「虹羽さん、黒橡の方舟って怪異専門組織なんですよね?」
「うん、そうだよー」
「じゃあ、吸血鬼に関する資料もまとめてたりしますか?」
「もちろん。資料室に怪異の歴史書も論文のデータだって保管されてるよ。けどまあ、手っ取り早いのはシオリさんに聞くことじゃないかな」
「シオリさんってたしか……僕の体を検査してくれた人でしたっけ?」
「そうそう、あの黒髪メガネおさげさん。知識量がすごいから、闇雲に探し回るより効率良いよ。地下5階が彼女の研究室になってるから、行ってみるといいんじゃないかな?」
方舟の廊下でばったり出くわした虹羽さんと会話をしたのが、約3時間前。
そのアドバイスを真に受けて、以前ここへ所属することが決まった時に細かく検査をしてくれた研究者、シオリさんのところへ行ったわけだが。
「でねでね! 吸血鬼の心臓は杭で打ちぬくと再生できずに死んでしまうっていう逸話があるんやけど、別に人間でも心臓をうちぬかれたら死んじゃうのは同じことやのに、なんで彼らの不死性を失わせるのが杭なのかっていうのがずっと議題に上がっててね!」
「はい……」
「ホワイトアッシュだったりバラ科の植物だったり地域によってさまざまなんやけど! なぜか海を跨いでも鉄の杭には弱いんよ!」
「はい……」
「それなのに吸血鬼自身は心臓を気にしない戦い方をよくするんよね! 致命的な弱点の日光とか銀より、『そこ気にしなくていいの!?』ってうちはいっつも思っちゃうの!」
「ええ、はい……」
怒涛の早口、重機関銃顔負けのマシンガントークである。
いや、別に彼女がおしゃべりさんである実情を知らなかったわけではない。
半神半人として変異した体を入念に検査してきた時ですら、鼻息を荒げて興奮気味だったから、知識欲が凄まじくオープンな人だというのは理解していた。
だが、吸血鬼の話題ひとつで3時間も盛り上げられると、さすがに返答も覇気がなくなっていく。
最初の方は興味深かったが、途中から膨大な情報を蓄えきれなくなった頭はくたびれてしまい、生返事が多くなったというのに、彼女のペースは乱れない。
議論というのは恐ろしい世界だ、研究者の方々はこれをやっていて精神を保てているのかな……?
「いやー! みなと君って聞き上手やね! うちの話をここまで熱心に聞いてくれる人いないから嬉しいわー!」
「あぁ……はい」
マイゴッド、懺悔します。
頭を空っぽにして聞いてるだけです、聞き上手ではありません。
「でもさ、どして突然吸血鬼のことを聞いてきたん?」
数時間喋り倒してから原点に戻るんだから、会話の順序がおかしいと突っ込むべきなのだろうか。
一応組織内では入りたての一番下っ端が、上の人を立てようとしたわけだが、目論見が甘かったようだ。
「……あ、えっとですね……」
「あっ……あちゃー、うちまたやっちゃったわ! 喋られまくって疲れたよね!? ほんまにごめん!」
ようやくこちらから切り出せるタイミングで、がっすがすに掠れた僕の声に心苦しさを覚えたようで、シオリさんは上目遣いで謝ってきた。口調こそ関西弁で荒々しいが、仕草は存外可愛らしい。
「い、いえ……貴重なお話を聞けましたので……」
「ホント!? じゃあもっと聞きたいかな!?」
「あいえ、その……できれば本題を……」
「あっ……せ、せやな! あかんね、うちもちょっとクールダウンせんと!」
そう言って、シオリさんはひとり用の研究室に鎮座する小さめの冷蔵庫へ近づき、中からエナジードリンク缶と紙パックのレモンティーを取り出す。
「これしかないんやけど、みなと君はどっち飲みたい?」
「えっと、じゃあエナジードリンクで……」
喉も乾いているが、いま必要なのは眠気覚ましと頭の回転を速めるカフェインだろう。
プルタブに手をかける。かしゅっと弾けるさわやかな音に待ちきれず、勢いよく缶を持ち上げた。
渇きを潤す甘い泡と、脳天を刺激する強心作用が不思議と心地いい。
「ぷはっ……生き返る……」
「ホントにごめんなぁ……? うちの悪い癖なんよ。慣れてる子たちはいつの間にか退散してくれるんだけど、みなと君は気を遣ってくれたんよね? 優しい子やなぁ」
「いえ、面白い話も多かったんで、そこは全然かまわないんですけども。ただどうしても聞きたいことがありまして」
手持ち無沙汰を紛らわすように、缶の底面をなぞりながら僕は問いかける。
「吸血鬼の由来とか情報が欲しいのもあるんですけど、できれば『変わった吸血鬼』が知りたいんです」
「変わった吸血鬼? それって、どんくらいのふり幅なんかな?」
「……例えば、日光を浴びてもうなだれるぐらいで済むとか、添加物の桃ジュースを飲んでふらついたりとか、人の記憶に残らないみたいな……」
「うーん、吸血鬼らしくない特徴をしてるヴァンパイアの話が聞きたいってことかな?」
「あ、そんな感じです」
シオリさんは紙パックに差し込んだストローに口をつけながら、ローラーのついた椅子で器用に移動してノートパソコンを開く。
「たとえばそうねー、日光が苦手じゃない、もしくは全く効かない吸血鬼はいたりしたねぇ。太陽を克服した時点で、それはもう吸血鬼とは言えないんだけど、元吸血鬼みたいな経歴の悪魔がいたり」
