「……実は、今この瞬間、みなとが幼馴染みを追っていて、その子は多分怪異に取り憑かれているんです。ですがミズチがここに居て、彼の体から離れているということは、今の彼には半神半人としての能力がありません。けれど、そんなことお構いなしに彼は追いかけていて、しかも人質にもされてます」
「人質?」
戸牙子ちゃんが不思議そうに聞き返してくる。
その隣で、霞さんは腕を組んで眉をひそめた。
「……方舟とは違う、別の組織にいる殺し屋が、みなとの隣で一緒にその怪異を追いかけている。みなとは幼馴染みを追っているけれど、その殺し屋は怪異の方を追っている。目標は同じでも、手段の選び方が違う。みなとが『不殺』を貫こうとしても、危険度が高いと判断されたら、殺し屋の方は『殺すのもやむなし』と考えているかもしれない」
「殺し屋がそういう行動を取った場合、みなと君がどんな行動を起こすか分からない」
霞さんがぽつりと発した独り言に、私は内心驚いた。
みなとの性格をよく理解している、というより人心を見抜くのが得意なのかもしれない。
「……まさしく、霞さんの言うとおりです。ですが、私が本当に危険視しているのは、『みなとが自分の命を省みなかった行動』を起こした時です」
「……それは、みなとにとってはいつものことじゃないんですか?」
鋭い突っ込みを戸牙子ちゃんは入れてきたが、霞さんからこつんと蝙蝠羽で頭を叩かれて無言のお叱りを受けていた。
確かに彼女の指摘は間違ってはいないし、よくあることではある。
実際に、この吸血鬼の親子は身をもってみなとの無茶を経験しているのだ。
彼の命知らずな振る舞いで振り回され、救われた。だからこそ、説明がしやすい
「戸牙子ちゃん、あなたの言うとおりよ。でもみなとの中にミズチが居なかったとしても、彼の体にはもう一つ別の生命維持装置がある」
「生命維持装置……? ミズチだけじゃないんですか?」
「戸牙子ちゃん、みなとの裸は見たことある?」
「へ!? な、ななな、なんでですか! 別に何もやましいことはしてないですよ! 男の裸なんて別に珍しくもなんともないですからね!」
頬を染めながら、明後日の方向へ視線を逸らしつつ髪の毛をいじっていて、落ち着きがない。
赤面しながらそう言われると、本当に何もなかったとしても疑いたくなってしまう。喋るたびに墓穴を掘るのは、おしゃべり好きな配信者として致命的な弱点ではないのか?
いや、むしろそれこそが短所であり長所なのだろうか。
「……あっ、そういえばみなとの胸は……」
先ほどまで慌てていた戸牙子ちゃんは、私に言われてみなとの状態を思い出すことができたのか、落ち着きを取り戻した。
けれど、裸を見たことを否定しないとは。本当に何もなかったのか、問い詰めたくなる。
だが、いまは説明するのが先だろう。問い詰めることはあとからいくらでもできる。
「彼の胸にある、『鱗の心臓』はミズチがいなかったとしても、みなと自身の体に血液を循環させて、彼の体を半神半人として成り立たせているわ。それを普段は、神側に偏りすぎないようにミズチがコントロールしているの」
「……それって、ミズチが離れたらまずいんじゃ……」
「まあ、安静にしていれば問題はないのよ。ミズチがいない間は家で引きこもっていれば。多分今日も戸牙子ちゃんへミズチを引き渡したら、まっすぐ学校から帰るつもりだったろうし。それこそ、あの子が右腕を捧げる前の頃は、ミズチモードになったあとはあたりの怪異を刺激しないようにひっそりすることが多かったんだけどね。いえ、戸牙子ちゃん、あなたのせいじゃないのよ? ちょっと! 頭を上げて、土下座しなくていいから!」
「もうびばべごばいばべん……」
彼女は床に頭どころか、口まで擦り付けて綺麗な土下座を見せる。口元をこすりつけているせいで言葉の発音まであやふやだ、申し訳ございませんといったのだろうか……?
