そしてすべてが万時解決、とまでは言えなくとも、おおむね大団円で終われたのではないのだろうか。
一つだけ、父親に会いたがっていた戸牙子の願いは叶わなかったが、それに関してはあまり気にしていないらしい。
「今パパと会えても、ね。まずはお兄ちゃんとママと暮らして、家族の感覚を取り戻してからもう一度、ちゃんと胸を張って会いたい」
と、心配で尋ねたことが杞憂だったぐらいには、今度こそ本当に吹っ切れたように、あるいは新たな覚悟が決まったように戸牙子は言いのけた。
どうしてそんな決意ができたのか聞きたかったが、なんとなく、それすら無粋な真似な気がしてしまったのは、彼女に宿る信念が眩しいぐらい、カッコよかったから。
そして山査子家は僕が贈呈したご祝儀を使い、人里離れた僻地にあるお屋敷を新たな住まいとすることになった。
元の家主が玄六さんだったころの日本家屋ではなく、どちらかと言えばロゼさんの趣味が反映された西洋風の屋敷を選んだようだ。
心機一転、過去との決別。
それは戸牙子、六戸、ロゼさん共に、そうであったのではないかと僕は思う。
未練も哀愁も詰め込まれていた故郷から、自立すること。
きっとそれは戸牙子たちより、玄六さんが望んでいたことなのかもしれない。
一家のお父さんとして、息子娘たちの門出を祝えないのはもしかすると、心残りなのではないかと不安になって、僕は『筆』で山査子家の報告をしておいた。
そしたら、玄六さんの返事はあまりにも淡白だった。
『やっとだな』
本当に、これだけ。
僕は数百文字近く懇切丁寧に書いたというのに、金の筆痕がぎゅっと濃縮されてこの五文字。
なんか、必死に書いた論文やら小説感想文に「よかった」としか返されてなかったもやもやと似ている。
そんな山査子家が引っ越し先で今は何をしているのか。
戸牙子は相変わらず桔梗トバラとして配信業に勤しんでいる。
これまで相手の記憶に残らない性質も合わさり、他配信者とのコラボが少ない個人勢だったのだが、今は頻繁にコラボ配信をしている。
なにやら、Vtuberとして見ると桔梗トバラは最古参でもあるため、原点組として崇め奉られる傾向が多かったらしい。
それが何を意味するかというと、あとから続いたVtuber後輩たちが遠慮するのだ。
大御所の俳優や声優を相手する時に恐れ多くなるのと似ているのだろうけれど、本質として見れば、トバラに話しかけようとしたタイミングでぼんやりと記憶が消えかけるから、コラボが成立しなかったのだろう。
霧の呪縛から解放された今の戸牙子に、そんな枷はない。
活き活きと、楽しそうに色んな配信者と絡んでいる姿は、「友達増えてよかったね」と僕が勝手に後方保護者面してしまうぐらいである。
だが、それ以上に、というか僕個人として嬉しいニュースもあった。
それは、桔梗トバラの定時配信の時に起こった。
配信タイトルは『兄フラされたから開き直って親も巻き込んでやった件www』
動画のサムネ、つまり見開きの画面には戸牙子自身が描いたであろう、金髪ボブヘアの色っぽい女吸血鬼のアバターと、金髪赤目前髪片目隠れのイケメンがいた。
「もうママ! なんでその敵踏んじゃうの!? それ踏めないやつなんだって!」
「ええ? でも踏めば倒せるって聞いたのに……」
「倒せないのは別のアイテムで倒すの! ほら、投げものとか能力の火の玉で! ってお兄ちゃん! ささくさ進まないで! ママを介護したげて!?」
「介護される年ですけども……でもその前にさっさと消えたいわよね……」
「ちょ、配信中に物騒なこと言わないでよ! なんでママの方が病み属性強いのよ!?」
