楽しい。
戦いは楽しいものだ。
死が身近に迫ると、己の呼吸、血の巡り、頭の回転に拍車がかかる。
普通の生活をしているときには到底味わえない高揚感。
不安なことをすべて忘れて、ただ目の前の激戦をどうしのぐかだけ考える。
没頭し、熱狂し、心酔する。
極限まで研ぎ澄ました心理状態になると、まるで波のない水面のような感覚が全身を包む。
戦いは、楽しい。
闘いは、愉しい。
命のやりとりは、死がいつも身近にあることを思い出させてくれる。
私にとって殺しの仕事は。
返り血にまみれて人様に顔向けできない私には、これ以上ないぐらいの、天職だ。
「心臓をやられるなんて、何年ぶりかしら……。いや、下手をしたら巴と戦ったとき以来か」
「逆に、心臓をやっても殺しきれない吸血鬼なんて、聞いたことないですよ」
「まあね、私はどこまでいっても吸血鬼という種族に縛られる、堕天使ですから」
「あなたは……」
口に出そうとして、言いよどむ。
これは聞かない方がいいかもしれないと、ふと思ってしまった。
それがなぜかと聞かれたら、私にもわからないが。
「なんですか、今はもう魅了の術が解けているのだから、言ってくれないと全部はわからないわ」
「……霞さんは、どうして吸血鬼を名乗っているのですか」
「どうして? それは、結奈さんが『なぜ人間なのですか』と聞かれるようなものじゃないかしら」
「種族の話といえども、あなたはまぎれもなく……」
「堕天使、ねえ。そう見えるだけじゃないかしら。すべての人間が神の子孫であるのと同様に、私も堕天使の末裔となって、血が薄れて、別の化け物に成り果てただけで」
「けれど、なぜ堕天使がわざわざ吸血鬼の王を名乗っていたのか、その役を務めたのか、それが不思議でしょうがないんです。貴方たちが神を裏切ったのだとしても、だからといって新しく生まれ出た種族の肩を持つ必要なんて、あったのですか?」
「あはは、それは当然よ。よく言うでしょう? この世はひとりでは回っていない。ひとつで完結していない。私たちであっても、いいえ、天から見放された私たちだからこそ、何かと結託して身を寄せ合い、すがるしかなかった。己の存在価値を、生み出さなければいけなかった」
そして、単体ですべてが回せるような、上位者ともいえるような存在は、表舞台にわざわざ出てこない。
彼女は何かを思い出したように失笑しながら、そう言った。
「私はたまたま、吸血鬼という枠組みが丁度よかっただけ。私の父、ヴァンデグリア様も。母や兄弟は少し違ったけれど」
「……複雑なんですね、堕天使の家庭環境も」
「そうね。一夜物語とはいかないわ」
へらりと笑いながら、彼女は苦しそうに咳き込んだ。
口の端からたらりと、青い液体がこぼれ落ちる。
そのあと霞さんは、口内で飴でも転がすように舌を動かし、ぷっ、と何かを吐き出した。
私が心臓へ撃ち込んだ、銀色の弾頭が、地面に転がる。
胸の銃創からにじみ出る青い血液が、琥珀色の着物に群青の波紋を作り出す。
美しく染められた和服の生地に広がるブルーブラッドは、本来なら衣服をよごす染みで汚らしく見えるはずなのに、それは不可思議な紋様へとなっていた。
その模様はまるで、花のようで、実のようで。
あのような形をした花を、私は知っている。
たしか、非常に近しい人間が身につけていたような。
だが、思い出せない。
喉元まで出かかっているというのに、引っかかってしまった。
むしゃくしゃする、私の左手首が砕けていなかったら、もっと冷静に考えられたのだろうに。
私も霞さんも、あと一度の駆け引きで決まるだろう。
下手な長期戦が無理だとわかっているからこそ、肉薄して虚を突く戦法をお互いが取った。
結果、第一波は痛み分けで終わった。
