Verbrennen musst du dich wollen in deiner eigenen Flamme: wie wolltest du neu werden, wenn du nicht erst Asche geworden bist!
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう。
冷たい。
溶岩で焼かれたような痛みを訴えていた右腕が、ひんやりとした心地よさに包まれている。
水袋で優しく覆われているような感触だ。
先ほどまで全身に駆け巡っていた熱さが嘘のように、落ち着いている。
ここはどこだろうと、不思議に思って目を開けてみると。
「みなとくん、みなとくん!」
そこには咲良がいた。
僕の顔を上からのぞき込んでいる彼女は、目をぐじゅぐじゅに潤ませ、涙の跡を頬にくっきりと残し、目尻まで真っ赤になっている。
長時間泣いていたことが分かる、普段の柔らかい顔つきが嘘みたいだ。
「よかった、良かったよぉ……!」
僕の覚醒に安心したのか、彼女はほとんど倒れる勢いで僕の胸に顔を埋めてきた。
ゆっくり辺りを見回すと、天井には真っ白な電灯が点いており、僕が一人用のベッドに横たわっている状態であることが分かる。どうやら室内のようだ。
ベッドに染みこむほど衣服がぐっしょりと濡れているのは、水ではなく汗のようで、ここは現世であることを実感する。
死んで天国や地獄に訪れたわけでもなく、夢でもないと認識できる判断基準が汗というのはなかなか、人間らしい気がしなくもない。
いや、「生きている者」らしい、と言うべきか。
嗚咽を繰り返している咲良へ、なだめるつもりで話しかける。
「よ、よお咲良」
「なにが、なにが『よお』よ!? こんな火傷をしてまで、どうしてそんなのんきなの!?」
きつい視線が刺さる。
咲良がここまで取り乱すというか、少々ヒステリックに思えるぐらい動転しているのは、久々というか、もしかすると見るのは初めてかもしれない。
少なくとも僕はあまり見たことがない。
咲良は結構これで冷静というか、姉さんとは違った方向で落ち着いている。
姉さんが氷のように固く冷たい沈着さを持っているのとは違い、咲良は日だまりのように暖かく受け入れるような包容力を持っている。
もちろん、こんな真っ黒な煤で覆われた大やけどを目の当たりにして、冷静でいられる方がおかしい話であるのだろうけれど。
しかし。
なぜか、そんな風に「人間らしく」動転している咲良を見て、涙がこぼれてきた。
もらい泣きしたみたいに、僕の目にもじんわりと熱いしずくがあふれ出てくる。
「ど、どうしたの! もしかして火傷が痛む!?」
「……ああ、いや、違うんだ」
おかしい話だろう。
今更、人の心を思い出したように、涙するなんて。
いいや、違うな。
きっとこの涙は、安心なんだ。
まだ僕の中に、人としての感情が残っていること。
そして、咲良が正気を失っていなかったこと、人間として生きていてくれていることへの、安堵。
涙は溢れているが、自然と笑みを浮かんできた。
「また会えて嬉しいよ」
「……ばか、のんきすぎるよ」
ベッドに横たわる僕のそばで、咲良は眉間にしわを寄せて不服そうに頬を膨らませる。
右腕が上がらない。代わりに左手で咲良の手を握りしめた。
泣いている彼女をなだめるように。
そしてそれ以上に、僕自身が小さな喜びを噛みしめるように。
あれ、というか僕の右腕はどうなってるんだ……?