「闇? えっと、私闇術は得意じゃないわよ?」
「処世術みたいに言ってんじゃないわよ!? なんだよ病み術の使い手って! どこでそんなスキルが活かせるんだよ!?」
「ええっとほら、証拠消しとかに」
「ママってメンヘラだったの!?」
自宅のベッドでごろごろしながら、僕は二十三時から始まるトバラの家族配信を満面の笑みで楽しんでいた。
わちゃわちゃと微笑ましく遊んでいる雰囲気だけで、嬉しくて。
そして何より、安心した。
あの三人の門出は大丈夫なのかとずっと憂慮していたが、すべての誤解が解けてしまえば、あっけないものだった。
まあそれは当然でもあり、必然でもある。
戸牙子は「家族を求めていた」
ロゼさんは「戸牙子のしがらみを解いて、自由にさせたかった」
六戸は「戸牙子とロゼさんを守りたかった」
すべての願いと夢が叶ったのだ。
ならあとは、家族をやり直すだけ。
ここが、山査子家の再起点であり。
そして、僕の願いの終着点だから。
*
「シオリさん、僕の右腕はどんな感じですか?」
「何とも言えんのよねぇ。見た目も人だし、帯びてる性質も完全に人だけど、本来それってみなと君が半神半人になってしまった時点でありえないことなんよ。だって全身に血液を巡らせる心臓が、神様のものになっているんだよ? どんどん浸食されていっててもおかしくないのに、受肉させると変質するというより、あちら側とこちら側が繋がるのかな?」
虹羽さんの忠告通り、シオリ研究室に向かって僕は検診を受けている。
後ろに、保護者付きで。
そんなシオリさんは黄色のメガネ型ルーペで上半身裸になっている僕の体を舐めまわすように見ている。
「ふむふむ、良い筋肉して……じゃなくていい血色してるね。まだ変温動物らしさは表面化していない、っと。鱗の範囲が広がって、そろそろ首元に近づいてきてる。けどなんで放射状に広がらず、心臓より上の方に広がっているんだろうね。うーむ、面白いなぁ」
「シオリ、私の弟を狙うのなら、分かってるわよね?」
「冗談、結奈ちゃんの可愛い可愛い弟に手を出すわけないじゃーん。それにこれってもしかして私たちが手を出していい存在じゃないかもしれないよ? 下手な扱いをすれば、あちら側から報復だって起こりうる気がする」
シオリさんは普段の関西弁やノリの良さが消え、真剣な表情になり姉さんと話し込む。
「……シオリ、あなたなら彼を見捨てる?」
「まさか。そんなことしたら『歯車』が沈黙を破ってくるにきまってるじゃん。そうなれば仲間割れとまではならなくても、見計らったように『庭園』もちょっかいをかけてくるはずだよ」
「『庭園』とは相手したくないわね……」
「あそこには灰蝋君がいるしねぇ。虹羽くんも最近はあちら側との交渉事で忙しいみたいだし、少なくともうちらがみなと君を守ってあげたら、あと数年のうちに活路が見えてくると思うよ」
「となれば、暴走癖ぐらいは矯正するべきかしら……?」
「いや、癖っていうのは治すものじゃなくて、受け入れる方がいいと思うんよ。今回だって一応無事に帰ってこられたんやしさ」
「それじゃあ……だめなのよ」
姉さんは寂しそうな感情を滲ませて続ける。
「私はこの子を、人間に戻してあげたいの。だからシオリ――」
「分かっとるよ、ちゃんと調べておくから。もうそんなしおらしい顔しちゃってさぁ、そういうギャップがたまらないよねぇ結奈ちゃん?」
「あ?」
にこにこと、あの絶対零度の覇気をもろに浴びても動じないシオリさん。
というか、姉さんが呼び捨てにしていることから見ても、かなり仲が良いのだろうか?