いつしか見た、茶道の座礼とは大違いの圧倒的なクオリティ。
この短期間でここまで見違えるとは、きっと練習したのだろう。どこで練習したのかはわからないが……。
「違うのよ戸牙子ちゃん、あれはあなたが悪いわけじゃないの。むしろ受肉したおかげで、死地をくぐり抜けて、お母さんのもとまでたどり着けたのだからね」
「ううっ……おねえさまぁっ……」
顔を上げた戸牙子ちゃんの目から滝のような涙と、羨望の眼差しがあふれ出ている。
もしかするとだが、意外にも、この子はずぶとく見えて繊細な子なのかもしれない。
動画サイトの配信者という、無数の人々から見られる立場にある彼女なら、精神も強固なものであると無条件に思い込んで、信じ込んでしまっていた。
だが実際は、そうではない。彼女が有名人だからといって、そんな簡単に決めつけていいわけがなかった。
神楽坂家のリビングにあるテレビで時たま見かける、様々な配信を楽しそうにやりのけて、そして時たまお口が悪くなる女の子は、どこまでいっても余所行きの顔なのだ。
たしかに彼女は怪異であり、吸血鬼ではあるが、産まれてからまだ十七年程度しか経っておらず、みなとと同い年だ。
まだまだ子供であるから、子供だからこそ、多くの視聴者に可愛がられもするし、注目だって集めているのだろう。
ただ、戸牙子ちゃんは自分の武器の扱い方は熟知しているのだろうけれど、己の守り方についてはまだまだ危うい部分が見え隠れする。
己の守り方、というか。
身の振り方、だろうな。
割り切れないことがたくさんある世の中の無情さに、戸牙子ちゃんの心が追いついていない。
彼女の生き方は、全くの遜色なしに今の時勢の先頭だ。
それは素晴らしいことだし、若者の特権でもあることは間違いない。
だが、時代の最先端を進み続けている彼女は流行には敏感だが、その鋭敏すぎる感覚や感性が彼女自身を追い詰めて、苦しめていることに気付けていない。
世の中に溢れる情報を取り込みすぎて、自分一人の世界だけで解釈して分解し、咀嚼する。
引きこもりどころか、産まれてからずっと軟禁されていたのだから、それが癖になっているのだろうし、そうであることでしか自分を保てなかったというのも分かる。
だが、閉塞的な思考回路の進む先は、『過度な思い込み』だ。
方舟にある山査子戸牙子を記録したプロファイルに「妄想癖」と書かれていたのが、こうして面と向かってみることで、腑に落ちる。
彼女は「自分を助けるために、みなとは竜の腕になったのだ」と、そう考えて己を責めてしまったのだろう。
心の防衛策を持っていないと、山査子戸牙子はいつか倒れてしまうのではないかと、そんな杞憂をしてしまうぐらいであった。
実際のところ、みなとが受肉をしたのは戸牙子ちゃんの責任などではなく、あの子が自分の意志を貫いた結果なのだから。
閉じ込められた吸血鬼の女の子を助けたい、救い出したいと思ったがために、彼は右腕を差し出した。
だから戸牙子ちゃんが悪いわけではない、断じてない。
ないはず。
そう、思っていたが。
目の前で座り込んで泣きべそをかいている吸血鬼の姿を見ていると、みなとが背負った罪の責任を彼女にも背負ってもらう方が、私の気も楽になるのではないかという、悪質な甘えが出てきてしまう。
言霊というのは理不尽で厄介極まりない。
誠心誠意で謝っている彼女の方が悪いのではないかと一瞬でも勘違いしてしまうのだから、口は災いの元だ。
「……話を戻しますね」
潤んだ目で見上げてくる戸牙子ちゃんを半ば無視する形になったが、私はミズチに視線を向けながら説明を続ける。
これ以上泣き顔を見ていたら、私は彼女に対して焦慮を覚え始めてしまいそうだったから。
「もしみなとが、ミズチのいない状態で大きな怪我を負ったとしたら、彼の再生能力は彼の力、もとい血から行われる。ミズチは、ざっくりとした言い方になるけれど、フィルター役なのよ。みなとの心臓から全身に送られる神血はそのままだと害が多いから、フィルターを通すことで毒性を取り除く。戸牙子ちゃんは血清って聞いたことあるかしら?」
「えっと、解毒薬みたいなものですよね」
「そう。それがどうやって作られているかは?」
首を横に振る山査子戸牙子。彼女は人間とヴァンパイアのハーフで純粋種ではないとはいっても、正直驚きはした。
いや、いまの時代では“ダブル”ヴァンプ、というべきか。
ハーフという言葉は「半人前」という意味合いが前に出てきてしまうため、差別的な用語になってしまう。
戸牙子ちゃんは、古い吸血鬼でありながら、新しい世代だ。
