「お邪魔しまーす」
「……どうぞ」
冬の寒空のなか、かれこれ30分ほどじっくり今の状況と状態を彼女に説明し、そのたゆまぬ努力というか、意地のおかげか、話し合いは成立。
僕は吸血鬼である彼女の家に上がらせてもらい、毒まみれで染み染みになった服の代わりになるものを、貸してもらえることになった。
「ずっと前に父親が使ってた服があるけど、それでいい?」
「着れるならなんでも」
ここで待っててと、ちゃぶ台が部屋の真ん中でぽつんと佇む、居間に通される。
待っている間、ひまを持て余したのであたりを見回してみる。
置かれている家具は奇麗ではあるが、家族が暮らしている家ではないように思えた。
生活感がないというか、物が少なすぎるというか。
真夜中にあれだけ騒いでいても問題ないのは、そもそも他の家族がいないからということなのか。
「はい」
「あっ、助かるよ」
いつの間にか戻ってきていた彼女の手から、ぶっきらぼうに和服を投げ渡された。
手触りのいい男物の着物は、年季が入っているが状態は良かった。
さっそく着替えようと、上着を脱いだ。
「ちょ、ちょっと!」
「ん?」
「い、いきなり脱がないでよ! 断りぐらい入れなさいよ!」
彼女は顔を真っ赤にして、きゅっと目を閉じながらそっぽを向いた。
そうか、一応異性だし目の前でいきなり服を脱ぐのはまずかったか。
早く着替えたい欲求に逆らえなかった、反省反省。
「ごめんごめん、着替え終わったら言う……と思ったんだけど」
「……なによ、はやく着替えなさいよ」
「えっと、着付けってできますか……?」
「……はあ?」
「和服の着方が、分からないと言いますか……」
彼女が渡してきたそれは、例えるなら旅館に置かれているような簡素な浴衣ではなく、れっきとした着物だったのだ。
現代っ子である僕には、ちゃんとした着方が分からない。
「……あーもう、しょうがないわね」
彼女はため息を吐きつつ、目を開けて僕のそばに近寄る。
その頬にはまだ赤みが残っていたが、ある一点を見て血相を変えた。
「うわっ……あっ、ごめんなさい……」
「いや、いいよ」
人とは明らかに違う、歪な部位を見て声をあげ、彼女はすぐに謝った。
それは、僕の左胸にある、心臓の位置の皮膚。
蛇のような鱗に包まれた表皮を見て、驚きを隠せなかったようだ。
「それって、生まれつき……じゃないわよね?」
「うん、後天的にこうなったんだ」
「……あたしと似てるって、そういうこと……」
ぼそぼそと独り言を言いながらも、彼女はてきぱきと手を動かした。
「慣れてるね?」
「まあ、ずっと着てるし」
「へえ。吸血鬼なのに?」
ちなみに、吸血鬼の彼女が着ているのも和服である。
なんだろう、外国人が着る和服って日本人が着るそれとはまた違った魅力が生まれるよね。
「……あたしは生まれた時からここに住んでるから」
「あれ、そうなの? 金髪だし、すごく美人さんだし、てっきり外から住み着いたのかと」
一度まっさらになっていた顔色が、またほんのり赤くなった。
「……親は外来だけど、あたしは人間と吸血鬼のハーフなの」
「そうなんだ。ということは、何百年も生きてきたわけではないってこと?」
「年齢だけで言うなら、今年17歳よ」
「あ、僕と同い年だ」
「……あそ」
興味なさげに相槌を打ちつつ、あっという間に着付けは終了。
最初こそ僕の裸に動揺していたが、途中から慣れたのか特に反応を示さなかった。
吸血鬼と人間の価値観の違い、なのだろうか。
「ありがとう、助かったよ」
「……いや、悪いのはあたしだし……」
さっきまでキレ散らかしていた女の子だとは思えないほど、彼女は目を伏せながらしゅんとしている。
灯りのあるところで改めて見ると、その整った顔立ちが輝く。
肩まである琥珀色の金髪は、黄金と並んでも遜色ない美しさをしているし、目はぱっちりと大きく、アメジストのような紫色。
……紫?
