咲良が通っている高校の寮まで、電車で約二時間。
田舎、というより山が近い地形であり、学校と寮の近くにはこじんまりとした神社やお寺がいくつかある。
一番近いコンビニに行くにも自転車でなければ難しい距離で、利便性こそ低いが風情はある。
咲良にとって第二の故郷でもある、その寮まで僕は出向いた。
ここには僕が中学生の頃に、姉さんが咲良に会いたいと言い、一緒にきたことがある。
一度きりではあったが、意外にも迷うことなく来ることができたのは、現地に到着してからふつふつと土地勘を思い出したからである。
しかしながらもちろん、僕は道中で咲良の電話に連絡を入れてみた。
僕の邪推が起こした、ただの勘違いであるのなら、その時点で来る必要などないのだから。
しかし、咲良は出なかった。
携帯の電源すらオフにしており、こうなってしまうと連絡手段が一切なかった。
寮の電話番号を調べることができればよかったかもしれないが、だとしても咲良が寮に帰っていないのなら、生徒や先生に聞き込みをしたところで無駄だろう。
咲良の足跡、ならぬ最後の痕跡は、始業式二日前の雅火家でのお茶会。
あの日、曲がり角を曲がるまで見届けた桜色の髪がなびく背姿が、唯一の残り香だ。
それ以外に情報はない。
もしあるとするなら、咲良の持っていた荷物だろう。
彼女の持っていたカバンは、肩掛けタイプだった。キャリーケースではない。
その時点で不思議に思うべきだったのだ。
例年であれば、咲良は正月に帰ってくる時、大きめのキャリーケースをころころ転がして帰ってくる。
その中には服や私物もたくさん入っているわけだが、帰省した時に親から持たされるおみやげを持ち帰るためにも、荷物の余裕をつくって帰省するのだ。
しかし、今回は違った。
そもそもからして、咲良は雅火家で一泊しかしていない。
いや、母親が家に帰ってきたことを知らなかったことから推察するに、ネットカフェかホテルに泊まったのか、下手をすると野宿をしていた可能性すらある。
そこまでして、どうして帰ってきたことを悟られたくなかったのか。
疑問は大きいが今はそこを気にしている余裕はない。
大事なのは、手がかりだ。
咲良に繋がる、かすかな手がかりを掴まなければいけない。
と、焦りだけがつのって、僕は午後九時を越えた頃に咲良の学校付近へ到着したわけだが。
「みなと、あなたはどうしていっつも体が先に動いているのよ。二時間電車に揺られている間、せめて家族である私に連絡するとか考えなかったわけ?」
「ごめんなさい……」
今更、現地に到着してから思い出したように姉さんへ電話を入れて、開口一番呆れ声を浴びる。
彼女の言う通り、僕は咲良のことばかり考えていて、自分の家のことを忘れていたのだった。
平謝りである。
これはもう怒られても仕方ないと、覚悟の上で電話した。
のだが、姉さんはどこか冷静だった。
「もう慣れてるけれど、はあ……」
「あの、えーっと……」
「あなた、咲良ちゃんのことをどう思ってる?」
「どう、と言いますと……?」
「何の連絡もなしで、一週間もどこかを放浪しているのか。それとも、泊まるあてがあるのか」
言われてみて、ようやく冷静な思考能力を得られた。分け与えてもらえた。
自分が焦っている時、他人に相談するのが定石というのはわかっていたつもりだが、所詮つもり止まり。
こういう時、姉さんの冷静さはあてになる。
「どちらにしたって、未成年がそんな大冒険をしているのは危ないわ。まあ咲良ちゃんはみなとの影響をもろに受けてるし、不良行為には慣れてそうだけど」
「ふ、不良って……僕はともかく咲良はそんなことしないって……」
「どうかしら。もしかすると、お金も寝床も、体で得ているかもしれない」
「姉さん、ふざけるな」
思わず、語調が荒くなってしまう。
電話先では沈黙が続いて、暗に「冷静になれ」と促されているようだった。
「あ、姉さん……その、ごめん。でも咲良がそんなことするなんて……」
「厳しく言うわよ。それはみなとの願望でしょう? あの子は女の子よ。年上に好かれやすい愛嬌があって、それを武器にできるだけの器量も、無意識なんだろうけれど持ち合わせている。いくらでも可能性はありうるわ」
淡々と告げるさまは、姉さんが女性だからこそ説得力があるように思えた。
男に取り入っている。その可能性も捨てきれない。
だが僕は、そうであってほしくないと思っていて、つい現実から目を背けている。
