その日の授業が終わり、いつも通りシレイアはマルケスに挨拶した。
「マルケス先生、さようなら」
「あ、シレイア。ちょっと話があるから、残っていてくれないか? すぐ済むから」
「はい、分かりました」
不思議に思いながらも、シレイアは素直にマルケスが他の生徒と挨拶するのを眺める。次々に生徒達が教室を出て行き、二人だけになったところでマルケスが声をかけてきた。
「シレイア、待たせてすまないね」
「いえ、構いません。どうかしましたか?」
「シレイアは官吏を目指すと言っているから、実際の官吏の仕事に興味があると思うが。どうかな?」
「はい、勿論です」
「それなら、私の友人に官吏として働いている女性がいるんだが、来週この修学場にやって来るんだ。彼女の話を聞く気はあるかな?」
その提案を聞いたシレイアは、喜色満面で頷く。
「本当ですか!? 是非お会いして、直にお話を聞きたいです! その女性ってもしかして、エマが言っていたこの修学場出身の給費生で、クレランス学園に進学した凄い方の事ですよね! ここの先輩でそういう方がいるなんて、凄く尊敬してます!」
「分かった。彼女は毎月の俸給の中から、少しずつ貯めて定期的にこの修学場に寄付してくれていてね。珍しい女性官吏だしシレイアの刺激と参考になるかと思ったから、声をかけてみたんだ。来週、ここに来る予定が入っているから、シレイアと話をしてもらえるように手紙で頼んでおくよ」
「ありがとうございます! 私はいつでも大丈夫です! 予定はきちんと空けておきますので!」
「分かった。それじゃあさようなら」
「はい、失礼します」
予想だにしていなかった幸運に感謝しながら、シレイアは上機嫌で帰宅した。その後、マルケスから日時を伝えられたシレイアは、現役で活躍中の官吏の話を直に聞ける絶好の機会を、心待ちにして何日かを過ごした。
※※※
「失礼します」
「どうぞ」
指定された日。一度帰宅して昼食を済ませたシレイアは、時刻通りに修学場の教室に戻った。
閉まっていたドアをノックして室内に声をかけると、マルケスの応答がある。緊張をほぐすために軽く息を整えてから、シレイアはドアを開けて入室した。
「はじめまして。シレイア・カルバムです。今日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」
マルケスと向かい合って椅子に座っていた彼と同年配の三十代半ばの女性に対して、シレイアは礼儀正しく頭を下げて挨拶した。対する彼女も立ち上がって、笑顔で右手を差し出してくる。
「アイラ・マーベルです。あなたがマルケス一押しの、未来の官吏候補ね。会えて嬉しいわ」
「『一押し』って……。先生、アイラさんに何を言ったんですか?」
素直にアイラの手を握り返しながらも、シレイアは若干恨みがましい目をマルケスに向けた。しかし彼は、楽しげに笑いながら告げる。
「別に大した事は言っていないぞ? 『もしかしたらアイラ以上の才媛かもしれない子に会ってみたくはないか?』と手紙には書いたが」
「そんな風に言われたら、一体どんな子だろうと興味が湧くわよね?」
「もう、先生ったら! 十分大袈裟じゃないですか! アイラさんくらい優秀な人と比べられるなんて、恐れ多いです!」
「シレイア、あなたが本気で官吏を目指すのだったら、それだけで他人とは違った目で見られるし、大抵の人より優秀だと思われなければいけないし、実際にそうならなければいけないのよ?」
苦笑まじりの台詞だったものの、アイラの口調にはどこか笑い飛ばせない真剣さが含まれており、シレイアは真顔で頷く。
「そうでしたね……。ここは寧ろ、アイラさんと比較されて光栄ですと言わなければいけないところでした」
「理解力は十分みたいで結構だわ。それでは私は今日、夕方までは時間があるの。シレイアが私に聞きたい事があれば、時間があるだけお付き合いするけど?」
