スズリさんは書類を確認しつつ、説明を続ける。
「分かりやすくするために仮の名前を付けました。無害な方を『無垢の灰』、赤色の方を『彼岸の灰』と。無垢の灰は確かに怪異によって作られたものではありますが、危険性はほとんどありません。ですが『彼岸の灰』は言うまでもありませんね。これが作られたら、あたりにある木はすべて短命な染井吉野になってしまいます、自然環境が壊れます」
「桜って、短命なんですね?」
「というより、短命にならざるを得ないんですよね。もちろん他の桜、たとえばこの灰の元の姿である『エドヒガンサクラ』は樹齢千年を超えるものもありますが、染井吉野ってクローンなんで、元々の寿命が短いし、人の手がないとすぐ枯れてしまうんです。自分たちだけだと遺伝子が濃くなり過ぎてしまうんですね」
なるほど、遺伝子の近い身内や姉弟で子供を作ると、産まれてくる子が弱くなりやすいというのは聞いたことがある。
実際に現実でも、自分たちの血筋を守るために外部の者を家系に入れず、近親婚を繰り返し続けた王家の子供は病弱気味で、次第に衰退していったというのも、有名な話だろう。
そしてその法則は、自然界でも同じということか。
クローンとして産まれた染井吉野は、自身の力では繁殖することも、繁栄することもできない。
人間が意図的に作り出したのだから、当然ではあるが。
スズリさん書類をひらひらめくりながら、続けて言う。
「なので、この『彼岸の灰』がどういった条件で作られているのかを判別しないといけませんね。生み出している主は一緒かもしれませんが、何かしらの意思があるとは思います。もしくは、環境か」
「現時点で、『彼岸の灰』の目撃情報は?」
「無垢はありますけど、彼岸は全くありません。なにせ私たちですら、みなと君が持ってきてくれたのが初収穫でしたからね。ただついさっきなんですが、情報屋玄六から和紙が届いたそうで、虹羽さんが報告に来てくれました。月白の庭園が尻尾を掴んだそうですが、どこで掴んだまではさすがに教えてもらえなかったらしいです」
あの人が取引に使う報酬を渋るわけがないし、顧客第一とまではいわなくても、向こうも情報屋としても売れる情報に限りはあるということか。
虹羽先輩と情報屋玄六は古い友人らしいが、「御友人サービス」はなさそうだ。
「本当に、みなと君は方舟が絶対に守らないといけない子ですね。あれだけ有能だと、庭園はさすがに欲しがらないでしょうけど、『歯車』や『錨』あたりは喉から手が出るほど欲しがっているんじゃないですかね?」
「言われましたよ、歯車に居るやつから。『ゼッタイにあげない』って言い返しましたけど」
「か、顔怖いですよ結奈さん……」
指摘されて、眉間に指を当てる。閉まった眉をぐぐと開いて、表情をほぐす。
「と、とりあえず私からの報告は以上です……あ、いえ、もう一つありました」
そう言いながらスズリさんは机の引き出しをあけて、中から正方形の桐箱を取り出す。
手入れの行き届いた箱の蓋を開けると、そこにあったのは赤色の布地に金色の綴じ紐のついた、手のひらに収まる大きさの巾着袋だった。
みなとが彼岸の灰を持ち帰ってきたときに入れていた容れ物が、桐の素材で劣化を防ぐよう丁重に保管されていたらしい。
「彼岸の灰を包んでいた巾着袋なんですけどね、異象結界が封じ込まれています。きっとローゼラキス王女のものです」
「それは……もらって良いものなんですか?」
「いや、だいぶまずいといいますか、できれば結奈さんから王女へ返してもらえると助かります……。これから向かうんですよね?」
「あら、分かってたんですね?」
「さっきの電話で、戸牙子ちゃんの名前が出てきてたので」
ちなみに、みなとの友人である山査子戸牙子が、ローゼラキス・カルミーラ・ホーソーンの娘であることを知っているのは方舟でも少ない。
目の前にいるスズリさんやシオリのような方舟の重要な資料を管理している人間や、上層部のごくわずか。
逆に言えば、スズリさんがそれなりの立場であるとも言える。
もちろん情報漏洩を防ぐためでもあるが、ローゼラキス王女が自ら「私のことは山査子霞で通して頂きたいです」と言ったから、というのもある。
「実は彼岸の灰って、放置しているとあっという間に劣化して、無垢の灰に変化するんです。それをこの巾着袋が留めておいてくれたんですね」
