」
目の前に出されたティーカップを震える手で持ち上げたシレイアは、生きた心地がしないままお茶を口に流し込んだ。
(ああああっ! きっと超高級な茶葉だと思うのに、味も香りも全然感じない! 落ち着け、落ち着くのよシレイア! 私はこれから歴史に名を遺す官吏になってみせるんだから!!)
必死に自分に言い聞かせながら半分ほど飲んだところで、シレイアは静かにカップをソーサーに戻す。そこでタイミングを見計らっていたらしいマグダレーナが、静かに声をかけてきた。
「それでは、あなたに尋ねたい事があるのだけど」
「はい! 王妃様。どのようなお尋ねでしょうか?」
「先日、あなたが外交局で同期の官吏に求婚したけれど、その条件として相手が民政局に移籍して共にアズール伯爵領に派遣されなければ、その話はご破算だと告げたのは真実かしら?」
(呼び出された理由って、まさか、その事だったの!?)
まさか個人的な事だったとは夢にも思わなかったシレイアは、一瞬頭の中が真っ白になった。しかしなんとか気合を振り絞って言葉を返す。
「……はい。簡単にまとめれば、その内容で間違いありません」
「それではそれについて、詳細を教えて貰えるかな? 個人的な話で申し訳ないが、凄く興味をそそられてしまってね」
ここでエルネストが穏やかに声をかけてきた事で、緊張が振り切れたシレイアは、逆に腹が据わった。
「畏まりました。それではそもそもの発端、私がシェーグレン公爵邸にエセリア様を訪ねたところからご説明いたします」
「え? アズール伯爵が絡んでいるのか?」
「エセリアが? あの子が何か関係しているの?」
唐突にエセリアの名前が出てきたことで、ここで国王夫妻が怪訝な顔になった。そんな困惑顔の主君夫妻に、シレイアは順序立てて彼女との会話の一部始終を語って聞かせた。
「そういうわけで、仕事か結婚かどちらかを選ぶのではなく、とことんまでどちらも手中に収めて邁進しようと心に決めた結果、ローダスには条件付きでの求婚をすることになりました。以上です。この間の内容について疑問点などございましたら、どうぞご下問ください」
「…………」
一通り語ったシレイアは、達成感に満ち溢れながら笑顔で話を締めくくった。その間、国王夫妻は呆気に取られた表情をしていたが、先にエルネストがしみじみとした口調で感想を述べる。
「ああ……、うん。アズール伯爵の発想の斬新さには、これまでにも驚かされる事が多々あったが、《男女平等社会参画特区》構想とは……。その発想の非凡さに、戦慄した」
しかしマグダレーナの方はエルネストよりも寛容な気持ではなかったらしく、どこか疲れたように溜め息を吐く。
「陛下。少々大袈裟です。それにエセリアも……、住人達の意識改革などと大それた事を考えていたなんて……」
「いや、マグダレーナ。それが私の正直な気持ちだ。私は男性以上に有能な女性が存在することは認識していたし、できるだけその能力を活かして貰いたいとは思っているが、所詮これまでの慣習どおりの男女の枠組みの中でしか物事を考えられなかった。だがアズール伯爵は、そんな固定概念をあっさり打ち砕くことができるのだ。それは彼女の、最も優れている素質ではないだろうか」
国王のその言葉に、シレイアは居ても立っても居られなくなって食いつく。
「陛下もそう思われますか!? 私も全くその通りだと思います!!」
「シレイア・カルバム。陛下の御前です。静粛に」
「失礼しました!」
マグダレーナから冷静に制止され、シレイアは勢いよく頭を下げた。それを見たエルネストは、苦笑いしながら言い聞かせる。
「マグダレーナ、彼女を怒るな。そもそも求婚は男性側からというのが一般的な概念の中、就業中の相手に突撃して条件付きで求婚してのけるなど、彼女もなかなかの胆力と意思の持ち主ではないか。君だってその辺りに興味を持って、実際にどんな人物なのか確認してみたいと思ったのだろう?」
「確かに、なかなかの度胸と根性を兼ね備えた官吏かと思います。この機会に、名前と顔を覚えておきましょう。今後の活躍を期待しています」
「頑張ってくれたまえ」
「身に余る光栄です!! 国王陛下、王妃陛下、ありがとうございます!!」
(ああああっ!! 夢じゃないかしら!? 王様と王妃様に、こんなに親しくお声をかけていただけるなんて!!)
国王夫妻に微笑まれたシレイアは、感激のあまり涙が出そうになった。しかしここでマグダレーナが、顔つきを改めて問いを発する。
「それはそれとして、今回あなたがキリング官吏に条件付きの求婚をしたせいで、迷惑を被る羽目になった人物が存在していますが、それについて把握していますか?」
それを聞いたシレイアは、瞬時に真顔になって応じた。
「え? 申し訳ありません。心当たりがないのですが……。誰がどのような迷惑を被っているのでしょうか?」
「やはり知らなかったのだな。ローダス・キリングが自身の民政局への移籍を要求して、タイラー外交局局長とベタニス民政局局長に詰め寄っているそうだ」
「はい?」
予想外過ぎる話の流れに、シレイアの思考が停止した。すると国王夫妻が、そんな彼女を眺めながら口々に状況を説明してくる。
「さすがに勤務時間中は仕事の妨げになると自重しているのは流石だが、終業後に執務棟の廊下を歩いている時や帰宅時に纏わり付かれるだけではなく、最近では自宅まで押しかけられて門前で詰め寄られたり土下座されたりしているとか」
「もう王宮中のかなりの範囲で噂になっているのに、あなたは把握していなかったようですね」
「問題行為を行っているのはキリング官吏だし、君を責めるのは少々筋違いだとベタニス局長も口を閉ざしていたのだろうな」
「周囲の者達も、この話をあなたに正直に伝えたら激怒して、ローダス・キリングの求婚自体撤回しかねないと推察して、様子を見ていたのでしょう」
そこで漸く呆然自失状態から脱したシレイアは、目の前に誰がいるのかも忘れて怒りの叫びを上げた。
「上司に迷惑をかけるなんて、何やってんのよ、馬鹿ローダス!! 冗談じゃないわ!! ガツンと言って、そんな馬鹿な事をする考えなしとの結婚話なんかご破算にしてやる!!」
「陛下の御前ですよ。落ち着きなさい、シレイア・カルバム」
「はっ、はいっ!! お騒がせして、申し訳ありません!!」
溜め息まじりにマグダレーナから咎められ、シレイアは瞬時に我に返って謝罪した。するとここで、エルネストが苦笑しながらシレイアを宥めてくる。
「君の気持ちは分かるが、彼も必死なのだから。その気持ちは汲んでやってくれたまえ。局長達は私から宥めておくし、実際問題移籍の可否について彼らに近々意見を聞こうと思う」
「前例がありませんが、必要、かつ有効であれば、必要な措置を取ることも検討します。だからあなたは、これ以上必要以上に事を荒立てないように心掛けなさい。よろしいですね?」
「畏まりました」
(確かにローダスがやらかした事には腹が立つけど、私にも責任の一端があるわけだし、一方的に非難するわけにもいかないわね。両陛下にここまで言われた上、これまでベタニス局長にも配慮して貰っていたのに、騒ぎ立てるわけにはいかないわ)
国王夫妻から穏やかに言い聞かされ、シレイアは神妙に頭を下げた。そしてその場を退出しながら、今後なるべくこの事に関して、事を荒立てないようにしようと決意したのだった。
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