方舟の本拠地であり、その地下十階にある「硯書庫」から出て、長い廊下を歩きながら、スマートフォンをジャケットの内ポケットから取り出す。
地上行きのエレベーターに乗りながら、連絡先のリストを閲覧。
優先順位を考える。
これから向かう行き先に住まう住人に対してか、それとも移動手段の施設、どちらへ先に連絡するべきかと。
「……礼儀は通した方がいいか」
私は「山査子戸牙子」の連絡先を開く。
一応この前、同人イベントとやらに私たちの家から出発するとき、電話番号とメッセージアプリの連絡先を教えてもらった。
何気に、方舟と全く関係のない怪異と連絡先を交換したというのは、戸牙子ちゃんが初めてだ。
今まで私が持っていた怪異に対するイメージを、良い意味でぶち壊してくれた子でもある。
『こんなに現代かぶれした怪異がいるのか』と。
しかし、みなとと彼女は友達かもしれないが、私と彼女はまだ知人レベルである。
急ぐべき状況であることは間違いないが、到着して「ミズチは居ませんでした」はさすがに気まずいし、方舟の施設から山査子家までは距離がある。ざっと、車で二時間はかかる。
まずはミズチがそこにいるのかだけでも確認しておくべきだろうと、戸牙子ちゃんへ電話をすることにした。
エレベーターが地上階に到着し、扉が開く。普通の会社のようにカムフラージュしたロビーへと進み、設置された一人用のソファーに座り、発信する。地下では公共の電波が届かないのである。
コール音が一回、二回、その後に何度も続く。
吸血鬼なんだし、夜だから起きてはいるのだろうけれど、もしかして都合が悪かったか。
諦めて留守番電話にメッセージを残しておこうかと考えて、脳内で伝言文を整えようとしたが、ほぼ最後のコール音で電話が途切れそうなタイミングだった。
「こ、ここっ、こんばん、こんばんは!」
出てきた彼女は、緊張しているのかうわずった声で、噛みまくりながらも必死に挨拶を貫き通した。
しっかりしている、と思った。彼女にとってはもしかすると、朝かもしれないのに、きちんと人側にあわせた挨拶ができるというのは、賞賛するべき彼女の配慮心ではないだろうか。
「……はい、こんばんは。ごめんなさい、都合が悪ければかけ直します」
「い、いえ! 結奈お姉様の電話にすぐ出られなかった私が悪いのです! 泣いて首を切って血でお詫びします!」
「そ、そこまでしなくて大丈夫よ……?」
「あ、すみません! 私の血はちょっと半端もの過ぎますよね! ママの血の方が良いですか!」
「落ち着いて、私は血は飲まないわ……」
何か勘違いしているのではないのだろうか。
別にみなとの姉だからといって、彼みたいに血が必要なわけではないというか。
いや、厳密にというか、広く見れば私は普段から弟に血をあげているせいで貧血気味なのを察してくれているのなら、それはありがたい気遣いだけれども。
しかし私は吸血鬼ではないし、吸った血がそのまま自分の血肉になるなんて特性も持っていない。
なのだが、なぜか彼女からは妙に慕われている。吸血鬼なんてプライドの塊のはずだけれど、「お姉様」だなんて呼ばれたことがないから少々気恥ずかしい。
「戸牙子ちゃん、聞きたいことがあるから電話したのだけど、今は大丈夫だったかしら?」
「もちろん大丈夫です! 私の暇はすべてお姉様のためにあります!」
「そ、そう……」
これ以上下手に突っ込むと話がこじれてきそうだから、半ば役割を放棄して本題を進めることにした。
「今、そっちにミズチはいる?」
「……あ、あ、ええっと、えーと……」
明らかに動揺が見えるというか、責め立てられた子供のように縮こまっているのが電話越しでも分かる。
案外可愛いじゃない。
いけない、普段の癖が。相手はみなとの友達なんだから。
「戸牙子ちゃんを責めてるわけじゃないわ。あなたはみなとからしっかり許可をもらっているわけだし、もし何かあればみなとを責めるわ」
「ほ、本当ですか……? 軽率にとんでもないことをお願いしちゃったのかなって……」
「内容によるけれど、あなたに悪意がないのは分かるし、咎めることはきっとないわ。それで、まだミズチはそこに居るのかしら?」
「い、います……」
「電話、変われそう?」
数秒の沈黙が続いたあと、か細い声で告げられた。
「いやって、言ってます……」
「……ふーん」
「ごごっごぎょごぎょごめんなさいいい!」
「どうしたの、そんなに怖がって。別に私はあなたを責めてないわ」
「ひいぃい!」
電話を手放して投げられたのか、彼女の悲鳴が遠のいた。
うふふ、楽しい。
いけないわ、どうしてこうも反応の可愛い子が絡むと、こうも気が緩んでしまうのかしら。