ルビーの宝眼から放たれた弾丸を玉泉で受け止めて、直撃は防げた。
刀自体は無事だが、それを持っていた私の左手首が、衝撃に耐えきれず壊れてしまった。
手首に力が入らず、だらりと手が垂れている。多分骨折しているだろう。
しかし、満身創痍に近いのは相手も一緒だ。
私の弾丸は、銀の性質を帯びる。それは体を蝕む遅効性の毒であり、しかも吸血鬼が相手ならなおのこと、特効が入る。
それに私は、弾丸に白式を仕込めるし、指ではじいたものにすら、銀の性質を纏わせることができる。
本来であれば、心臓に一発撃ち込んだ時点で倒れていてもおかしくないのだが。
霞さんは、まだ倒れない。
白式を一度受けた怪異は、「慣れる」とは聞くが。
再生能力が強すぎて、毒の進行を食い止めているのか、それとも存在信仰による世界からの加護なのか。
どちらにしても白式の効きが弱いというのが面倒だ。
近づかなければ、触らなければ人間は脅威ではない。
それは怪異が人間を相手にするときのセオリーであり、自分たちにとって脅威である「白式」への対抗手段でもある。
だから化け物たちは、遠距離から、もしくは奇襲や不意打ちで人間を殺すのが常套手段。
だが、私は銃と弾に白式を付与できるから、遠距離戦の間合いが得意であり、肉薄されても体術でいなして、白式をたたき込める。
だというのに、彼女はむしろこちらに肉薄して、刀の間合いでも、銃の間合いでもいなしきった。
いつもやっているような仕事の方法では、全く歯が立たない。
ならば、いま使えるものは使わなければ。
「……ミズチ、もう一度力を貸してくれる?」
相棒はここにいない。私の宿敵は、この場にいない。
だが、その恋敵の形見である玉泉に、語りかける。
地面に転がっていた玉泉は、水中を泳ぐようにふわふわと浮きあがり、私の左腕にぴったりとくっついた。そのまま、柄の底面から水の紐が伸びて、私の左手首をぐるぐると巻き、ギプスのように固定する。
まるで蛇が獲物を絞め殺すような勢いで、強く抱きつかれた。
「いって、もう、怒らないでよ。感謝してるわ」
玉泉とミズチの意識は完全につながっているわけではないのだろうけれど、そこはかとなく彼女の意思が垣間見える。
普段虐げられている分の憂さ晴らし、だろうか。
剣尖が胴体に向く形で固定され、左腕が逆手持ちしたナイフの状態になる。使い物にならなくなった左手を、補強してもらえた。
弾丸の装填は最悪、口と片手でもできるが、左手に銃本体を持たせれば、右手で弾を込めることはできる。
左手から右手に銃を持ち替える瞬間の隙はうまれるが、発射精度とリロードミスを気にしなくていい方がプラスだ。
「同族殺しの神刀……ね。所有し行使する者によって殺せる対象が変わるそれを、果たして結奈さんは使いこなせるのかしら?」
「私が使えば、人間殺しになり、吸血鬼が使えば、吸血鬼殺しになる。だから、丁度いい」
「……なに?」
私が使う白式の本質は、怪異殺し。
人間が怪異を相手にするときだけ、行使可能な最強の護身術。
本来なら、接触した瞬間にしか発動できない白式をフルパワーで発動している今の私では、触れるものすべてがもれなく白式の影響を受ける。
つまり、内部構造が崩壊し、壊れてしまう。
同族殺しの玉泉は神刀であり、怪異の得物であり、本来なら私には扱えない代物。
だがこいつに宿っている同族殺しの性質が、今だけは私に味方をしている。
いや、今だからこそ、たったひとりの味方になってくれる。
白式だけでは殺しきれない相手を、倒すための手段として。
「化け物を殺すのは、いつだって人間。だが化け物を殺した人間が、人間のままいられるわけがない」
「……な、なにを?」
「もう、人間であり続けるのは疲れた」
彼女の心臓を穿ち、地面へと転がった弾丸を見据える。