気を失う前に焼けただれた皮膚を見たから、正直改めて直視するのは怖かったのだが、意を決して自分の傷と向き直る。
すると、そこに広がっていた光景は意外なものだった。
「……あ、手当してくれたのか」
「その、こんな広範囲で黒ずんでいるのなんて、どうすれば良いのか全くわからないから、冷やすことしかできなかったけど……」
右腕をよく見てみると、透明なビニール袋で肩まで綺麗に保護して、それを水の入ったバケツにだらりと入れられている。
なるほど、大やけどの時に衣服を脱がすと悪化するとは聞くが、こうやって真空状態を作り出してその上から水で冷やすのは、確かに効率が良さそうだ。
「ありがとな咲良、ちなみにここってどこだい?」
「私の寮」
「……え、たしか咲良の学校って女子校……」
「女子校に夢は見ない方がいいよ」
「いやいやそこじゃない、男子の僕が入ってしまってる事態がやばいっていう話で……」
つまり、咲良は寮の自室まで僕を連れ込んだということになるわけか。
唯一、咲良の寮室は一人用の個室であるのが救いな気もするが、逆にこんな密室で二人きりというのもまずい気はする。
入ってきたところを、他の人に見られていなかったのだろうか。
「大丈夫、裏口をピッキングして、カメラの死角も考えて動くのは慣れてるから」
「なんだい、君は探偵でもやっているのかい?」
「他人のためなら不良行為も辞さない誰かさんに似ちゃってね。巴さんにも言われたし、最近はマーシャルアーツの会得も考えてるよ」
「探偵に見せかけた、探索者を目指すつもりかよ。一人旅どころか神話生物も見据えているじゃないか」
それこそ、クトゥルフ神話の世界で探索をするプレイヤーのように、自分のスキルを磨き上げようとしている咲良に対して、尊敬すら覚える。
本当に旅をするつもりなのだろうか。
「っていうか、そうだ。咲良、君は一体どのタイミングで目を覚ましたんだ? 僕のことをどこで、何時ごろに、この寮へ連れ込んだんだ?」
「そんなに焦らないの、ちゃんと私から言えることは言うから。だから大怪我人は静かに寝てなさい」
「ご、ごめんなさい……」
なんだ、この逆らえない威圧は……。
恐怖ではない。むしろ安心と温かみを覚える、えも言われぬ威圧感だ。
そう、例えるなら母親のような……。
「何か失礼なことをお考えのようですね」
やばい、顔に出ていたか!?
ここで一つ補足しておこう。
咲良は本気で怒っている時、仰々しいぐらいの敬語になるタイプである。
それこそドラマの好みで戦争になりかけた際も、その片鱗は影をちらつかせていた。
同い年でタメ口が当たり前の幼馴染みが、急に敬語になると怖いよね。
そういうギャップ的な心理作用まで狙っている戦略であるのなら、末恐ろしいぜ、咲良。
「えっとね、大口叩いたけど、実は私が説明できることは、本当に少ないの。今から数ヶ月前、夢遊病みたいにあたりをふらついたり、記憶が無くなっていたりすることが増えたのが、多分はじまり」
「数ヶ月前から……。厳密な時期で言うと?」
「たしか、冬休み前かな」
それは、僕が心臓を穿たれ、ミズチと取引をした時期でもある。
まさか、な。
「今回も、その症状が出てきて、起きたらみなと君が隣で倒れてて。パニックになったけど、ここが私の寮の近くだったことに気付いたから、無理矢理引きずって連れ込んだの」
「それは……病院に行って診断はしてみた?」
咲良が目を細める
呆れを通り越して、軽蔑すらしているような、鋭利な眼力だ。
「あのさ……どうしてみなと君はそんな怪我をしてるのに、私のことばっかり気にするの? もう少し自分の身を考えて欲しいんだけど」
「いや、ええっと……」
心配してもらえるのはありがたいが、僕の傷は時間さえかけたら回復する、とは言えないな。
「はあ……そういう人だってのは昔から知ってたけども。本当に、気持ち悪いぐらい身内想いだよね、失礼を承知でドン引きします」
「清々しい申告どうもありがとう、泣きそうだぜ」
これでも女の子のために体を張ったという、名誉の負傷に近い誇りがないわけでもないのだが、そんな風に思うのは傲慢だな。
戸牙子の件で、僕は嫌というほど、身にしみて痛くなるほど理解したはずではないか。
力を貸すことはできても、それがその人の救いになるとは限らないのだと。
神様になったからといって、調子には乗るなと。
「まあ、もちろん病院に行って診察を受けたよ。けど原因不明。思春期特有のストレスやホルモンバランスの影響で、不安定になりがちなんだとしか言われなかった。でも――」
咲良は、僕の手を握りしめて切実に問いかけてくる。
情熱的とも言えるような、赤く熱い眼差しで。
「みなと君に呼びかけてもらえた時、今までふわふわと宙に浮いていた意識が、しっかりと地べたに足をつけたように、明瞭になった。夢から覚めたのは、あなたのおかげだよ」
