上半身をさらけ出した僕の体を見据える姉さんの目は、猛獣のように鋭かった。
鱗の心臓を一瞥すると、鋭利な眼光をミズチに移す。
「ミズハノメちゃん、説明しなさい」
「こ、これはな……じじいとの戦闘が苛烈じゃったから侵食のスピードが早かったというな……」
狼狽するミズチに、姉さんはひたりと歩み寄る。
距離が近づくたびに、ミズチの顔色がどんどん青ざめていく。正座で縮こまる彼女を見下す姉さんの殺気が増していく。
「それを止めるっていうのが、私たちの契約でしょ?」
「き、聞いてほしいんじゃ結奈! こやつは、みなとはちょっとどころか、かなりおかしいんじゃよ! 普通なら神通力をあれだけ使って正気を保っていられるわけがないし、わしがついぞ出来なかった龍昇りをあっさりやってのけたんじゃぞ!? わしも侵食を必死に止めようとしておったんじゃ! だがそれすら超える勢いの変化だったんじゃ!」
「……竜化したのは、右腕だけ?」
「そ、そうじゃ……」
「あなたの右腕は?」
「大きな異常はないんじゃが……白式を無傷で受け止められた」
「あなたが? みなとじゃなくて?」
「そうなんじゃよ……受肉したから調子乗って、多少傷は負う覚悟でこやつを守るために手を出したら、あっさりと止めてしまえた……」
「ふうん、そう」
姉さんは興味なさげに相槌を打ちながら、僕の心臓に手を伸ばしてくる。
ぺたぺたと、触り心地を確認するような手つきがくすぐったい。
そしてその手は、心臓から上、つまり首筋にまで広がっている鱗をつたう。
「あの、二人が何を話してるかわかんないだけどもさ……」
「知らなくていいわ。いつか教えられる時がくるから」
姉さんとミズチの契約やら、ドラゴンイマジンやら、知らない単語が気になったから聞いてみたら、つんと素っ気ない返事。
人から無愛想にされるって、傷つくよね……。
「ねえミズハノメちゃん、さっきからいろいろ言い訳してるけど、どうせあなたが吸血鬼の女の子を誑かしたんでしょ? 吸血鬼としてのファーストバージンぐらいは好きな人にあげたらいいんじゃないかって」
ミズチが正座したままビクッと跳ねる。
「きっかけがそれなのは決まってるじゃない。鬼と吸血鬼と人間の混ざった血を吸ったってことが、一体どれだけの影響を与えるのかを考えなかったの?」
「や、その……」
「さぞ美味しそうだったんでしょうね、そのパープルブラッドとやらは。だからみなとも逆らわなかった。本能のまま、欲望に身を任せて吸った」
姉さんへ説明をする時に、必死に隠していた欲望的な行動の部分を見抜かれて、リンクしている僕たちの心臓がドキンと跳ねる。
「うーんそうね、良い案が思いついちゃった。夜遊びを教えてしまうわるーい神様を右腕から引きずり出して、燻製にして、食べてしまう方がいいかしら」
「ユルシテ……ワシ、オイシクナイ!」
姉さんの放つ真顔の冗談だけで全身が痙攣し始める。
ミズチはヘビなのに睨まれたカエルのように弁明しながら、姉さんに向かって土下座した。
これだけで、姉さんとミズチのパワーバランスがよくわかると思う。
「あそう、じゃあその立派な角を飾りとしてこの家に置いて、じっくり眺めて楽しもうかしら。お肉は神喰いの子供にでもあげるわ」
「みなと! お前さんも何とか言ってくれ!?」
小声で僕に助けを求めてくるが、無理。本当にごめんミズチ。
怒らせた姉さんをたしなめる方法なんて、僕にはない。
僕はこれまでも止められる側であって、姉さんの怒りを鎮められたことなんてこの短い人生で一度もないんだから。
あばよマイゴッド、お互い冥土で会えたら「おめでとう」と笑い合おう。
「ミズハノメちゃん、私の血を吸いたいんじゃないの? おいしいおいしい処女の血をちゅうちゅうしなくていいの?」
「びゃああああぁぁぁ!? 痛いっ! いたいいぃぃい!?」
なんと、姉さんは土下座をして床に近づいていたミズチの角を、足の指で挟み込んで拘束し、グリグリとフローリングに押し付ける。
目の前で行われるえげつない行為の恐怖に失禁しそうになり、歯ががちがちとシバリングし始める。
「みなと君、あなたはすぐそばでロリロリ女の子が絶叫を上げて泣き叫んで許しを請うてるのに、なーんにもせずガタガタ歯ぁ鳴らして怯えちゃって、助けてあげないんだね?」
「僕は、だめな男です……」
「ええそうね、ああなんてダメな男、可哀想で可愛い私の弟。一生恋人のヒモとして暮らしてる売れないアイドルみたいな男の子ね?」
「そうです……僕はクズ男です……ごめんなさい……」
そうだ、僕は生きてる価値なんてない男だったんだ。
せっせと働いている人の甘い汁だけを啜り続けて生涯を終えてから「本気出してなかっただけだし」と言い訳するような、クズ鈍感チート無双系ウェブ小説主人公だったんだ。
なぜ自覚できていなかったのだろう、こんなことなら早めに臓器でも売りさばいて、その全額を少しでも人のためになる募金に回したらよかった……。
「ああなんて可愛いのかしら、私の弟は。うるうるみじめに涙を落としちゃって、さすが水の神様ね? その涙から宝石だって治療薬だってできちゃいそう。私なら媚薬を作るわね」
「なんとでもしてください、僕の五臓六腑すべてどう料理してくれても構いません……。というかいっそ殺して……」
「あらまあそんなこと言わないで、もっともっと泣いてる姿を見たいのだから。あなたの涙は蜜の味よ」
「涙は塩味です……」
「悲しい時に出てくる涙は甘いのよ、舐めたらわかるわ。舐めてあげようかしら?」
「はやくぼくをころして、神殺しさん……」
瞬間、隣で金切り声のような絶叫を上げ続けていたロリっ子が、解放される。
姉さんの力が弱まったタイミングで、ざぶりと勢いよく拘束状態から脱し、僕の背中に回り込んでぴったりとくっつく。
「しゃっ、しゃしゃあ! しっ! しびゃあ!」
「何を言ってるのミズハノメちゃん、私の血は吸いたくない? どうしたのいじけちゃって、ちょっと遊んであげただけじゃない」
「しゃぁっ、しっ!」
「もっとおいしいのを見つけたから? へえ、でもそれって私が許可した? そんな覚えないし、それって不倫じゃないの?」
「しゃい!?」
なぜわかるんだ、姉さん。
ちなみに僕はさっきからミズチが何を言ってるのか分かっていない。彼女が上げているのは鳴き声である。
こういう特殊な言語があったのだとして、理解するまでにどれだけの時間がかかるのか。
「ところでみなと、キスできる?」
「……え?」
「私とキスできるかって聞いてるの」
そういえばそんな約束をしていた。
帰ってきたら、私にキスしなさいと。
でもあまりにも、唐突すぎないか……?