みなとしかり、ミズチしかり。
戸牙子ちゃんもあの子たちと一緒みたいね。お姉様っていってくれるし、別の可愛がり方ができそう。
「戸牙子ちゃん、もしもし?」
「は、はい! 聞こえてます!」
「ミズチは本当にそこにいるのよね?」
「そ、そうです……」
「でも出たくないと。私の声なんて聞きたくないと」
「そ、そこまでは言ってないんじゃないんですかねぇ……!」
「だってそうじゃないの? ただお話がしたいって言ってるのに、すぐそばにいるのに、出たがらないってことは、やましいことがあるんじゃないの?」
「き、機嫌が悪いとかじゃないですかねぇ!? 神様は気まぐれの象徴じゃないですか!」
「なるほど、戸牙子ちゃんの意見も一理あるわ。でもそんな気まぐれな神様は、あなたに頼っているように思えるのだけど。あなたの背中にぴったりひっついてツノでも抑えているんじゃない?」
「なんでわかるんですかぁ!?」
ああ、可愛い。
別にそれが分かるのは、千里眼や透視でもない。種も仕掛けもない、私とミズチが交わした「蠱白誓約」のおかげである。
お互いの体が緩く繋がっているため、私はミズチが何をしているのかが感覚で分かるし、どういった状態なのかも分かる。
ただし、どこにいるかまでは分からない。
状態の把握はできても、場所の把握ができない。だからこうして、直接聞かなくてはいけないのだが。
今回は運が良かったと言える。みなとがミズチの行き先をしっかりと把握していたから。
「ふむ、戸牙子ちゃんはミズチの肩をもつのね?」
「びえっ」
「そういうことなら、仕方ないわね。本当に本当に申し訳ないどころか、哀悼の意を表したいところだけども」
「お、お姉さま、あの、お許しをっ……ひぐゅ……」
泣き始めた。さすがにやり過ぎた気もしなくはないけれど、なぜか彼女は泣いている姿が一番似合うような気もする。
「冗談よ」
「……へ?」
「戸牙子ちゃんが可愛くて、とってもかわいらしくてついつい反応を見たくなったの。悪い女でごめんなさいね」
「あ、あー! そうなんですか!? えへへ、嬉しいです!」
……嬉しい?
まさか、「可愛い」に反応したのかしら。
彼女の初心な性格は、引きこもりだったからとは聞いていたけれど、ここまで言われ慣れていないとは。
確かこういう子をチョロいヒロイン、というのよね。ミズチから教えてもらった。
「けど困ったわね。ミズチがそこにいるのに話すのも嫌がるなんて」
「あの、スピーカーにしてお姉様の声が聞こえるようにしましょうか、ってミズチ!? ちょっと、そのマイクにツノを向けないで! それ百万以上するのよ!?」
どんなマイクをもっているのだ、戸牙子ちゃん。
おそらく、電話の先ではミズチが反抗の意思を見せるために、戸牙子ちゃんの私物を人質にしているのだろう。
子供が見せる最後の抵抗じみていて、呆れを突き抜けて失笑してしまう。
「お、お姉様?」
「いえ。けどそこまで嫌がるのなんて、ミズチは私が怒っていると勘違いしているのかしら。そういうわけじゃないって伝えてほしいのだけど」
電話先で伝言をしてくれたのだが、結局ミズチは頑なに話したがらなかった。
まあ、彼女は実体を持たない怪異であるわけだし、携帯に話しかけても声が聞こえないのかと思ったが。
よくよく考えてみれば、今は違う。
たしかミズチは今、インスタントV・Bを飲んで実体化し、宿主から離れて別行動ができているのだから、電話での応対だってできるはずだ。
ここまで拒否されると、もしかすると何か怪しい契約でも結んだのではないかと不安が勝り始める。
「戸牙子ちゃん、今からそっちに伺わせてもらっても良いかしら」
「え、その、実は私これから配信があるといいますか……」
彼女は申し訳なさそうに、しかしはっきりと言った。
そういえば、山査子戸牙子が二次元での活動をする時の名義である「桔梗トバラ」は、配信者だった。
それでお金を稼いでいるのだから、彼女は俳優や芸能人のように、かなりの有名人なのではないだろうか。
「それは、ごめんなさいね。たしか十時からだったわよね」
「はい……えっ? お姉様、なんで知ってるんですか?」
「たしか、『桔梗トバラのゔぁんもーにん』だっけ? 毎日夜十時に配信しているのよね。みなともたまにその配信をリビングのテレビに繋ぎながら見ているし」
どんがらがっしゃんばりん。
家具や金属の暴れ回る音と、宝石のようなガラスの破裂音が電話越しのノイズと共に流れてきた。
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