「……なんだって? まさかあの時、君は意識があったのか?」
咲良は、どこか不機嫌そうにため息をつきながら目線を逸らした。
どうやらまた呆れられたように見えるが、今は彼女の気持ちを察するより、結果の方が重要だ。
彼女の声色はひどく暗いが、続ける。
「……夢を見ていた感覚に近いけど、少しだけ思い出せた。それも、みなと君を見ていたらどうしてか、今までのことも」
「今まで、というのは?」
「ここ数ヶ月のことだよ。私が意識を無くして動き回っていることはわかっていても、何をしていたかまでは覚えていなかった。いつの間にか寮に戻っていたり、トイレで目覚めたり、森の中で木にもたれかかって昼寝していたり。そういう事後は覚えていても、多重人格みたいに失われている記憶の部分はすっぽり抜け落ちていたの。だけど、今はほんの少しだけ思い出せる。夢遊病状態の私は、いつも何かの木に触れていたことを」
まるでそれは、記憶喪失になっていた人間が、とあるきっかけで忘れていたものを取り戻すような言い方だった。
しかし、僕を見ていたら思い出せるというのは、よくわからない。
「というか、悠長に話してる場合じゃなかったよ! その火傷を治療しないと、命に関わってくるよ!?」
「……いや」
これはもう、仕方ないかもしれない。
僕から先に、彼女へ真実を言わないといけない。
真実、とは言いながらも、結局それは僕らが信じている物であって、社会的に見れば空想だと言われるおとぎ話ではあるのだが。
あの力が、化学現象なわけがない。
咲良の触れた木は、彼女の手が離れたら一瞬で灰となり、そしてその灰が降りかかった木はどれも「染井吉野」になるだなんて。
論理的な説明で片付かない、怪奇現象。
その怪異に操られている、咲良。
もし仮に、彼女が乗っ取られて意識を失い、記憶も綺麗さっぱりなくなっていたのであれば、知らないふりを貫くこともできただろう。
しかし、咲良には自覚がある。
いや、僕という存在が自覚させてしまったのかもしれない。
僕は人間のつもりだが、半神半人でもある。
つまり、怪異なのだ。
怪異と関わってしまったのなら、対抗策を持つべきであり、自衛策を身につけなければいけない。
見て見ぬ振りは、通せない。
知らなかったからでは、済まされない。
そうしなければ。
怪異に魅入られ、死に見初められる。
まともに生きるどころか、ただ生きていることすら、難しくなる。
「咲良、僕の右腕はきっと、普通の火で負ったやけどじゃない。もっと違う、魂や神性の部分を焼かれてできた傷跡なんだ」
「た、たましい……?」
幼馴染みがいきなりスピリチュアルなことを言いはじめて、動揺するのも無理はない。
だから、手っ取り早くわかるもの。理解ができて、信用できる判断材料を見せつけるしかない。
上着を脱いで、シャツのボタンに手をかける。
左手だけしか使えないが、意外にもボタンを外すときは片手でもできるものだ。
「ちょ、どうして脱ぐの……!?」
目の前でいきなり男が裸を見せようとして、恥ずかしがるあたりはちゃんと女の子だ。
まあ、顔の向きは明後日の方向ながら、目線はチラチラとこちらに向いている気はするが、結局見てもらうべき部位は素肌なわけだし、いいだろう。
シャツの前をあけて、左胸をあらわにする。
つい先ほどまで遠慮がちに見ていたのに、そこが視界に映ったのか、咲良はぎょっと目を見開く。
右腕の大やけどなんかより、信じられないものを、直視したように。
「みなと君、それ……」
「僕は、咲良のことを大切な親友で、幼馴染みだと思ってる。でもこれだけは、君であっても絶対に言うつもりはなかった。巻き込みたくもなかったからさ。だけど――」
どくん、どくんと跳ねる心臓に触れる。
生きている。だが人の物ではない、鱗の心臓に。
「君は知らないといけない。そうでなければ、君は自衛の手段もないまま、何も知らないまま、殺されるかもしれないのだから」
固唾をのんで、咲良は次の言葉を待つ。
「咲良。僕はね、姉さんが殺し屋だと知った日に、神様になってしまったんだ」
心臓が大きく跳ねた。
空色の鱗に包まれた、人の物ではないそれが、自己主張したように。
姉さんも、こんな気分を味わったのだろうか。
巻き込みたくない人に、真実を教えなければならない罪悪感を。
暴いてはならない秘密に触れてしまった一般人に、事実を知らせてしまう虚しさを。
神楽坂結奈も、味わい続けていたのだろうか。
今になって、姉さんのことを哀れんだ。こんな重荷を背負っていた彼女のことを。
そして背負わせていた僕に、自己嫌悪した。
あの人は、やっぱりおかしいよ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!