さて、物語の始まりにあたってひとつだけ、僕は思い返さないといけない記憶がある。
思い返し、蘇らせ、忘れていたものを取り戻さなければならない。
その記憶とは数年前、正確に言うなら僕が小学三年生の秋に、隣の家に引っ越してきたとある家族のお話だ。
お隣さんとなった家族は「雅火家」
雅火家は父親と娘一人の父子家庭だった。
夏休みや冬休みの長期休みでもない、九月の終わり頃という中途半端な時期に引っ越してくるという、訳ありな事情を抱えているのが端から見ても分かる家庭だった。
しかし、その頃は神楽坂家も訳ありというか、関係を築いていってる最中だったというか。
僕の家が抱えている事情は、雅火家とは全く異なっているが、その結果によって当人たちが何を求めていたのかは、非常によく似ていたのではないかと思われる。
僕と姉さんはお互いの親を亡くし、悲しみに明け暮れて、それでも生きることを諦めずに、傷を舐め合って立っている歪な状態だった。
舐め合う。
それは今にして思っても、今更改めて理解できてしまうことに恥を覚えるぐらいだが、僕らは失った家族を欲していた。
心の傷を癒してくれる存在を、ひどく求めていた。
だから、保護者がいなくなった神楽坂家に、体裁上だが新たな保護者となってくれた姉さんの叔母、灰蝋巴と共に三人で暮らす生活は、悪くはなかった。
叔母の巴さんは、女性にしてはちょっと男らしい人ではあったが、だからこそ父親のように頼り甲斐があって、血が繋がっていない僕は彼女に認めてもらえるようにできる限りのことをした。
いや、きっと認めてもらいたかったのではなく。
見捨てて欲しくなかった、なのかもしれない。
料理、掃除、買い物。
子供でもできる家事スキルを磨き上げて、その甲斐あってか僕は巴さんに気に入られるようになった。
もちろん、巴さんからすれば僕は子供な訳だし、そんな気遣いをする必要なんてないと思っていたのだろうけど、そこは放任というか、信頼してくれていたのか、やりたいようにやらせてくれていた。
だが、たしかに家の中での三人暮らしはうまくいっていたが、外ではすこし違った。
僕らの親が事故で亡くなったことを知っている同級生や知人に、あまりにも気を遣われたからだ。
居心地が悪かった。
それまで普通に接してくれていた友達が、腫れ物を扱うような態度に一変し、そして徐々に距離が開いていったことが。
今にして思えば、彼らの気遣いを受け止めきれなかった僕も悪いとは思うし、姉さんは姉さんで同級生とあまり仲良くしないから、さらにどんどん距離が開いてしまったとのことらしい。
だからこそ、なのだろう。
隣に引っ越してきた「雅火家」の一人娘、雅火咲良は神楽坂家がもつ事情の全容を「引っ越してきた時」には知らなかったからこそ、遠慮がなかった。
いや、遠慮がないと例えるとまるで咲良がとんでもなく悪い子供だったように聞こえてしまうかもしれないが、そうではない。
僕たちが、遠慮する必要がなかったのだ。
前々から事情を知っていた同級生や先生、知人たちは必要以上に気を遣う。それが面倒だから、僕たちも無理に交流しようとしない。
悪循環だ。いっそ行動しない方がましだという結論に至ってしまう、悪い巡り方。
しかしそんな気遣いが、引っ越してきたばかりで無知の咲良には必要なかった。
お互いに隠したい秘密を抱えて接し続けることの気楽な関係は、ぬるま湯に浸るように心地よかった。
引っ越してきた時の咲良は小学三年生、僕と同い年だ。
彼女はどちらかと言えば内気な性格で、自分の中で壁のような囲いを作り、他人との距離間を一定に保つ女の子だった。
ただ、咲良は内気と言えども人間嫌いというわけではなく、仲良くなるきっかけ作りに苦労していただけらしい。
新天地での心細さが強く出てしまったのか、同級生とうまく関われず、学校でも孤立しているように見えた。
見かねた、なんて言い方をすると恩着せがましいが、咲良が転校してきてから一か月ぐらい経ったころ、僕は彼女を家に誘ってみた。
誘ったのは、なんてことない理由だ。料理の延長線上で作った洋菓子を、本命である姉さんや巴さんに食べてもらう前に、一般人の感想が欲しかったから。
とどのつまり、同級生の女の子に僕はあろうことか、毒味役を任せたのだ。
今にして思えばなかなか、身勝手な理由だったとも言える。
ただまあ、咲良からしても「お菓子を食べられる」という分かりやすい動機でもなければ、きっと僕の誘いをはねのけていたことだろう。
その結果、僕は咲良の胃袋を掴んでしまって、仲良くなったのは幸運だった。
初心者でもできる簡単なプレーンクッキーではあったのだが、咲良にとって「手作り」というのは市販のお菓子では代えがたい美味しさがあったのだとか。
それからたびたび神楽坂家へ遊びに来るようになった咲良のことを、次第に姉さんも知っていき、そして巴さんも可愛がるようになっていき、まるで妹ができたように僕らは咲良を可愛がった。
いや、今にして思えばあれは、「気にかけていた」という方が正しいのだろう。
父と娘二人での生活。父親は遅くまで仕事をしていて、咲良は冷凍おかずやコンビニ弁当と、あまりいいご飯にはありつけていなかった。
寂しそうな生活をする彼女を見かねて、お隣さんの僕たちが面倒を見ていたのだ。
しかし、咲良が神楽坂家で妹のように暮らす生活は、わずか一年程度で終わりを告げる。
咲良の父親が、離婚した母親ともう一度再婚したのだ。
それは「復縁」なんて聞こえの良い言葉で言い表せるものではない。
娘の面倒を見きれないことに後ろめたさを感じた父親が、生活のためにと、元母親に咲良の面倒を見ることを頼んだのだ。
僕と咲良が小学四年生の頃だ。
それまで神楽坂家にいた咲良は、ぷつりと紐が切れたように、こちらに入り浸ることはなくなった。
まあでも、まったく遊ばなくなったわけではない。
晩御飯の時間までいることがなくなっただけで、咲良自身はよく遊びにきていた。
あそこでもし、咲良が遊びに来なくなっていたら、僕と姉さんが今ほど良好な関係を続けていられたかはわからない。
もっともっとお互いの傷にすがり、抱え込むような依存の仕方をしていたようにも思う。
潤滑油みたいな存在、なんて言われる人を、僕は心の底から深く尊敬しているが、咲良はまさにそうだった。
血の繋がりがない僕と姉さんが、本当の家族みたいになれたのは、間違いなく咲良がいたから。
妹みたいな存在が、姉と弟を繋げてくれた。感謝してもしきれない。
実際、咲良のおかげで僕は同級生や学校の先生たちと以前のように接することができるようになった。
遠慮と敬遠で作り上げていた壁を、削り取ることができた。
咲良が壁を壊してくれたわけではなく、咲良の存在が僕の心に余裕をもたらしてくれた。
彼女のことを、人間関係と心の潤滑油といっても差し支えないだろう。
しかし、家族が増えたような和やかな生活も、咲良のとある決断で、小学六年生の時に終わりを告げる。
彼女は、全寮制の中高一貫校に進学することを決めたのだ。
家から電車で二時間強はかかる、微妙に帰りづらく、行きづらい距離の中学へと。
なぜその選択をしたのかは、教えてくれなかった。
寂しくなるが、長期休みの時には顔を出してくれると言ってくれた。
だから僕たちも、咲良を笑顔で送り出した。
そんな彼女が、今どこにいるかというと。
僕の部屋の、ベッドだった。
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