非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
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079 また、学生らしく

公開日時: 2021年6月18日(金) 21:00
更新日時: 2022年4月6日(水) 02:23
文字数:4,494


「あ、みなと君お疲れ様、もう帰るの?」

 

「はい、家のことをしないといけないので」

 

「すごいね、結奈ちゃんの代わりに家事してるんでしょ?」

 

 今日は四月十二日。

 僕が姉さんの母校である通信制高校に、初めて学生として通学した記念すべき日である。

 もちろん見学や説明で以前に来たことはあるが、改めて学生として通い始めるのは今日が最初である。

 

 けれどまあ、数年前に卒業した姉さんを知っている先生も多いからこそ、僕のことはむしろ顔なじみの生徒として扱ってくれている。

 もしかすると、気にかけてくれているのかもしれない。

 

 姉と弟の二人暮らし。

 しかも年齢が二十一歳と十七歳。

 大人から心配に思われるのも、仕方のない話だろう。

 

「結奈ちゃんの生活を支えていた弟くんって聞いてたけど、しっかりしてるわよね。料理もできるなんて」

 

「あはは、稼いでくれていた姉さんがいたから、できたんですよ」

 

「お姉さん思いね」

 

 帰り際、僕は先生から軽く世間話を振られた。

 新天地でのコミュニケーションは大事ではあるし、時間も余裕はあったのでこちらも気になることを聞いてみる。

 

「そういえば、姉さんって学校ではどんな印象をもたれてました?」

 

「結奈ちゃん? うーん、そうねえ」

 

 三十代前半ぐらいに見える女性の「南野なんの先生」は、思索にふけって記憶の海を巡り、数秒後に口を開く。

 

「冷静で知的で、全然動じなくて誰よりも客観的で――」

 

 先生であっても、姉さんに対する印象はやはりそんな感じかと、僕は納得しかけたというか。

 神楽坂結奈という人間を見たときに誰でも思いつく、当たり前でありふれた返答が帰ってきたことに妙な安心感を覚えた。

 いや、むしろその程度かと軽んじていた、のだが。

 

「――そういうね、ただただ冷たい女の子って印象は持たなかったね」


 一瞬、予想外の口答に虚を突かれ、僕は思わず食いつくように南野先生の言葉を待った。

 

「何かね、すごく自分を追い詰める癖があったというか。重い責任を課して、達成することを楽しむのはよくあることだけれども、その『重圧』すらも楽しんでいるみたいな……。もちろん、みなとくんを養うためっていう、使命感が駆り立てる意識も強かったとは思うんだけど。結奈ちゃんは周りに頼ることはせずに、相談もしてくれなかった。本当はもっと話したいことがあったんじゃないかって、勝手に考えてしまうの。先生たちは、あの子にもう少し頼ってほしかったって、今でも思ってる」

 

「そう、だったんですね……」

 

 南野先生は、見抜いている。

 彼女はしっかりと、神楽坂結奈のことを、一人の生徒として見守っていた。

 

 結局、怪異に関わっていて、殺し屋もやっていたことを隠し通した姉さんの勝利ではあるのだろうけれど、時効は成立していない。

 手助けはできなくても、頼りにはしてほしいと今でも思ってくれているのだ。

 他ならぬ、卒業生として。

 良い先生だ。

 

「だから、結奈ちゃんがみなとくんを紹介してくれたときは、こういうのは教師としてだめかもしれないけれど、嬉しかったわ。あの子が初めて、大人に頼ってくれた気がして。少しでも、気を許してくれたのかなって」

 

「……でも、姉さんは母校のことを、『あの学校がなければ、人との関わり方を忘れていたかもしれない』って、よく言ってましたよ。まあちょっとタチは悪いですけど、表だって言わないだけで感謝はしてると思います」

 

 にやっと笑う、南野先生。

 嬉しさが隠しきれず、ほころんだ表情をしていた。

 

「これから二年弱、お世話になります」

 

「あらあら、ご丁寧にどうも。こちらこそよろしくお願いします、みなと君」

 

