午前三時。
卓上仕事はほぼ終わった。
書類を纏めつつ、窓の外を見る。雪はすでに止んで。
構内の方を見ると、二、三センチほど雪が積っていた。
列車の運行に支障は無いだろうが、乗客が滑って転ぶようなことがあってはいけないので、雪かきをする事にする。
ロッカーから雪かき用の道具を取り出す。シャベルのすくう部分をを平べったくした様な形状をしている。
手袋を嵌め、雪掻きを持って外に出る。手始めに、改札口の外から雪かきを始める事にした。
午前四時。
空がほんのり、明るくなって来ていた。
少し熱が入りすぎて、駅前広場のみならず、広場の横にある歩道までやってしまった。
そろそろ切り上げて、構内の雪かきを始める事にする。
しかし、その前に身体が結構冷えてしまっていたので、一旦駅長室に戻り、お茶を飲んであたたまる事にする。
ヤカンに水を注ぎ、仮眠室に向かい、ストーブの上に乗せる。
そうだ、まだりんちゃんは寝ているだろうか。軽く様子を確認する。
――ベットの中は誰もいなかった。
帰ってはいないはずだ。この駅に改札口は一つしかなく、自分はその前の広場にずっといたのだから誰か通ればすぐ気付く。
トイレにでも行っているのだろう。そう考えて、戻ってくるのを待つ。
……五分ほど経った。
まだ彼女は帰ってきていなかった。少し心配になってきた。
気になって駅長室と仮眠室を少し探してみる。ただ、子供一人が隠れられる様なところはあまり無く、ベットや机の下、あるいはロッカーの中ぐらいしかない。全て探したが、見つからない。
もしかしたら、と思い構内にでて、あたりを見渡す。
よく見ると、改札口を挟んで駅長室の向かい、奥のほうに彼女がしゃがんでいるのが見える。パーカーも着ずに、寒いだろう。
何故あんなところに、と思ったがその疑問はすぐに氷解した。
我々大人は雪が降ると大抵嫌悪感しか抱かないが、子供の場合はむしろ好奇心が先に出るのを思い出したからだ。
その好奇心は、寒さを忘れてしまうほどに。
僕はお湯が沸くのを待ち、パーカーとお茶を湯のみに入れて彼女の所へ持っていった。
彼女は僕の予想した通り、雪で遊んでいた。その目は好奇心で輝いているようだった。彼女の前には小さい雪だるまが二つ、並んでいた。よほど熱中していたのだろう、僕が近くに来ても気がつかないほどだった。
「ねえ」とそっと声を掛けると少しおどろいたという反応を見せ、こちらを見た。
「お茶を持ってきたんだけど、飲む?」と聞くと、少し首を横にふりかけて、こくん、と首を振った。
彼女は湯飲みを受け取り、再び首を、と言うよりは背も曲げてお辞儀をした。
それはありがとう、と感謝の意味を表しているのだろう。礼儀正しくてえらいな、と思った。
そしてベンチに座って、ふうふうと覚ましながら飲み始めた。
身体はやはり寒さを感じていた様で、小刻みに震えていた。僕はそっと、パーカーをその小さい身体にかけてあげる。
りんは早く雪で遊びたいようで、雪だるまの方をチラチラと見ていた。
「りんちゃんのお家は何処にあるの?」
彼女は僕の方を見る。
「ここの近く?」彼女が答えやすいように質問してあげる。
首を横に振る。
「遠くの方にあるの?」
こくん。首を縦に振った。
「ここからどの位かかるの?一時間?」
横に振った。
「じゃあ二時間ぐらい?」
ちょっと首をかしげ、小さく縦に振る。
「一人でここまで来たんだよね」
こくこく。二度縦に振る。
「すごいね」と僕は言った。
彼女は「そうかな」と言うように首を少し横にかしげた。
「その、りんちゃんが住んでいる所には雪とか余り降らないの?」
こくり、頷く。