吸血鬼なら赤色が王道な気もするが、ハーフだからかな?
「なんか、絵になるね」
「……は?」
「いや、日本っぽい屋敷に西洋の見た目をした女の子がいるって構図が」
「え、なにこわい。やっぱりストーカー?」
「ホワイトハウスに雛人形が置かれているみたいなちぐはぐさがあるけど、そこも含めて君の美しさが際立ってるね」
「ちょ、ちょっとマジでこわい。なんで急に褒め始めて……はっ! あ、あんた、ちょっと偶然の出会いから進展させて、男女関係になろうとか思ってるやつでしょ!?」
「男の裸見られちゃったし、責任取ってほしいよねー?」
「やだきもちわるいっ!? 男の裸なんて価値無いわよ!」
「ひどいっ! 女尊男卑だぁ!」
「変な造語作るんじゃないわよ! 帰れ! 二度と来るなー!」
ばしばしと背中を叩かれながら押されて、縁側の方まで追いやられる。
本来の調子が戻ったみたいで、良かったよかった。
大きな問題に発展したわけでもないんだから、下手に気を遣わせるのもよくないし、通りすがりの一般人は喜んで追い出されよう。
僕は頭の中で念じて、玄関で脱いで置き去りにされていたスニーカーだけふわふわと取り寄せる。
「え、魔法!?」
「いやいや……君だって似たようなことできるじゃないか。言ったでしょ、僕はなりそこないの神様だって」
「……なんで」
主人の元まで帰ってきた靴を縁側で履きながら、ぼそりと放たれた呟きに振り返る。
「なんで、神様になろうなんて思ったのよ」
それは、怨念が混ざっているようにも聞こえた。
まるで神になったことを後悔していないのかと、問いかけるように。
「家族のためさ」
「……家族なんて、他人でしょ」
「はは、そうだね。僕にとっても、相手にとってもそうだよ」
「自分以外のために、あんたは神になったの?」
「うーん」
靴を履きおえて立ち上がり、室内の灯りに守られている吸血鬼の方へ振り返る。
「その人が、大切な人だからね」
「迷わなかったの?」
「迷う暇すらなかったよ」
「仕方なく神様になったってこと?」
「はは、どちらかというとだまされた、って感じかな」
怪訝そうにこちらを見ていた表情が少しだけ崩れ、紫色の目が見開いた。
「だまされた……?」
「神様ってさ、ずる賢いんだよ。まんまと口車に乗らされて、あれよままよと半神になっちゃったって感じ。でも――」
にこりと、緊張した空気を和らげようと吸血鬼に笑いかける。
「後悔は、してないよ」
彼女の顔から、暗い感情が静かに消える。
代わりに、心底呆れたような眼差しはもらったが。
「変わってる」
「うん、神様はそういうやつらの代名詞さ」
「……変な男とはさっさと縁を切らないとね」
「ちゃんとこの服、洗って返しに来るよ?」
「いい、あげる」
「いや、でも」
「どうせ、無理だから」
無理? 何がだろう。
――この家を見つけることなんて、できるはずないんだから――
ほとんど聞き取れない、かすかな独り言を発したかと思うと、ばさりとコウモリの翼を開き、威嚇するように睨まれた。
「ほら、早く帰って」
「……また、服のお礼させてね」
それだけ言って、僕は夜の空に向かってふわりと浮き上がり、家路につく。
きっと、いつかまた会えるはずだ。
縁というのは、切っても切っても結びなおせてしまうものなのだから。
そして、まさかこんな出会いから数日後に、またこの吸血鬼と出会うなんてことは、予想するどころかありえないとすら、僕は思っていたのだった。
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