「……なんというか、その、ごめんな」
僕は咲良へ頭を下げて、平謝り。
まくし立てられて、僕も知らなかった姉さんの秘密も知ってしまって、何も言い返せなくなると、もう謝ることしか思いつかない。
女性が相手だと、なおさらそうではないだろうか。
「本当に申し訳ないって思ってる? これでまた結奈姉を泣かせたら、もう信じないよ? 絶縁だよ?」
「な、泣かせない! って言いたいけど、僕は一体何をすれば、姉さんを泣かせずにいられるんだろう……」
「安心させるだけで良いんだよ。あの人が求めてるのは、家族なんだから。最愛で最後の家族であるみなと君がそばにいないのに、安心できると思う? そこがなんというか、家庭を顧みない亭主って感じだよね」
「か、返す言葉もございません……」
うっすらとした自覚があるからこそ、言葉のトゲが刺さる。
神楽坂家の状況は、姉さんが外で稼いできて僕が家のことをすると決まっているが、だとしても彼女の支えになってあげられているのかどうかと聞かれると、自信を持てない。
金銭面や寝床を維持し続けてくれている感謝が大きすぎて、僕は彼女へ何をしたら恩返しになるのかと、途方にくれてしまう。
それが、ここ数年ずっと抱え続けている悩みでもあったりするのだが、幼馴染みは「ただそばに居れば良い」と言う。
本当に良いのだろうか。
「でも、ありがと」
「……ん? 何が?」
「駆けつけてくれて。助けに来てくれたのは、感謝してます」
深々と頭を下げる咲良。彼女は巻き込まれた人間で、現状だってはっきりと掴めていないはずなのに、礼儀は忘れていない。
そこが雅火咲良という人間の芯であり、魅力でもある。
お礼を言われることのほどではない。
僕ができる、当たり前のことをしただけだと思っていた。
それこそ、恩には礼をもって尽くす、咲良のような潔さを習って。
ただの真似事なのに、改まって感謝されると、なんともむず痒い気持ちになる。
「とまあ、言葉の感謝だけだと不十分な気はしますので、ここはちゃんとした『品』を渡して、取引でチャラにしましょう」
「……取引? チャラって?」
「言ってたでしょ、さっき。みなと君はそのミズチって神様と『処女の血を飲む』契約を交わしたって」
「…………」
咲良は、僕の沈黙なんておかまいなしに、おもむろに衣服に手をかけて、たくしあげた。
咄嗟に左手を伸ばして、彼女の暴挙を止めた。細い手首を覆うように掴んだが、今度は触れても燃やされない、良かった。
「何ですかこの手は、レディに対して不躾じゃないですか?」
「咲良こそ、その服をたくし上げようとする手はなんだい? レディがジェントルマンの前でするべき行為ではない気がするのだけれども」
「裸の方が吸いやすいのかと思いまして」
「吸わせる前提で話を進めないでくれ」
ここまで協力的なことに不安を覚えるというか、飛躍しすぎではないかと。
別に処女の血がないと言うことを聞かないだれか様とは違うのだぞ、僕は。
「わ、私だって別に全く覚悟をしていないわけじゃないっていうか、これでもその…………しょ、じょです、し……」
「ごめん! 僕が悪い! そんなことを言わせてしまった僕が世界で最も忌むべき諸悪の根源であることを認める! だから大丈夫だ!」
「だ、大丈夫!? なんですか、みなと君はここまで思い切った女の覚悟を踏みにじるんですか!」
「ならばこそ、それは大切な人のために取っておいた方が良いってことだ! 決して幼馴染みなんかに吐露して良い物じゃない!」
僕が言うのもちゃんちゃら可笑しいが、僕の周りの女性陣は貞操観念を棒に振りすぎじゃないか?
いや、咲良は恥じらってはいるけれど。頬を桜のように薄く染めて、耳も真っ赤になっているし、目もぐるぐる回って動転しているような気がするし、そういった恥じらいは普通に女の子らしいけれども。
「みなと君、まさか……私のことは異性として見てないってことですか! 私なんかは童貞ってことですか!」
「童貞で悪かったな! 僕はどうせ意中の人に想いを告げることもためらう半端物だよ!」
「最低ですね! 義理のお姉さんと同じ屋根の下で生活しすぎて刺激を忘れてるんじゃないんですか! 異性として見ることを忘れたときに関係は崩壊するって、刑事ドラマの不倫回でもよくあるんだからね!」
「怖いこと言わないでくれよ! これでも順序を大事にしてるんだからさ!」
「そんなこと言って他の誰かに寝取られても文句は言えないんだと、わかりなさい!」
「わかってるさ! だから負け惜しみの文句も口上も今のうちにたくさん用意しているんだよ! 自分を納得させる言い訳はあるのに、姉さんが言い寄ってくるんだって!」
「据え膳食わぬ男に価値なし! そんな腑抜けなチェリー君は今ここで私と浮気でもすればいいじゃない!」
「言ったな!」
「言いました!」
ぎらぎらとにらみ合う。
僕がベッドで横になっているから、いまいち迫力はないが。
暴走状態になっていた彼女を救って、そのあと僕は怪我を手当てしてもらった。
修羅場をくぐり抜けた男女が、今は密室で二人きり。
なにかに当てられたように、意識が興奮している。
お互いの血眼が、果たしてただの激情なのか、情欲なのか、判別がつかないほど。
「いや、いかんじゃろ」
突然、白熱した口答を冷ますように、水が差し込まれる。
この部屋には僕らしかいないはずなのに、いつの間にか、そばであぐらをかいていたのは。
「一途な男じゃと思ってたんじゃがのぉ。どうやら幼馴染みというのは、色恋に割り込めるだけの素養を持つ属性なんじゃな。わし、学びを得た」
呑気に大きなあくびをして、ゆりかごで揺られるようにふわふわと浮いているのは、ミズチだった。
異質で、明らかに人間ではないそれを見て、咲良は目を瞬かせる。
「え、誰……?」
「お前か、わしの愛するご主人を燃やしたのは。ふん、顔を覚えておらんかったら、今ここで沈めておったぞ」
ぎらりと、蛇の眼光が咲良を射貫く。
見てしまってはいけないものを捉えて、恐怖で慄いたように、咲良は座ったまま固まる。
だらだらと冷や汗が頬を伝って、涙の跡をかき消す勢いだった。
「ミズチ、おかえり」
「ただいまじゃー!」
さすがに可哀想だと思って、咲良に向いている殺気を逸らせようと普段より労いを込めて告げたら、どうやら効果てきめんだったらしい。にぱっと明るい笑顔を浮かべて、僕の頭に飛びついてきた。
そこまでは良かったのだが、両足で僕の首をがっちりとホールドして、音が鳴るぐらいに絞められる。なんだ、蛇は絞め殺すスキンシップが好きなのか?
