家族。
それは血のつながりかもしれないし、心のつながりかもしれないし、魂のつながりかもしれない。
一緒に住んでいても、遠くに離れていても、この世にいなかったのだとしても。
誰もが、誰であっても、家族だと呼べる。
人類皆家族だと、そう考える人だっている。
広い目で見れば、僕らは人類であり、猿から進化した生き物であり、同族であることに変わりはない。
遺伝子の情報が似通っていて、子を育むことができる間柄であるのなら、それはもう家族だと。
極論がすぎるかもしれないが、それぐらい「家族」というのは曖昧で、広い意味に取れてしまう言葉なのだ。
人によって違うし、価値観でも変わってくるし、生きてきた時代が変えることもある。
だが、たとえ名字が同じであったとしても、血のつながりがあったのだとしても。
家族だと、言えないような間柄の親子はいる。
その例が、雅火家だ。
あの家庭は、一度離婚をしているが、娘の世話をするために再婚している。
咲良の母親だった人が、もう一度母となって、咲良のことを世話した。
それは間違いない。
だが、もしそうであるなら、今の状況はどうなる。
咲良は、雅火家の一人娘ではあるが、寮暮らしだ。
それはつまり、僕たち神楽坂家のお隣にある、雅火家の一軒家に咲良はいないということになる。
娘の世話をするという理由があって、そのための取引を父と母が結んだから、彼女の家は成立していた。
しかし、今は?
咲良の母親は、咲良の世話をしていない。
子育てをする必要がないわけではなく、子育てをする相手が身近にいない。
なのに、未だに母親は雅火家に残っている。
もちろん、理由がなくても娘のそばにいたいという親としての愛情が、咲良の母親にないわけではない。
僕は一応、それなりに近くで咲良の母親を見てきたので、彼女が娘に対して抱く感情に「鬱陶しさ」がないことは、ずっと知っているし、理解している。
咲良のことを、産んだ娘を心の底から大切に思っている。
だから、再婚に応じたまであるのだ。
父となった人とは馬が合わなかったが、娘のことまで嫌っているわけではない。
そうであるから。
そこを知っていたから。
僕は、咲良の母親からかかってきた電話の内容に、耳を疑った。
咲良が、始業式に出ていない。
学校から、「雅火咲良さんが寮に戻っていないのですが、そちらに帰っていますか?」と、電話がかかってきたらしい。
もちろん、それは咲良が通う高校の始業式の夜であったため、今から一週間前になる。
それだけで、親としては心配に思ってもおかしくないはずだ。
僕だって、不安になる。友人が行方不明になっているかもしれない状況を聞かされて、何も思わないわけがない。
ましてや、あの大切な幼馴染みの咲良となれば、なおさらだ。
だが、僕が耳を疑ったのは、その行方不明の事実ではない。
いや、人間としての神経を疑ったのが、咲良の母親から聞かされたことの、他の部分にある。
ありえないと、思ったのだ。
そんな風に考える「家族」なんて、おかしいとすら。
「家族」という言葉の定義を疑ってしまうような、例えたくもない苦い感覚に陥るほど、咲良の母親が持つ考え方に、寒気がした。
「きっと、いつものことでしょう。みなと君のお家にお邪魔しているんでしょう? あんまり心配させると、内申点にも響いてくるから、『季節外れのインフルエンザ』って言っておいたけど、早めに出るように言ってあげてね」
疑った。
娘への理解をしているようで、なにもしていない事実を。
咲良の母親は疑わなかった。
自分の娘が神楽坂家にいることが、まるでさも同然な事実であると信じ切って、学校に嘘の申告をしていた。
それは、信頼や信用というには、あまりにも度が過ぎているのではないのだろうか。
放任。そう例える方がしっくりくる。
咲良が悪い子である例え話を持ち上げはしたが、あの母親は娘のことをそんな不良だと思っているのだろうか。
しかし、実際そういうことは今まで何度かあったらしい。
寮暮らしの咲良は、仮病や家族からの守りで学校をズル休みすることができない。
彼女が休みを会得するためには、大義名分となる理由が必要だと。
例えばそれは、「実家にいる母が熱をだして」だとか「父のお手伝いをしないといけなくて」だとか、そういう「仕方のない」理由と「逃げ場所」が必要だった。
それが実家の時もあれば、神楽坂家の時もあった。
言ってしまえば、「友達の家にお泊まり」という嘘で「恋人とお泊まり」をカモフラージュするのと似たようなものだ。
後ろめたい理由を隠すのには、知らない関係者の協力が一番だと。
咲良自身が、母親に「休みたい日があったら、神楽坂家にお邪魔している」と前々から言っていたそうだ。
理由は雅火家で作り、場所は神楽坂家でカモフラージュ。
その事実を、僕は電話のやり取りで初めて知った。
だが、驚きは隠した。
いや、どちらかといえば声を失ったという方が正しい。
驚愕が大きすぎて、何も言えずに、ぼろぼろと情報を漏らしてくる咲良の母の話を、少しずつ頭の中に溶け込ませていった。
そのおかげで、応答に対する遅れは生じたが、話の裏側まで理解をするのに十分な時間は確保できたのだ。
だから、僕は一通り話を聞き終えて、だいたい数十分ほどの世間話のあとに、ひとつだけ質問をした。
「咲良って、春休みにこっちへ帰ってきたことあります?」
全くない、と咲良の母親は言った。
今年だって帰ってきていない。あの子はいつも正月にしか帰ってこない。
その瞬間、込み上がってくる胃液の感覚が全身を包む前に、手短に言った。
「わかりました、咲良に先生が心配していると伝えておきます」
僕も、ズル休みと嘘の事実を作り上げることに、協力した。
共犯になることを、享受した。
それがこの場を、電話での応対を穏便に収められる策だと考えたから。
電話を終えた後、寒気と吐き気がこみあがり、駅のトイレに駆け込んだ。
咲良が行方不明。
母親は真実を知らない。
そもそも、この前帰ってきた時のことを、咲良の親は知らない。
それはおかしいはずだった。
だって咲良は、夕食のあとに四人でゲームをしたあと、間違いなく僕たちの家をあとにしたのに。
あのあと、雅火家に帰っていなかったということになるのだから。
個室トイレで、便器の端を掴みながら、血の気がどんどん引いていく。
ひとりがあまりにも心細かった。
あれだけ謳歌しようとしていた孤独を、今の僕は全く欲していなかった。
隣にいま、相棒がいてくれればと。
不覚にも、そう思ってしまった。
「……探さないと」
独り言に答えてくれる半身はいない。
半神は、僕のそばにいない。
「咲良、頼むから、生きててくれ」
これまで、一度も帰ってこなかった春休みに、彼女は帰ってきた。
しかし、雅火家には帰らずに、痕跡を残さずに、僕にだけわかるように自分の大好きな刑事ドラマのコンプリートボックスだけ、渡してきた。
咲良なりの、今生の別れ。
そんな風に飛躍して考えている僕の心を、ぶん殴りたかった。
SOSに気づきやすいと評価されていた自分が、嫌になった。
一番身近な友人のことを見ていなかったことを。
幼馴染みだなんて関係性に甘えていた、自分自身が。
憎くて、不甲斐なくて、仕方なかった。
考える間もなく、僕の足取りは、とある駅に向かっていた。
学校から、さらに遠く。
神楽坂家と雅火家から、さらに遠い。
咲良の痕跡が僅かでも残っていると、信じたい、その場所へ。
幼馴染の通う、全寮制の高校へ。
僕の足は、向かっていた。
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