非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
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130 桜火の冷めた夢

公開日時: 2021年11月8日(月) 21:00
更新日時: 2022年8月3日(水) 15:22
文字数:3,292

 

 揺らめきが静まり、風の音が止み、地面へ散らばっていた木の葉と桜の花びらが、その場に留まった。

 海女露さんはぐいっとフードをかぶり直して目線を隠し、黙り込む。

 

 都合のいいものに頼ろうとするのは良くないが、僕は今こそ第六感に頑張ってもらいたかった。

 彼女がいま、話を聞いて欲しいのか、それとも静かにしていてほしいのか。

 その判断を直感的にしてくれる、あの波音が恋しい。

 

 本当は気になるし、聞いてみたい。知り合った経緯や、僕が知らない二人の話を聞けるかもしれない相手なのだから。

 初対面で立ち入りすぎるのは良くない、とは思っていても、好奇心が鳴り止まない。

 肝心な時にというか、欲しがっている時に来てくれるやつじゃないよな、あの不思議な波音。

 

 ――~~~~――

 

「!?」

 

 突然の出来事に立ち上がってしまった。

 僕の願いに応えてくれたように、脳内に響くさざ波の音。僕の第六感。

 しかし、それが目の前で黙り込んだ海女露メロに対してではなく、『別の何か』を訴えていることで、感覚が一気に研ぎ澄まされて心臓がばくばくと跳ね上がる。

 

 嗅覚と肌感がざわつく匂いが、夜風に乗って僕の元にまでたどり着いた。

 それはよく知っているものでありながら、二度と感じたくないものだったのだ。

 

「え、ちょっと。じっとしててよ」

 

「……海女露さん、もし巴さんが帰ってきたら伝えておいて。というかしっかり言っておいてね。止められなかった海女露さんが悪いわけじゃない、勝手に動いたみなとが悪いって」

 

「は? なに、動かないでって言われたでしょ?」

 

「ごめん、それどころじゃないんだ。必ず、すぐ戻るから」

 

 走った。駆けた。

 背中に海女露さんから静止を求める声を浴びたが、無視するように逃げた。

 

 匂いの出所は、近かった。

 忘れもしないどころか、むしろトラウマさえ覚えるその匂いに、僕はひたすらに足を動かして、向かった。

 

 僕の嗅覚だけが気付ける匂い。

 僕の右腕を焼き尽くした匂い。

 桜が燃え盛る煤の匂いがほんのわずかに、夜風と共に、鼻腔をかすったのだ。

 

 桜火。

 僕がそう名付けた怪異が顕現するときには、独特の匂いがある。


 植物や石などの自然物が灰へ変わり果てるものでもなく、プラスチックや家といった人工物が黒煙と共に生み出すものでもなく。

 もっと別の、燃えてはいけない何かが燃える匂い。

 例えようのない、表現しようのない燃焼。


 人の世にあるものが燃えているわけではないのに、その匂いが間違いなく「火」によって生み出されていることだけが分かる、煤っぽさ。

 異様な火であり、異常な怪異。


 だが、僕は桜火が何を燃やしているのかが、分かる。

 燃やされた張本人だから、体が覚えてしまっている。


 桜火が燃やしているのは。咲良が燃やしているのは「精神」なのだ。

 だからこそ、とでも言うべきだろう。

 

 物には、心がない。

 人工物に、精神はない。

 だから桜火は、物を燃やせない


 しかしそれは、精神を持つ者に対しては特効が入ることを意味する。

 動物、人間、怪異、化け物。

 意識を持つ者を内側から燃やし尽くす、意思持つ怪異。


 ゆえに、桜火が燃やす対象は宿主である「本人」ですら例外ではない。

 桜火は、乗り移っている咲良を媒介にして、あたりを火に包む。そうしなければ、表に出てこられない。

 

 咲良が微睡に包まれていたのは、咲良自身の精神が乗っ取られていたからではなく、彼女の心が燃やされていたから。

 僕ぐらいしか察知できないわずかな匂いは、間違いなく桜火が「精神を燃やしたときの匂い」であり、被害にあったのは僕と、空木さんと、咲良だけ。

 