 お互いにぺこりとお辞儀し、教室をあとにする。

 まあ教室といっても、うちの高校は八階建てのビルなので南野先生はエレベーター前まで見送ってくれるのだが。

 エレベーターが来るまでのあいだに、もう一人生徒が別の教室からやってきた。

 

「あら、正吾しょうごも帰り?」

 

「うす、お疲れ様です」

 

 南野先生がエレベーター前にやってきた男子生徒へ話しかけた。

 僕より背は少し小さいが、がたいがしっかりしている。体育会系だろうか。

 

 そんな彼が、じろじろと僕を見ている。

 かと思ったら、ぺこっと会釈される。

 

「初めまして、たちばな正吾しょうごっす」

 

「あ、神楽坂みなとです! 今期から転入してきました!」

 

「聞いてました、二年生の男子が来るって。俺は去年の後期生なんで、一年生です。以後よろしくっす、先輩」

 

 慌ててお辞儀で返すが、先輩……か。

 

 この学校は年齢の上下関係や、先輩後輩の考え方が希薄らしい。

 その大きな要因が、クラス分けがないことにある。

 

 だから、実際に話してみなければ相手が何歳であるか分からないことが多いため、お互いの年齢差を気にせず、接しやすい人同士で仲良くすることが多い、と聞いている。

 しかも、なんとここに在籍している生徒の中には最高で二十八歳の人もいるのだとか。

 

 だが、目の前にいる橘正吾くんは、体育会系の名残が抜けきっていないのか、僕のことを先輩扱いしてくる。

 なかなか、むず痒いものだ。

 

「正吾はね、バイト戦士なんだよー」

 

「別に、そこまでじゃないっすよ」

 

 南野先生が自然な流れで正吾君のことを紹介してくれる。

 まだ、高校一年生なんだよな?

 それでバイトをしているとは、すごいことだ。

 

 会話もほどほどに、エレベーターが到着したので僕と正吾君は乗り込んで、南野先生に見送られながら、挨拶をして一階まで降りる。

 エレベーター内に流れる静かな沈黙。僕は気になったことを聞いてみる。

 

「……えっと、普段は通学してる感じなのかな?」

 

「そうっすね。バイト先がここら辺なんで、割も良いし、交通費も浮くんで」

 

「す、すごいね。しっかりしてるなあ……」

 

「神楽坂先輩は、家族のために家事をやってるって聞いてますけど。俺からしたら、それの方がすごいって思います」

 

「え、知られてることにびっくりしたけど、大したことじゃないよ?」


 きっと南野先生から聞いていたのだろう。

 おしゃべり好きそうだしな、あの先生。

 

「俺は、料理とか家事って、てんでだめで。バイトするぐらいしか、家に貢献できないんで」

 

 そんな風に話をしていたら、エレベーターの現在位置を示すランプは、もう地上三階を示している。

 今日話せることは、このぐらいが限界だろう。

 

「いつもこの時間までいるのかな?」

 

「そうっすね。シフトにもよるんすけど、大体五時からなんで、学校が開放されてる四時までは入り浸ってます」

 

「そっか。じゃあまた今度、バイトのこととか詳しく聞いてみても良い? 僕さ、実はいままで一回もバイトしたことなくてさ」

 

「全然良いっすよ。俺はほぼ毎日通学してるんで」

 

 通信制高校だから毎日通学する必要はないはずなのに、熱心な子だ。

 いや、目的のために必死に努力しているのだろう。一年下とは思えないほど、尊敬してしまうなあ。

 

 エレベーターの扉が開き、正吾君が開くボタンを押し続けて促してくれた。

 

「あ、ありがとう!」

 

「うっす」

 

 寡黙だけれど、礼儀正しいし気が回る子だ、正吾君。

 

「では、俺はお先に失礼します」

 

「うん! またね!」

 

 深々と九十度近く頭を下げたあと、振り返った正吾君は足早にビルを出て行った。

 なんだあの良い子、めっちゃ構ってあげたくなると言うか、可愛い後輩じゃないか。

 

 実際、僕は高校一年生で転入してしまって、先輩後輩の関係性をあまり体験していないからこそ、本当に「後輩らしい子」と接することができて、柄にもなく感動している。

 中学高校はまあ、家のこと優先で帰宅部だったからな……。

 