しかし、血を吸うヴァンパイアは毒に関しては敏感であるはずなのに、血清のことを知らないとは。
世代交代すれば価値観も変わるものだと言える代表例なのかもしれない。
まあ、吸血鬼は「普通の毒」が効かない体質だから、というのもあるのか。
「血清はね、まず毒を摘出したあと、それを別の動物に微量ずつ投与して、免疫や抗体ができあがったらもう一度その動物から血液を採取するの。別の動物を介して、本来の毒性を無害にする。これをできるのは、ミズチだけなのよ」
「……あれ、でもおかしくないですか? みなとの胸にある心臓って、ミズチのものなんですよね? 体が一緒になっているのなら、そもそも流れる血液も毒にはならないんじゃ……?」
「ああ、そうか。あなたはダブルだから、それが当たり前になっているのね」
「だぶ……え?」
「戸牙子ちゃん、移植手術をしたら拒絶反応が起こるなんていうのは、聞いたことあるでしょう? 事故で怪我をして血が減った時、同じ血液型でなおかつ身内でないと、輸血がうまくいかないこともある。それと同じで、みなとのは『移植した心臓』なの。これを聞けば、ミズチの居ない状態がどれだけ危険か、わかるんじゃないかしら」
戸牙子ちゃんとみなとは確かに人間と怪異のハーフではあるが、そうなった経緯が違う分、抱えている問題も変わってくる。
先天性の戸牙子ちゃんなら自分の体が持つ法則は、産まれた時点で決まっている。
しかし後天性のみなとの場合、元々持つ人間の性質と、ミズチが持つ怪異の性質がぶつかり合って、喧嘩してしまうこともある。
非常に珍しい体質であり、人にも神にも寄りきらず、分ち難いからこそ、彼は「半神半人」という種族だと定義されている。
腕を組んで黙々と思考の世界に入り込む戸牙子ちゃん。
血に関することは吸血鬼であれば当たり前にもっている知識だと思っていたけれど、どうやらそれは、私の経験則による先入観というか、偏見だったようだ。
だって彼女は、血がなくても生きていける、新吸血鬼なのだから。
「フィルター役がいないまま、もし誰かに襲われたとしたらみなと君は間違いなく、心臓の力に頼るでしょう。いえ、それは彼のせいではなく、防衛本能に基づく行いですから、頼るなんて言い方はよくありませんが。彼に、自衛の手段がある場合を除いて」
黙り込んで考える娘の代わりに、親である霞さんが言ったことは、的を射ている。
だが、私は彼女の言った後半部分に、もっと言うと最後の一言に疑問を覚えた。疑問というより、違和感というか。
まるで、みなとが「神力以外の自衛手段をもっている」ことを知っているような言い方に、不自然さを感じた。
「……霞さん、あなたはもしかして、みなとに何か教えたんですか」
「結奈さん、それは大きな誤解です。彼は、神楽坂みなとという人間は、『誰かの背中を見て覚える』タイプなのでしょう? 尊敬する人や、強い人や、憧れの人の背中を追いかけるため、自分の持てる力と知恵を振り絞って、できないなりに真似ようとする。だから、もし私が教えるような行動を見せたのだとしたら、それは彼の吸収力がすさまじいだけです」
「あなたほど聡明なお方なら、自分の行動がどういった影響を与えるかなど百も承知しているでしょう。むしろ、その先まで見据えて何かを託した、私はそう感じます」
「買いかぶりすぎではないですか? いえ、思いつめすぎ、という方が適切なのでしょうか」
思いつめすぎ。
なるほどどうして、バレバレではないか。
霞さんは私がくだらない対抗意識を燃やしていることだけでなく、悪い虫が付くのを警戒していることまで察して、よこしまな意図があったわけではないと念押ししてきたのだ。
ここまで先回りするというか、見透かして物をいうところはどこか、虹羽先輩と似ている。
長生きすると生き物は皆、こうなってしまうのものなのだろうか。
尊敬はするけれど妙に癪というか、距離間が計りづらい。どうやったって私たち人間が辿り着けない領域を、目の前で見せつけられているようなものだから。
「ですが、もしこの場で何かを知っている人がいるのだとしたら、きっとミズチではないでしょうか?」
「ミズチが?」
「私以上にみなと君の側にいる人の方が、彼にどういった変化があったのか、把握しているでしょうから」
霞さんに促されて、ミズチの方へ向き直る。
彼女は私の無言の追求へ、グラデーションのかかった紫色の毛先をくるくると指でいじりながら、面倒そうに答えた。
「みなとには、第六感がある」
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