「悪魔、になるんですか……?」
「悪魔もどき、かな。人の欲をそそのかしたり、代償をもらって願いを叶えたり。悪魔みたいな商売をやり始めると、吸血鬼性が弱まっていったりね。あ、けどヴァンパイアのハーフとかなら、日光の影響も薄いって事例は多いみたいやね。昔は吸血鬼と子を成す人間も多かったし。けど日光に弱いっていう逸話自体が、わりと近年のものだしね」
「あれ、そうなんですか? 『日光を克服できない』のがアイデンティティだって聞いたことがあるんですけど……」
「えっとね、そうとも言えるけどそうじゃない個体もいるんよね。確かにもともと日光に弱い、というか肌が弱い種族やったんやけど、だからといって日光で灰になって焼け死んじゃうのって、吸血鬼の中ではわりとニュービーなんよね」
日光が弱点という逸話は有名で常識のように広まっているが、実はフィクションから取り入れられた設定なんだとか。
つまり、最近のトレンドでもあり、近年生まれた吸血鬼はその逸話の影響を受けやすいが、古くからいる吸血鬼からすると「最近の若い奴は軟弱すぎる……」と呆れられるらしい。
「個体差が激しいんですね……それ以外に、吸血鬼として何か変わっている事例ってありますか?」
「んー、これはうちが結奈ちゃんから聞いた話なんやけど」
シオリさんはキーボードを打ち始め、タッチパッドに指を走らせる。
ノートパソコンの画面を僕には見えない向きにされたことから、閲覧しているのは重要な情報なのだろう。
「殺しきれない吸血鬼、ってのがいたらしいね」
「……不死身ってことですか?」
「いや、過再生と存在信仰が掛け合った、吸血鬼版キリストみたいな。カルミーラ家がまさにそうだったんだけど、まあ名前を言ってもピンとはこないかな。体を粉微塵にしても信者たちの信仰心で蘇ってしまうんやってさ。言ってしまえば、吸血鬼の王様やね」
「王様……。孤高のイメージがあったんですけど、社会性がありそうですね」
「歴史が長いからねぇ。流行りは遅かった方だけど、存在自体はかなり前からいるからさ。古株の吸血鬼は自然と慕われることが多かったみたい。そんな吸血鬼も今ではだいぶ減ったんやけどね」
「それは、やっぱり今の世が怪異と距離があるからですか?」
「いんや、数十年前に大戦争があって、そん時に結構減ったんよ。今生きてるのは、戦争の時に運よく生き残った若い吸血鬼か、隠れていた奴だけらしいねぇ」
末裔がちらほらいるだけで、純粋な吸血鬼である古参はほとんど、この世にはいないらしい。
「……末裔になればなるほど、その過程で突然変異したりしますか?」
「ありえなくはないけど、一時の遺伝子エラーで終わると思うから、本来の性質が劇的に変わるってことはないと思う。吸血鬼は銀髪と金髪が多いけど、その髪色が赤になったり、紫になったりとかも、わりとあるあるやね」
ということは、戸牙子の霧の能力や日光への耐性は、先天性の特徴である可能性が高いか?
彼女の親が吸血鬼としての格が高かった可能性や、ハーフだからこそ起こった突然変異も視野には入れておこう。
「けど熱心に調べてるんやね? 吸血鬼の知り合いでもできたの?」
「……そんな感じです」
今、方舟で戸牙子を保護はしているが、シオリさんだけでなく、ほとんどのメンバーは戸牙子を認識できていない。
来客専用の一人部屋も割り振っているのに、応接担当のスタッフは気付けないから食事は僕が持っていかなければならない。
唯一、虹羽さんは彼女を認識できているが、「ちょっと野暮用があってさ。ガンバだよ、みなと君」とかで助力が見込めない。
ただし、僕が戸牙子のそばにいる時だけは霧が晴れたように認識できるらしい。
てっきり僕は、桔梗トバラと山査子戸牙子がイコールであることを知り得たら、あの不可思議な霧術は解けると思っていたのだが、それは一時的な解除方法だった。
「この子はVtuberの桔梗トバラなんです」と方舟の人に紹介しても、その時はまだ認識されるが、数分も経てば視界から消えたように見失ってしまう。
この現象は、僕が公園で倒れた戸牙子を家に連れ込んだ時に、最初は応対していた姉さんが途中で忘れたように自室へ帰って行ったのと似ていた。
と、思索に耽っていたらポケットの中にあるスマホが震える。
メッセージを受信したようで、シオリさんに断りを入れつつ、内容を確認。
虹羽さんからだった。
『戸牙子ちゃんに聞いておきたいことをリストアップしておくから、みなと君から聞いておいてもらえるかい?』
同時にテキストファイルが送られてくる。
不思議に思いながらも、『了解です』と端的に返信を済ませ、シオリさんの方へ向き直る。
「シオリさん、お話ありがとうございました。用事が出来たのでこれで失礼します」
「わかったー、またいつでも来て良いからねー!」
地下5階にあるシオリ研究室から出て、エレベーターで地下20階にある人外用の応接室と客室を兼ね備えた、『方舟ホテル』まで下りて、戸牙子がいる2000番台の部屋まで向かう。
だぼだぼの病人服に身を包む金髪紫眼吸血鬼は、誰かを待つように三角座りをして縮こまっていた。
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