 と、寂しく懐かしい記憶を思い出していたら、ポケットのスマホが震える。

 長時間震えているから、電話だ。

 液晶に映る名前は――

 

「やあ、トバラ」

 

「いっぺん、殺したる

 

「まあそう怒らないでくれ、これには理由があるのさ。山査子戸牙子って連絡先に入れてたら、どこかしらで情報が抜かれてロゼさんにつながってしまうかもしれないだろう?」

 

「ママよりあたしの方を気遣う器量はないの!? あんた、あたしの身バレを広められる弱みを握っている、唯一無二の人間だってこと忘れてない!?」

 

「光栄だねぇ、ファンに恨まれそうだ」

 

「みなとを厄介ファン、いやファンに見せかけたアンチ、『ファンチ』と認定するわ! 百万人の登録者たちに裁かれる準備を楽しみにしていなさい!」

 

 とまあ、色々言われたが、さすがに僕も危ない橋を何度も渡りたくないので、人気の無い路地裏まで移動して、通話をしている。

 

「それで、どうかした?」

 

「本題に入る前にヒヤヒヤさせるのは、なに? あんたも結奈さんと同じようにSなの?」

 

「うーん、実は最近とんでもなく世紀の発見をしたというか、灯台下暗しだったというかさ」

 

「な、なにがよ……?」

 

「僕は自分がMだってことに気づいたんだよね」

 

「友達の性癖を暴露させられるこっちの気にもなってくれません? これからどんな眼であんたを見たら良いのよ」

 

「馬鹿を見る目で笑ってくれたら嬉しいね」

 

 桔梗トバラのお家芸というか、配信業をするポリシーのオマージュである。

 むしろ拾ってくれないと、ボケが成立しないのだけれどな。

 

 ちなみに、オマージュは原作へのリスペクトがあり、「元ネタを知っているとニヤリとできるもの」らしく、パロディは「元ネタが誰でも知っていて、それを面白おかしく改変する」という違いがあるらしい。

 パクリはもちろん、盗用なのでアウトである。

 

「戸牙子の決め台詞というか、決め絶叫まではパクれないから安心してね」

 

「キメ絶叫って書くと、やばそうよね」

 

「そこに乗っかってくるのか……まったくもって君は炎上ネタに事欠かないよね、核燃料かな?」

 

「ウランのような配信者を目指したいですとか言い始めたら、多分核戦争もアホらしくなりそうよね」

 

「イエローケーキとだけ聞くと、レモンチーズケーキみたいでおいしそうだよね。あ、君が金髪なのはそういう……」

 

「こじつけが過ぎるわよ……って脱線しすぎ! いつになったら本題に入らせてくれるのよ!」


 ついつい意味の無い会話で脱線しがちである。

 咲良との会話も遠慮がなくて楽しいが、戸牙子の場合はディープでアンダーグラウンドな会話にもついていけるところが、魅力でもある。


「ごめんごめん、どうかしたの?」

 

「えっと、少しだけミズチを貸してくれないかしら?」

 

「ミズチ? え、ミズチだけ?」

 

「そう」

 

 確かに、この前で「何かあったらミズチだけでも行かせる」と言いはしたが。

 軽い冗談のつもりだったから、真に受けていたことに驚く。

 

「僕がついていくのは?」

 

「できれば、ミズチひとりだけお願いしたいの。彼女に相談したいことがあって、だめそうかしら……?」

 

 うーむ。

 どうだろう、ミズチは受肉したおかげでなんの代償もなく実体化はできているが。

 それは僕の近くに居るときだけであって、僕から離れたら実体化の状態を維持するのは、難しいのではないのだろうか。

 

「ねえ戸牙子、それって今すぐ?」

 

「う、うん。今すぐだとありがたい……。突拍子もないこと言ってるのは分かってるんだけど……」

 

 切羽詰まっているような、緊急事態というわけでもなさそうだが。

 友達の頼みだし、なんとか最善は尽くしたい。

 

 ミズチが起きているかどうか、脳内でひっそりと語りかけてみた。


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