信じたくない事実を、虚構と嘘で塗り固めるのは愚の骨頂だと、分かってはいるのだが。
「でもそれは、あの子が『ただの人間である』時の可能性と選択肢ってだけ。そうでないのなら、可能性はもっと増えてくる」
「……そうでない? 姉さん、まさか」
嫌な予感が走る。
体を売っていることは、そうであってほしくないと願いはしたが、いま姉さんが言ったことに対して覚えた予感は、絶対に当たって欲しくないものだった。
「みなと、落ち着いて聞いて欲しい。巴さんが帰ってきた日のこと、覚えてるでしょ」
「もちろん」
「なんで帰ってきたのか、わかる? あの人はね、何の理由もなしにふらふらと放浪する人じゃない。終着点と目標を絞って最短ルートで突き進むの、そうでないと、眠ってしまうから」
「眠ってしまう……? そういえば、起きてるとか寝てるとか、睡眠時間に関する話はしてたけど……あれってどういうことなの?」
「灰蝋巴は、『眠りの呪い』にかかっている。長期間の冬眠、というより仮死状態に入らないと、起きたまま、まともに動くことができない。だから見た目もまだ若いし、弟に年齢が抜かれている。けど注視するべきはそこじゃない」
一呼吸おいて、姉さんは意を決したように続けた。
「あの人は、みなとに興味を持っていなかった。口先だけで、本音を隠しているのはわかっていた。あの時はあなたを守るためについ、カッとなって口論になっちゃったけど、本当の狙いはあなたでも、ミズチでもなかった」
「どうして、わかるの?」
「元師匠だから。彼女のポリシーは、私と同じ。『殺すのなら苦しめずに一瞬で』よ。ミズチの力を奪いたいのなら、みなとだけを殺すこともできるし、みなとを利用するのなら、ミズチの精神だけ壊すこともできる。どんな方法であっても一瞬で行える、規格外な人間。そんなあの人が、何かを見定めていた。でもそれは、あなたじゃない」
電話越しに聞こえる声ではあったが、緊張が走っているのがわかる。
言うことをためらっていると、察してしまえるほどだった。
「巴さんが見定めていたのは、咲良ちゃんよ」
それは、その時点で答えを言っているようなものだった。
神殺しの師匠であり、虹羽さんとためを張れるレベルの人間が、ただの人間をいちいち評価、分析するだろうか。
ありえない。
巴さんが見るのは、巴さんが専門とする分野であり、間違いなく異形と人外に関連した魑魅魍魎、怪異なのだ。
「……咲良が、そんな……」
「もし仮に、咲良ちゃんにそういった傾向があったのだとしても、放置できるのならそれでいいの。怪異は『知ってしまう』と引き寄せられやすくなる。理解できなくても、認識してしまうとあっという間に吸い寄せられる。だから無視でいいの。私たちがいちいち教える必要もないし、関わりを絶縁させようとしなくてもいい。けど、けれどね。もし咲良ちゃんが怪異と関わっているのだとしたら」
姉さんの次の言葉は、飲み込みきれないもどかしさが混ざった声色と共に、放たれた。
「生きていたとしても、急がないといけない。あの巴さんが追っていた件を、他の誰かが追っていないわけがない。咲良ちゃんの身が危ないわ」
「もし、もしそうだとして、どうやって追えばいい!?」
「……痕跡か残り香に似たものを、追うしかないわ。それこそ、あなたの神眼でも使って」
「あ、いや……実は今、ミズチがいなくて……」
「いない? いないってどういう意味よ。別行動なんてできるわけないでしょうって……まさか、あなた、シオリから!?」
インスタントV・Bのことは、さすがに姉さんも知っていたか……。
「あんな劇薬を……。けど、どうして別行動を?」
「いや、戸牙子がミズチに相談したいことがあるって言ってきて……」
「一人で行かせたっていうの!? あなたは本当にもう! それって、今のあなたは半神半人として目立ちやすいのに、自衛策がないってことでしょう!?」
……そうか。
ミズチが心配していたのは、そこだったのか。
ただでさえ波紋を生みやすいのに、自動防御や神眼がないから。
僕は今、狙われやすい。
「……みなと、今すぐ帰ってきなさい」
「それは、無理だ」
「お願い、今のあなたには咲良ちゃんを助けられる力も、見つけられる力もない。丑三つ時が近づくに連れて、あなたの周りに良くないものが集まり始めてしまう。だからお願い、せめて私のそばにいてくれれば守ってあげられるから――」