手振りで空いているマルケスの隣の席を促されたシレイアは、素直にそこに腰を下ろしながら笑顔で応じた。
「是非お願いします! まずはクレランス学園の選抜試験に向けての勉強方法について、教えてください!」
「それは人によると思うけど、私が進めた方法についてでよいかしら?」
「はい。色々な方の話を聞いて、参考にしたいので」
「それなら、まず修学場での進学クラス以外での勉強法だけど……」
それからアイラは学生時代から、実際に官吏として働き始めてからの色々な事を、分かり易く語って聞かせた。それに目を輝かせて聞き入りながら、シレイアが時々質問を加え、アイラとちょっとした討論も行う。そんな充実したやり取りを、マルケスは黙ったまま笑顔で見守っていた。
「なるほど、アイラさんは内務局所属ですから、王宮内の運営業務全般に携わっているんですね」
「ええ。でもこれまでのシレイアの話を聞くと、どうやらあなたがしたい仕事は民政局の管轄みたいだわ」
官吏の各所属部門の説明をしたアイラは、これまでのシレイアの言動や表情から推察したことを口にした。その意見に、シレイアが素直に頷く。
「私もそう思います。アイラさんに色々な部署の話を詳しく聞かせて貰って、住民の日々の生活に直接関わっている民政局の話が一番興味を惹かれました。できれば官吏になったら、そこに入りたいな……」
「登用試験に合格して官吏として採用されても、希望する部署に配属されるとは限らないのよ。希望者が多ければ他に回されるし、登用試験に合格するだけではなくて、なるべく高得点を取って上位に食い込めるように頑張らないとね」
「そうですよね……。益々やる気が出てきました。アイラさんとお話しできて良かったです」
本当に充実したやり取りだったと、シレイアは満足した笑顔で礼を述べた。しかしそれを見たアイラは、曖昧に笑ってから戸惑い気味に話を切り出す。
「その……、シレイア? 今まで散々話をしていて、今更こんな事を聞くのもどうかと思うのだけど……」
「アイラさん? どうかしましたか?」
「あなたが官吏を目指す事について、ご家族は反対していないの?」
「え?」
ものすごく言いにくそうに告げられ、シレイアは本気で困惑した。その彼女の目の前で、マルケスが困惑と非難が混在したような表情で、昔からの友人に囁く。
「アイラ……、言いたい事は分かるが……」
「ごめんなさい。でも……」
シレイアはどうしてそんな質問をされた上、二人が気まずそうにしているのか分らなかったが、取り敢えず正直に現状を告げた。
「あの……、両親はどちらも反対していません。寧ろ、最初から応援してくれています。修学場の勉強期間が終わったら、ローダスと一緒に家庭教師に勉強を教えてもらう手配もしてくれていますし」
「そうなの……。それなら良かったわ」
「シレイアの父親は総主教会のカルバム大司教で、今名前が出たローダスの父親は総主教会の総大司教なんだ」
「なるほど。だから修学場を出た後、進学クラスに入らずに個別に勉強を進めるのね」
マルケスの補足説明を聞いて、アイラは安堵して納得した表情になった。そんな彼女に、シレイアが控え目に声をかけてみる。
「アイラさん?」
「変な事を聞いてしまってごめんなさい。でもご両親が揃って応援してくれているなら、何も問題はないわね」
「子供の頃から優秀で給費生になったくらいですから、アイラさんも家族から応援して貰えましたよね?」
「いえ……、両親は大反対したわ。『女が勉強してなんになる!』『働き者の夫を見つけて結婚するのが、女の幸せだ』と言ってね。給費生になれても、それを認めて貰えなかったの」
自分と同様、またはそれ以上にアイラが家族から全面的に応援して貰ったと思い込んでいたシレイアは、彼女の話を聞いて驚愕し、それと同時に怒りに震えて叫んでしまった。
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