「まさか、その袋の中は異象結界の中のように、時間の流れがないってことですか?」
「ええと、そうですね。もっと正確に言うと、この中では時間がゆっくりになる感じです。さすがに異象結界を宿した物品なんて、貴重すぎますから……」
ローゼラキス王女や、虹羽先輩にミズチが持つ異象結界。
「常世から最も遠い庭」とも呼ばれるそれは、庭とは例えられるが、いうなればその結界術だけで存在が成立している世界であり、土地であり、星でもある。
ひとつの異象結界は、一個の惑星だと言っても過言ではない。
外の時間の流れや世界の理による影響を全く受けないということは、地球の庇護下にいないということでもあり、別の惑星にいるようなものであるから。
私たち動物だけでなく、怪異や神だって産まれた母星の恩恵を得ずとも、秘密の箱庭だけで存在が維持できる。
その箱庭は、地球に比べれば狭い世界ではあるかもしれないが、行使しているミズチやローゼラキス王女が「創造主」であることは間違いない。だからこそ、死後の世界であり、黄泉の国であると言われる「常世」から最も遠いと呼ばれて、『星』とも言われる。
「異象結界を使えるだけでもレベルが違うのに、それを付与したものまで作れるなんて……。虹羽さんと同じぐらい規格外ですね、吸血鬼の王女様は」
スズリさんは桐箱の蓋を閉じて、箱自体を私に両手で丁重に差し出してきた。
つい流れで受け取ってしまったが、ずいぶん軽いノリで面倒ごとを押し付けられたものだと嘆息しかける。
まあ、実際にローゼラキス王女と会って話したことがあるのは、私とみなとぐらいだし、適任ではあるか。
「結界術を施したものは、虹羽さんでもひとつ作るのにとんでもなく苦労してますよね?」
「簡単に作れるのなら、結界術はもっと普及してるはずですからね」
そもそも結界術自体が保持するのに一苦労な技術であり、ただの訓練だけで得られるようなものではない。
センスや才能も必要になってくるし、長年の経験は言わずもがな。
かといってメリットのある技能かと言われたら、消費エネルギーの方が大きくて「割に合わない」と軽視されがちでもある。
だが、私のような実戦が多い人間からすると、結界術は有用性も高い。
自分の得物をいくつも持たないのが私のポリシーだが、そうは言いつつも長期戦になる場合は弾丸や食料などの補充品を仕舞っておいて、有事の際に手元へ呼び出したい時もある。
そのため、「結界術の行使」はしなくても、「結界術の施された物品」を使うことはよくある。
のだが、はっきり言うとそういった物品の価値はとてつもない。
金銭価値だけで見れば、億をくだらないのが当たり前。むしろただのお金だけで取引できない代物の方が多いため、何かしら重要な物品と交換で得ることも多い。
ローゼラキス王女の異象結界が授けられた巾着袋もその例に漏れないし、虹羽先輩が作る「方舟スタッフ専用GPS」なるものは、その人専用のものを一つ一つ丹精込めて生成しているらしく、完成に数ヶ月はかかる。
私のチョーカーしかり、みなとがかけているネックレスしかり。
これは、虹羽ヤノ特製の特注品でもある。
ただし、違いがあるとすれば王女の巾着袋は「異象結界が施されている」ものであり、虹羽先輩のものは「結界術が施されているもの」であることだろうか。
同じ結界術でも厳密には違う。というかランクや格式が段違いであり、月とスッポンである。
「本当はみなと君にお願いしようと思っていたのですが……」
「私が行きますよ」
「え、えっと、無理してません?」
「してないです」
「ムキになって?」
「ません」
目の前でビクッと跳ねたスズリさんは、書類で自分の顔を隠して目線を合わせてくれない。
どうしたのだろう、なにか怖いものでも視界に入ったのだろうか。
「じゃ、じゃあお願いします……。結奈さんにお任せしてしまうのは非常に心苦しいのですが、今はあなたぐらいしか適任がいないといいますか……」
「いつものことです」
弟ができることであるなら、私がやる。
それぐらいできて当然だ。
「私はお姉ちゃんですから」
情報と桐箱を受け取った私は、スズリさんの言葉を借りつつ、方舟の地下十階にある『硯書庫』をあとにした。
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