「その必要はあらへんで、結奈ちゃん」
背後から、関西弁の低い声が入り込んでくる。
焦って振り返ると、そこにいたのは。
「二度目の再開、っていうと意味が重複するんか? まあええか、またおうたな、みなと君」
にかっと爽やかな笑みを浮かべるのは、百九十センチはありそうで、白の革ジャンととんでもなく長い足を活かした黒のパンツを着こなす、銀髪のイケオジだった。
「その声、まさか空木叔父さん!?」
「最近元気にしてるかぁ? なんや姉ちゃんにおうたらしいやん。相変わらず若作りしてたか?」
電話をスピーカーにして双方聞こえやすいようにする。
そして、姉さんは銀髪のイケオジを、空木叔父さんと言った。
この人、巴さんの弟で、姉さんの叔父だったのか……。
似ていると感じていた殺気は、そもそもが血のつながりだったらしい。
身も蓋もないというか、どこでどういった縁がつながるかは未知数というか。
姉さんは少し、声がうわずっている気がする。
久々の再会、ならぬ再会話に興が乗っているようにも。
だが、そんな空気感はすぐ消え去り、次には淡々と説明を始める。
「相変わらずというか……まあ実際二十八歳のはずだしね……。叔父さんはたしかもう四十だっけ?」
「おお、俺が年上の弟で、姉ちゃんが年下の姉ってようわからん関係やんな。次おうた時、どういう接し方すればいいんかわからんわ。しかし結奈ちゃん、君はレディやろ? 年齢に関してはもっと敏感になってくれんとおじさん困るで、まだ三十九歳や!」
あ、年齢へのツッコミ方は巴さんと似ているかも。
「会話の一部始終を聞かせてもらったんやけどな、ここは俺とみなと君が共同戦線をはって探すのがいいと思うんよ。俺はみなと君に借りもあるしな」
「借り? 叔父さん、みなとと知り合ってたの?」
「ちと前にな。まっ、話すと長いんやわ。恩を返すのも含めて、俺がみなと君を守ってやるからさ。結奈ちゃんはダイヤモンドプリンセスに乗った気分で任せてくれや」
「……二回目、なのね」
「まだあと一回はあるんや、今日中なら気にせんでええ」
「……そういうことなら任せるけども」
「逆にや、結奈ちゃんはミズチのとこへ行った方がええんとちゃうか? ここは別行動で効率よくいこうや」
「……勉強になります」
「授業料は500ユーロでどうや?」
「安すぎです。初めて一緒に仕事した時の金額だなんて……もっと払います」
「冗談やって、相変わらず真面目で可愛いなあ!」
豪快に笑う空木さん。電話越しにため息が聞こえてくる。
「それと叔父さん。いえ、灰蝋空木様」
「なんや」
「あなたは、自分の所属する『庭園』の指示で今回の件に関わっているのですよね」
「せやな」
「『方舟』との権益分配は、どうするか決めていますか?」
「あーそういう話はまたあとで」
「いえ、先に決めておかないと……」
「解決できたらにしたらでええんちゃうかって言ってるんよ。取らぬ狸の皮算用って言うやろ? 今から分け前のことやら語りだしたら、鬼に笑われるわな!」
空木さんはどうやらかなり大雑把な性格だ、巴さんと似ている。
むしろ清々しさまで感じられる。人に奢るのが好きそうな初老といった感じ。
「……キートス、セタ」
「Eipä kestä」
ありがとう、叔父さん。
お安いご用だ。
あれ、僕が今聞いたのは日本語ではないはずなのだが。
二人の意思が理解できた、なぜだ?
「そんじゃあみなとくん。俺と一緒に行こか。改めてよろしくな」
銀髪のイケオジ、もとい姉さんの叔父であり巴さんの弟である、灰蝋空木の宣言と同時に、姉さんから「気をつけて」と告げられ、通話を切られる。
空木さんから求められた握手に応じたあと、僕はひとつだけ聞いてみた。
「空木さん、って呼んで良いですか?」
「ん、かまへんで」
「姉さんの、結奈姉さんの幼少期のアルバムとか持ってます?」
巴さんに言っても手に入れられなかったものを、見ることができなかったものを。
数少ない、神楽坂結奈の親戚なら持っているかもしれないと踏んで、聞いたみた。
「あー、あったかもしれん」
「僕、今回何でも協力するんで、終わったらそれを見せてくれませんか!」
「結奈ちゃんへの執念えぐいな君……おもろいやん。分かった、約束や」
取引成立。
こういうのをビジネスライクというのだろう、知らんけど。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!