「えーと、つまり……戸牙子は自分の大好きなアニメの同人イベントがあって、それに参加するためにはるばる都会に来て、その途中で帽子をなくしてしまって、気付いたら体力がほとんどなくなってたと?」
「はい……」
泣き止んだ戸牙子は、水を飲みながらソファで静かに俯いている。
まるで誰かさんと視線を合わせたくないように。
「けど、せめて日陰にでも行けば良かったんじゃない? 一応きみ、吸血鬼だよね?」
「……実は、昼間から外に出るの久しぶりで、慌ててたの……。本当に、十年ぶりぐらいだったから……」
「ええ……そんな引きこもりなの?」
「……その、信じてもらえるかどうか分からないんだけど、出れないの」
出れない?
「あの家から、というよりあの田舎から先には、今まで出られなかったの。閉じ込められているというか、出ようと思っても、いつの間にか家に戻ってるの」
どうして閉じ込められているのか。
なぜ家に戻っているのか。
どうやって自分の食料や、生活環境を整えているのか。
不思議に思うことはいろいろあったし、聞きたいことも山ほどあるが。
戸牙子の言う、『いつの間にか』という単語が、僕は妙に引っかかった。
「けど、この前みなとが来た夜。あの日以降、あたしは十年ぶりに、外に出られるようになったの」
「……本当に?」
「うん。記憶が消えていることもないし、起きたら家の居間にいたってこともなかった。まあ、相変わらず反応は薄いけど」
反応が薄い?
戸牙子は僕の疑問を晴らすように、説明を続ける。
「……あたし、人に気付かれても興味は持たれないの。目立つ行動をしても問題ないっていうのは、そういうこと」
認知されない。
認識の外にいて、そこにいるのに、まるで霧のように微睡んで、忘れてしまう存在。
「けど……本当なら記憶にも残らないはずなのに、みなとだけは違うみたい。あと、その……お姉さんも……」
ちらっと部屋の隅で立っている姉さんの方に視線をやるが、無反応。
怖がらせたことをさすがに悪く思っているのか、廊下に立たされた生徒のように静かにしている。
かと思ったら、姉さんは部屋の扉を開けて、階段を登っていき自室に向かった。
まるで、リビングでの用件が済んだから、あとは部屋で過ごそうと考えたような、自然な動きで。
「あれ? うーん、あそこまで愛想のない人じゃないんだけど……ごめんね」
「い、いやいや……多分気遣ってくれたんだと思う」
まあそうか。
自分を泣かせた人が近くにいるというのも、怖いものだろう。
さすが姉さんだ、その気立ての良さをぜひとも表情筋に活かしてほしいものだが。
「みなと……」
「うん?」
「本当に、ありがとう……。あなたの助けがなかったら、多分夜までずっとあそこでうなだれてた……」
「それぐらい、気にしないで。苦しそうな知り合いを見て見ぬふりするのは、後味悪いからってだけだよ」
吸血鬼性が半分であっても、日光に当たり続けていれば、少しずつ焼け死んでいくらしい。
けれど、所詮ハーフヴァンプだから、日の出から日の入りまでずっと太陽を浴び続けるでもしない限りは、戸牙子は大丈夫らしい。
だから、夜になるまで耐えて、吸血鬼の本領が戻ったら家に帰る予定だったとのこと。
……ただ、どうやらピーチジュースを飲んだからふらついたことには気付いていないみたいだから、秘密にしておこう……。
「なんか、半分吸血鬼ってのも苦労してそうだね」
「そうね。ちょっとぐらいなら大丈夫って思って歩いてたら、いつの間にかへとへとになってた……」
「うーん、引きこもり生活の長さが出てるね」
「はい……もう少し計算して動こうと思います……」
えらく素直なところを見ても、どうやら本当に気に病んでいるようだ。
話題を変えるか。
「けど、一番気になるのはVtuber活動の方なんだよね。ネット環境もそうだけど、人の記憶から自然と消えるっていう君が、どうしてあそこまで影響力のあるチャンネルにまでなってるの? 忘れられないの?」
「えっとね。まず大前提として、あたしがあの地域から出られないだけで、他の人が入ってくることは一応できるの」
戸牙子だけ、あの田舎に囚われているということか。
「通販で買ったものも配達されるし、回線の工事もしてもらった。まあ、顔や名前は覚えてはもらえないけどね……」
彼女は配達員の顔どころか、名札にある名前まで覚えたというのに、一度も「いつもありがとうございます」といわれたことがないらしい。