「あらそう、できない?」
「何も言ってないよ!? できます、やらせていただきます‼」
「なら良いわ」
もう僕は姉のいいなりです。逆らう気が起きません。
姉さんは僕の肩に手を伸ばして引っ張り、近づいた端正な顔立ちに見惚れる。
これでも一応僕は男であり、しかも理想の女性から扇情的な振る舞いをされて緊張しないわけがない。
だが、この時ばかりは跳ねる心臓の高鳴りが、恐怖による震えなのか性的興奮による激動なのか、判別はつかなかった。
「はい、それじゃあいただきます」
彼女の宣言で僕は覚悟を決めて、目を閉じた。
僕自身これが異性とのファーストキスであり、目を開けながらする度胸がなかったからという情けない理由で。
だから、唇に当たるはずだった柔らかい皮膚の感触が、首元に吸い付いてきたことに気付くのは数秒かかった。
不自然な感触を覚えて目を開けると、姉さんは僕の口元ではなく、首筋にその温かく湿り気を帯びた唇を当てていた。
そしてそのまま、まるで吸血鬼のように、血を最後の一滴まで残さない気概の吸引がされる。
血が出てくることはないが、首というのは意外にもくすぐったい部位である。
くすぐったいというのは、性的快楽を持ちやすい部位でもあるらしい。
僕は、姉さんのきつめな吸引に柄もなく興奮を覚えてしまっていた。
そして、十秒ほどの快楽の時間は終わりを迎え、姉さんの唇は離れていき、透明なよだれが糸を引く。
「このキスマークが消えるまで吸血禁止ね」
「「え?」」
「破ったら、んふふ、おしえない」
「「やぶりません」」
僕とミズチはヘドバン並みに高速で頷き、神殺しの慈悲をいただけた。
今日が人生最後の日にならなかった幸運を、ミズチと力強く抱き合って噛み締め合った
「そうそうみなと、あなた宛てに手紙が来ているわ」
「手紙?」
テーブルの上に置かれている、和紙の封筒に包まれたそれを指さして、姉さんは続けた。
「それ以外のことは、きっと虹羽先輩が言ってくれると思うわ。私は今回の件、ほとんど関与できなかったし。と言っても、神力を解放させた責任もあるから、注意だけしておいたけど」
「ちゅうい……?」
「こらミズチ!」
「なに?」
「なんでもないです!」
素朴な疑問が声に出てしまったミズチの口を無理やり塞いで、なかったことにする。
「あれは脅しだったよね?」とか野暮なツッコミをしたら、またお説教が飛んでくる。
今日の姉さんは比較的機嫌が良い方なのだ、触らぬ神殺しに祟りなし!
「それじゃあ、さすがに徹夜しすぎたしゆっくりする。寝相が酷くなりそうだから、今日は一緒に寝なくていいわよ」
「わ、わかった……」
「あと、冷蔵庫の中に飲みたがっていたピーチジュースあるから、好きな時に飲みなさい」
「あ、ありがとう……!」
なんて気が回る家族なんだろう。こんな姉さんを持てて僕は幸せだな!
羨望の眼差しを背中に送り、姉さんの撤退を見届ける。
「……さて、この手紙さ、なんか見覚えがあるというか……」
「はぁはぁ……和紙の手紙、か。虹小僧も、ピエロの餓鬼も持っておったの……」
「やっぱりそうだよね」
息も絶え絶えなミズチだったが、判断力自体は落ちていないようで安心する。
見覚えがあるどころか、材質がほとんど一緒だった。
手触り……は確認できていないが、ぱっと見のそれだけでなく、じんわりと暖かみのある暖色までもが。
「き、危険なものじゃないよね……?」
「あの結奈がそれを通すわけないじゃろうて」
それもそうだ。
姉さん以上のセキュリティなんて、この世にいくつもあってはたまらない。
封筒を手に取る。
差出人は書いていない。
しかし僕がそれを手に取った瞬間、とある一文が金色の火で燃えるように、そして黒く焦げついて浮かび上がる。
『俺の家族を守ってくれた恩人、神楽坂みなと君へ』
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