それなら彼女の雪に対する反応も頷ける。彼女はお茶を飲み終わり、僕の方へ湯飲みを渡してきた。そしてふたたび雪で遊び始めた。
「手、寒くない?」彼女の手は冷たさで結構赤く腫れていた。
少し頷く。はー、と両手に息を吹きかける。
「よかったら、コートと手袋貸してあげようか?」
彼女は僕の方を見て「いいの?」と言うように見上げてきた。
「構わないよ」
彼女は立ち上がり、大きくお辞儀をした。お願いします、と言う事なのだろう。
僕は駅長室に戻り、ロッカーの中から手袋を探してみる。
サイズは色々あったが、彼女にピッタリ合うというのは無さそうだった。
それでも一番小さいサイズを探し出す事が出来た。少しゆるそうだが、外れるというほどでも無さそうだ。中を裏返してみる。カビは生えていない。
彼女に渡しに行こうと振り向くと、「ごん」と肘が何かにぶつかる。
下を見ると、彼女が頭をおさえてうずくまっていた。
どうやら彼女は僕についてきていて、僕の後ろに立っていたらしい。そして僕の振り向きに対応できず、肘が頭にぶつかってしまったようだった。
「だ、大丈夫?」僕は慌てて彼女の元にしゃがみ込んだ。相当痛いはずだ。ぶつけた僕の肘も少し痺れているのだから。
彼女はおでこの少し上の部分をおさえ、小さく震えていた。
「ごめんね、後ろにいるとは思わなくて」
彼女は頭をおさえつつ、ゆっくりと立ち上がった。その目には涙が溜まっていた。あとちょっとで流れ落ちそうなほどに。
彼女は首を縦に振った。大丈夫、と言う意味らしい。
「本当に大丈夫?」
彼女は少しの間を空け、首を小さく横に振った。やはり痛いらしい。
「休む?」
こくり。
僕は椅子を持ってきて、彼女をそこに座らせた。そして、氷嚢に氷と水を入れてタオルを巻き、彼女の頭の所にそっと当ててあげる。
彼女は首を小さく横に振り、氷嚢を両手で押さえた。自分で出来る、という事らしい。
彼女の目にまだ涙が溜まっていたので僕はハンカチを取り出し、優しく拭いた。
「本当にごめんね」と僕は彼女の前で地面に正座をして、頭を下げる。
彼女は目を丸くさせ、首を横に振る。そんな事しなくていいよ、という風に。そして首を縦に振った。其の意味は正確にはわからないけれど、気にしてないよ、というように思えた。
僕は彼女に断わって、肘がぶつかった部分を触らせてもらった。やはり、少し腫れている。けれどそれ以上の外傷は無さそうだった。
彼女は身動ぎせずじっとそのまま座っていた。僕は彼女の横に椅子を持ってきて座る。雪かきはあとでもいいし、何よりこのままほっといて仕事をするのは彼女に申し訳ない。
五分ほどして、彼女が僕の方へ顔を向け、じっと見つめてきた。
何かいいたいことがあるのかな、と僕ははじめ思ったのだが、そうではないようだ。
僕は彼女から目を逸らす事はせず、見つめ返す。
彼女の目は一見、無邪気な子供の目をしていた。けれどもその奥に、なにかの違う感情があるように見えた。
しばらくして、彼女は頭から氷嚢を外し、頭をさすっている。痛みは治まったようだ。
再び、彼女に断わって頭を触ってみたが、腫れはほとんど引いていた。
「もう大丈夫?」と聞くと、こくり、と首を縦に振った。
僕は手袋を渡した。彼女はそれをはめた。やはり少し緩く、何かの拍子に抜けてしまいそうだった。僕は手首の所にある紐を引っ張って結び、きつくない程度に調節する。
彼女は自分で手袋の指先を引っ張り、外れない事を確認する。
コートもロッカーにあった一番小さいサイズのを着せてあげる。
ぺこり。彼女は深いお辞儀をして、ホームの奥へ駆けて行った。
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