「チャンネルに関しては、山査子戸牙子は忘れられるけど、桔梗トバラは人の記憶に残るみたい」
「え? まさか、Vtuberのガワは別人扱いなの?」
「そうなるみたい。あたしも半信半疑というか、今でも信じられないんだけど、文明の利器が十年近く抱え続けた孤独を癒してくれたの。まあ、桔梗トバラは別人扱いなんだから、あたしじゃないんだけどさ……はは」
からりと、戸牙子はあらがえない事実を何気なく、けれど寂しそうに一笑する。
十年の孤独。
出ることの叶わない牢獄で、たったひとりで抱え続ける人生。
僕ら人外の人生なんて、そんなものだろう。
同情する余地もない。
同調する価値もない。
人間じゃない生き者が、人間の哀れみなんてもらえるわけがない。
そんな情けをもらう方が筋違いであり、僕らは孤独を良しとして、疎外を受け入れて、生きなければならない。
でも。
僕と、戸牙子は、その理屈を。
人外が持つ暗黙の了解を、すべて適用できるわけではない。
だって。
僕たちは。
半分は、人間なのだから。
僕の手は、自然と琥珀色の髪に伸びてしまったが、ぎりぎり思いとどまる。
危うく、デリカシーのない行動を取るところだった。
「え、な、なによ、その行き場を失った手は……?」
「……戸牙子、君はすごいね」
「は、はあ? 別にそんなことないわよ……」
「君は、こんな安い同情なんていらないって思うかもしれない。半分人間で同類の僕が、勝手に共感しているだけかもしれない。でも、僕は心から尊敬するよ」
「尊敬……?」
「うん、桔梗トバラは、やっぱり大物Vtuberだって。配信でたまに見せる、リスナーへの思いやりとか、優しさとか、楽しませようとする心意気とか。ああいうのは間違いなく、山査子戸牙子の精神性から出来上がっているものだ。決して、別人じゃない」
自分と同じなのに、別の存在。
分身ともいえるのに、自分とは違う者。
歪なものを抱え続ける辛さ。
自分であるはずなのに、桔梗トバラは見ているリスナーたちが作り上げた存在であり、孤独に独り歩きをしている。
半身が独り歩きしているところが、僕と似ている。
でも、彼女の孤独は僕よりもっと寒くて、苦しいんじゃないかと、思ってしまう。
僕にはまだ、姉さんが居たけれど。
戸牙子には、家族すらいないのだから。
「僕だったら、そんな孤独には絶対耐えられない。だから、すごいって思う」
「……誰かひとりでも、あたしを覚えていてほしいだけなの。でも、桔梗トバラは違う……」
「なら、僕が忘れない」
吸血鬼の少女は紫水晶の目を見開き、宝石のような輝きをほんのり灯す。
「山査子戸牙子は、僕が覚えておくよ。なんで忘れないのかは不思議だけど、昼間が苦手なのに無理やり外に出てきたBLオタク吸血鬼なんて、印象的すぎてきっと忘れられないだろうからね」
「……え、ちょっ!? なんであんた、あたしの趣味を!?」
「いやぁ、なかなかえっちな本も買うんだね、君」
「ハッ! あんた、もしかしてあたしの戦利品を!?」
「いやさ、この紙袋を公園に置きっぱなしにしてたら幼気な女児たちの性癖の扉がノックされるかもって危惧したのさ、むしろ感謝してほしいぐらいだよ」
「感謝はするけどさ! 気付かれづらいのを頑張って声掛けして、必死にかき集めた戦利品なんだから! でも中身まで見るのはさぁ!」
「あのさ」
「なによっ!?」
「BLの見方と味わい方を、レクチャーしてほしいんだけど」
一瞬、戸牙子は何を言われたのか理解できなかったようで、ぽかんと口をあけたままになる。
「さわりで読んでみたら、意外と面白くてさ。でも、これってなんかのアニメのジャンルなんだよね? もっと楽しむために、設定とか、いろいろ教えてほしいんだ」
「ま、マジで言ってる……!?」
「うん」
それこそ、何百万カラットのレベルで紫色の宝石が輝き、眩しいぐらい嬉しそうな感情が彼女の目から放たれる。
「みなと、今日は寝かせないわよ」
「はは、いつもなら寝てる時間じゃないの?」
「オールするに決まってるじゃない! 一日じゃ語りつくせないわよ!」
いつもの調子、というほど知り合って長いわけではないが。
この日を境に、僕と戸牙子は人外の知り合いから、深く話し合える友人へと関係がランクアップしたのだった。
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