青い血にまみれているそれに、私は狙いを定めた。
「ま、まさか、そんな……!?」
「さあ、もう一度。もうひとたび、命の再計算をしましょうよ」
「やめなさいっ、そんな真似をして、みなと君がどんな思いをするのか!」
「ずけずけずけずけと、家庭の事情にっ!」
玉泉、ミズチ。
あなたの力を、信じさせて。
「あの子と同じ立場にならないと、わからないのよ!」
なにも。
怪異の事情も、化け物の心理も、人ならざる者の論理も。
所詮人間の私には、わかりうるわけがない。
ミズチだって、人間の心理はわからないのだ。
私に、二十一年しか生きていない人間に、半神半人の気持ちなんて、理解してあげられるわけがない。
もしそうなら。
私はずっと、みなとのことをわかってあげられない。
この先ずっと、永遠に。
異種族同士の、かなわぬ愛にしかならない。
走る。ブルーブラッドに染め上げられた、私の心血を注いだ弾丸へ。
翼からの暴風が転がっている弾を飛ばそうとしたが、その前に玉泉を振るう。
空気の壁を防ぐように水の壁ができあがり、青い弾丸に手が触れた。
その瞬間、猛烈な勢いで大地が横からえぐり取られ、弾はすっ飛んでいってしまった。
霞さんの持つ日本刀が、柄の部分が青い結晶の持ち手となって延長され、彼女の身長を優に超える大型の薙刀となっていた。
傷口から流れ出たブルーブラッドを、変質させたのか。
「馬鹿なことをッ! それがどんな結末をえがくか、わからないわけないでしょうが!?」
「すでに幸せな人生を歩んできたあなたなんかに、私の苦悩なんてわかるわけない!」
「みなと君と離れる人生が、あなたにとっての幸せだとでも!?」
「それを望むのは霞さんでしょうがッ!?」
「ふざけるな小娘! 被害者面も甚だしい!」
地を蹴って、くるりと一回転舞いながら、薙刀を振るった。
半ば地面に倒れる勢いで大きくしゃがんで避け、懐に入り込んで玉泉で切りつける。
が、早く動きすぎた。
彼女の心臓を切り抜けようと振るった玉泉が、そのまま脇腹と胸骨の肉でがっしりと、挟まれてしまった。
霞さんが薙刀を振るって空振りし、地面へ突き刺さったあと、次の行動に移る前に切りつけたせいで、再生に意識を集中させてしまったのだ。
だから、体組織を使って食いつくように玉泉の刃を止められた。
全く動けない。そして彼女も空振りした体制のまま、動かない。
「傲慢極まりない、結奈さん。そんな陳腐な理由で化け物になることを望むなど、あなたにあってはならない」
「放してっ、離れろ!」
「どうして、あのように若く気高い男の子のそばにいるというのに、あなたはそこまで落ちぶれるの」
「何が、あなたに何がわかるッ! 最初から皆に望まれて、慕われて、怪異としての存在を脅かされることのなかったあなたに! 私みたいなその日暮らしの人間の、何がわかるの!」
「悔しいわ。あの人の姪っ子だというのだから、もっと激しく昂ぶる、純粋無垢な闘いができると思っていた。だけど、そうなのね。それが、今の子だというのなら、私たち上の世代の努力不足ね」
「澄ましたことを! なんでもわかりきってますみたいな、白けたその顔が、うざくてしょうがないのよ!」
「結奈さん」
からん。
薙刀が落ちて、リーチを延長していた青い結晶が、澄みきった液体のように溶けて、地面に染みこんだ。
彼女は、翼で私を包み込んできた。
「くっ、何を!」
「もういい。もういいのよ」
私を抱きしめる彼女の声は、涙ぐんでいた。
「もうやめなさい、あなたがみなと君の寿命を肩代わりする必要なんて、ないのよ。もう投げ出しなさい……!」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!