「まーた派手にやられたのお。しかもなんじゃこれ、右腕だけか?」
「そう、受肉した腕だけが燃やされたんだ」
「恐ろしい性質じゃな、こりゃあ離れててよかったと言わざるを得ないわ」
「いや、君がいなかったから再生すらできなくてやばかったんだけど?」
「わしがもしおったとしても、先にわしが燃え尽きて再生どころじゃなくなっておったぞ」
「え? どういうことさ」
ミズチは僕の頭に両肘を置いて、興味なさそうにつらつらと続ける。
「この腕を燃やしたのは、物理的な性質を焼く『反』の火ではない。わしらのような『真』の性質を持つ者を限定的に燃やしておるように見える」
「それって、どういうことだ? 僕の右腕は、たしか純人間の部位になったはずじゃ……」
「いや、コントロールできるだけで、本来の性質は『半神半人の右腕』じゃよ。間違いなく怪異の腕であり、真属性の腕になるわけじゃ。現にお前さん、他の部位はなんともないんじゃろ?」
「そう……だね」
咲良を木から離れさせようとした時に触れた左手も、火傷どころか擦り傷のひとつも残っていない。
むき出しの地面で歩きづらい森のなか、咲良を転倒から守るために体を盾にしたが、その時にできた内出血たちも、実は服の下でもう回復している。
「心臓が焼かれなかっただけましだと思うべきじゃ。お前さんが人間であり続けた利点でもあるのぉ」
「それも気になってるんだよ。本来なら、蛇の心臓が真っ先に燃えていてもおかしくないのに、どうして右腕だったんだろう」
「……大きな声では言えんが、みなとの右腕は『前例のない怪異』に近いんじゃよ。『竜の腕』というのはな、人間も神も至ることのできない宙の滝なんじゃよ。登り切るどころか、その道すがらで力尽きる。それが当たり前であるからこそ、希少性も高い。どうやらその炎は、目ざとく肥えた舌を持っておるようじゃな」
「肥えた舌? まさか、竜の腕がおいしいって分かってて、燃やそうとした?」
「燃料にした、ということじゃろう。珍しく、わしと似たような怪異じゃ」
ミズチと似たような怪異。
つまり、「意思持つ怪異」であるということか。
自分で裏表を決められて、世界の因果に挑戦できる存在。それが、咲良を操っている。
「V・Bを飲んだから、再生能力はほんのちょっとじゃが、お前さんにも現れている。普通の傷は治っているのに、この右腕だけがまだ煤まみれの大火傷。怪異特効の火であることに間違いないということはじゃ。もしかすると、お前さんの中に居るわしが先に死んでおったかもしれん」
「君が? まさか、そんな姿でも一応神様だろ?」
「こんな姿じゃから、わしは全盛期じゃないといつも言っておるじゃろうが。お前さんと性質を半分にわけあっておるから、外からの影響をやんわりと受け流せるだけなんじゃよ。しかしこの腕を見ると、さすがに肝が冷える。だからお前さんは気を遣って、わしをすぐ呼び戻さなかったんじゃな」
……あれ、呼び戻す?
ミズチが言ったことが、ふとした疑問に繋がる。
「呼ぶっていうけど、僕らさっきまで離れてて、意思疎通できなかったでしょ?」
「あん? 聞こえておらんかったのか?」
ミズチは僕の首を締めるのをやめて、目の前に降りてきてにらんでくる。
まるで「既読無視する男」を蔑むような目だ。
……なんだ、このすれ違いは。
普段からやっている脳内での会話は、ミズチがV・Bを飲んで戸牙子のもとへ飛んだ時点で、できなくなっていた。
てっきり、僕の中から離れているときは、物理的にも精神的にもつながりが弱くなり、意思疎通が不可能になるのだと思い込んでいたのだが。
ミズチの顔色が曇りはじめ、腕を組んでうなり始める。
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