 あの独特の香りをたどって必死に走ったが、匂いの根源はすぐ近くだった。

 僕らがいたバスケットゴール側とは真逆にある、同じ公園内のベンチで座っていた咲良は、数人の若い男に囲まれていた。


「お姉ちゃん、こんなところで何してるん?」


「夜にひとりは危ないやろー? しかもいまここ立ち入り禁止だしさ、なんかあったん?」


「俺ら話聞こっか? すぐそこ家だからさー」


 不良、と僕が言うのははばかられるというか、人のことは言えないが、彼らの装いはまさしく不届き者のなりだった。

 夜目がきくおかげで、服装もはっきりと分かる。

 手入れの悪い髪、使い回しの目立つ服の汚れ、くたびれた靴、ベンチにもたれかかる筋の甘い姿勢。

 マイルドヤンキーと呼ばれるような風貌の男たちが囲って、咲良の退路を封じていた。


「いえ、別に何もありません」


 毅然とした態度で咲良は彼らと視線を合わせない。

 そんな冷めた対応に懲りず、彼らは執拗に咲良へ話しかけている。


 だが、僕は寄ってたかって女性に群がり、囲って逃げ場をなくす男共の光景に、怒りを覚えられなかった。

 むしろ戦慄し、恐怖し、足がすくんで遠目に眺めたまま、棒立ちになってしまった。


 咲良の中にあるそれが。

 咲良の内側で燃える炎が、明かりに群がる虫を焼こうとしていた。


 陽炎。

 燃えるようにたゆたう空気のよどみが、咲良の全身を覆っている。

 いつぞやの僕や空木さんのように、もし彼女の体に触れようものなら、間違いなく燃やされる。

 そうなることを必死に、咲良は押しとどめている。桜火を自分の意思で、塞ぎ止めているように見えた。

 

 桜火が咲良自身の恐怖だけで満足しているのか、それとも単なる自己防衛なのか。


「なんか良い匂いするねお姉ちゃん、風呂上がり?」


「いえ、別に……」


「けど髪すっげえ綺麗じゃん、手入れしてるの?」


 男の一人がベンチに座って咲良と並び、なれなれしく触れようとした。


「おーい咲良!」


 迷っている暇はなかった。

 公園内に響くほどの大声で、全員の注意がこちらに振り向く。走って咲良に近づき、男たちの合間を縫って彼女の肩に触れる。


「っ……、探したよ。危ないだろ、こんなところで……」

 

 咲良の肩を掴んだ手がほんの一瞬、高温で熱された鉄に触れたような感触を覚えたが、かと思えばその熱はすぐに霧散した。


「あれ、知り合い?」


 ベンチに座った男が、明らかな邪気を含んだ目を向けて言う。邪魔されたとでも言わんばかりに。

 けれど物怖じせず、僕はにこりと笑いかけて言いのける。


「妹です」


「え?」


 間抜けな声を出した咲良の肩に力を入れて、暗黙のうちに示し合わせる。


「咲良、この人たちは知り合い?」


「あ、いや……」


「知り合いじゃないの? じゃあ、どういう関係?」


 睨み返すと、男たちはばつが悪そうにそそくさと距離を開けた。


「あー、いや、お兄さんがいるならいいや。夜更けに女の子ひとりは危ないやろーって話してて」


「そうでしたか。わざわざ気にかけていただいて、ありがとうございます。妹がご迷惑をおかけしました」


「あー、うん、気をつけてー」


 男たちは居心地悪そうにこの場から退散した。

 公園の入り口から立ち入り禁止のテープをくぐって出るところまで見送って、ようやく安心できた。


「はあ……よかった」


「あの、みなと君、妹って……?」


「友達じゃ弱いし、彼氏っていうのも誤解を生みそうだしさ。兄貴ぐらいが丁度良いでしょ?」


「……みなと君が弟じゃないんだね」


「え、僕が上じゃない? 誕生日から見ても」


「三ヶ月程度の差じゃん、精神年齢は女子の方が高いよ?」


「咲良が、お姉ちゃん……? ごめん想像できないわ」


「私もみなと君がお兄ちゃんとは思えない」


「……僕は料理できるぞ」


「私は掃除できるよ」


「家計簿管理できるぞ」


「バイトしたことあるよ」


「……それは、負けるかも」


「いえい」


 ハサミで切るようにピース。どうやら人生経験においては咲良が優勢のようだ。


「しかしそうか、そういうことなら仕方ないな。うむ、どちらが上であるかは咲良に譲ろうじゃないか」

 

「なにその澄ました言い方! まるで『譲ってあげた自分の方が余裕ありますよー』みたいな!」

 

「はてさてなんのことやら? 咲良の方が僕よりお姉さんなんだろう? まさかそんな人に余裕がないわけないしなぁ?」

 

「鼻につく言い方! 巴さんよりむかつくぅ!」

 

「誰よりむかつくって?」

 

 僕らの会話に割り込んできた声には、感情がなかった。

 低く通る女性の声。口では冗談を言っているのに、声色には楽しさなど一切含まれていない。噂話をされた張本人が、海女露さんを脇腹に抱えて、数メートル先で仁王立ちしていた。


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