「はぁ……とりあえず進展なしってことで。みなと、帰るわよ」
「あっお二人さん、ちょいとお待たれよ」
姉さんが上着を僕に渡すと同時に、シオリさんはデスクの引き出しを開けて箱らしきものを取りだした。
品の良い革に包まれた箱の中にあったのは、少しだけ見覚えのあるネックレスだった。
「あれ、これって……」
「そ、虹羽君がみなと君に一度渡したネックレスの、水晶の部分を変えたものだよ」
「その紐の先についてるって……蛇のうろこですか?」
「ご明察。実はねみなと君、最近ようやくお許しをもらえたから話すんだけど、君が心臓を撃ち抜かれたあの日。君がざらりとした鱗を触ったって言ったあれ、実はね、君の体の中に取り込まれたわけじゃなかったんだよ」
「……え、ええ!?」
衝撃の事実ではあるが、確かにあの鱗自体がどこに行ったのかを聞いていなかった。
てっきり、僕の空いた心臓にすっぽりはまったのかと思っていたが、ちゃんと残っていたのか。
「研究と解析が済んだから、元の持ち主に返そうと思ってね。というよりむしろ、これは君が持つべきアイテムだから」
「どうしてですか?」
「だってさ、ミズハ……おっと。君の中にいる神様だって、身近に安心できるものがある方がいいからね。ましてこれは、彼女が蛇時代の名残なんだし、そういう生身の残滓は、彼ら″真″の性質を持つ怪異たちにとって特別重要な物なんだよ。うちら人間にとっての記憶みたいにね」
記憶。
大事な思い出、みたいなものなのだろうか。
詳しいことは、ミズチにまた聞いてみるか。
「ありがとうございます。ではそろそろ帰りますね、夕ご飯の準備をしないといけないんで」
「家庭的男子、萌える……。あ、いやそうか、結奈ちゃんの家事スキルが壊滅的だから……」
「何か言ったかしら?」
氷の銃弾が飛ぶ前に、僕はそそくさと逃げる。
けれど、付いてこない姉さんの方を振り返ると、「先に帰ってて」と言われた。
多分これから説教の嵐なんだろうなと、僕はシオリさんの無事ではなく、軽傷で済むことを願うのだった。
* * * * *
私、神楽坂結奈は袖をまくり、人間怪異図書館であるシオリに右腕を診せる。
ルーペを持ちながら肌を貫く勢いで注視され、数秒ほど流れる沈黙が微妙に気まずい。
「どう?」
「真に寄ってるよ、しかも今までより急激に」
「……そう」
属性が真に寄っている。
それはつまり、人間が本来持つ‟反”から遠ざかっているということ。
人間であるはずの私が。
「うーん、結奈ちゃんって虹羽くんと同じで、反と真を両方持つ変わった性質だったけど、みなとくんの影響がもろに出てきてるよね」
「吸血させている所為なのかしら?」
「……うちの仮説だけど、多分結奈ちゃんが持つ本来の性質が、みなと君から吸血されるたびに覚醒しているんやと思う」
普通であれば、反と真の性質はどちらか片方しか持ちえない。
重りを置いた天秤のようにどちらかに傾くのが正常であるが、私は異常だった。
均衡に、零地点でバランスを保ち続ける気質という、方舟の中でも虹羽先輩ぐらいしか持っていない性質。
それが、今は‟真”に寄っている。
「しかも、右腕だけ。これはまさしく、みなと君の体とリンクしているようなもんよね」
吸血鬼の件でみなとが行った、ミズチの受肉。
その影響をもろに受けている、ということか。
「ねえ結奈ちゃん、これは世間話なんやけど。おかしいと思わへん? みなと君が帰ってくる前、五日間ほど世界の情報が錯綜している」
「それは、誰かの圧力がかかったってこと?」
「いや、見え見えすぎるんよこれは。こんな大げさな紛らわし方、まるで誰かに気付いてくださいと言わんばかりなんよ」
「……遠回しな宣戦布告かしら」
「分からない。けど動こうとしている勢力が多数いることは間違いなくて、示し合わせるためなのか、わざと大きめな歪みを生み出したようにも見える」
たまに鋭いのがシオリの怖いところ。
「結奈ちゃん、何か知ってるんでしょ?」
「さあね」
「見栄を張っている、ってわけでもなさそうね?」
「……まあ、シオリには私から言うって決めていたから言うけれど」
一呼吸おいて、語調を強める。
「本当に気を付けなさいよ? 気付きを他人に見せるのは、悪手よ。能ある鷹は姿すら見せない」
「……うちは鳥じゃなくて、研究者やからね。貪欲で、猛進で、疲れ知らずがモットーだから!」
呆れる。
だが、だからこそ彼女は信頼できる。
飽くなき知的好奇心を、他人のために使えるのだから。
「叔母さん……じゃなくて、灰蝋巴が動き始めたの」
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