イベント会場から、無事に神楽坂家まで戸牙子と共に帰宅。
早めの撤退を心がけたおかげで、まだ夕焼けが空を暖かく染めている。
荷物もほとんどはイベント会場内の配達システムを利用したおかげで、手ぶらである。
便利というか、洗練されてるものだ、同人イベント。
「おかえりなさい、三人とも」
リビングで姉さんがソファで横になっていた。
仕事ばっかりで家にいることが少ないから、こんな時間に家にいるのは珍しい。
お昼寝中だったのかな。
「お、お邪魔します……」
「戸牙子ちゃん、そんなに警戒しないで。みなとのお友達を追い出したりしないわ」
「あ、ありがとうございます……。あとお姉さん、例のブツです……」
「あら、本当にあったの?」
すべての荷物を自宅に送っていたと思っていたが、どうやら自分の物ではない戦利品があったようで、戸牙子は鞄から小さな紙袋を取り出して姉さんに渡していた。
「姉さん、何か頼んでいたの?」
「ダメもとだったんだけど、戸牙子ちゃんが見つけてくれたのよ。ありがとうね」
「い、いえ! お役に立てて光栄です!」
ビシッと立ったまま直角にお辞儀する戸牙子。親分のような扱いをされて、姉さんは苦笑いしている。
というか、同人イベントで欲しいものがあったのか、姉さん。
実は意外と、そういう趣味があるのか?
「みなと」
「さあミズチ、ウィッグと帽子外そうね。お風呂入って禊の儀式をしないとね」
「みなと、勘違いしないで」
「僕は姉さんがどんな趣味を持っていたとしても、大丈夫だからね」
「何よその『大丈夫』は! どういう気遣いなのよ!」
「安心してよ。僕はこの変態処女厨のじゃロリモンスターっ娘のおかげで、いろんな分野の造詣が深くなったからね。猛毒、ゲテモノ、なんでもござれよ」
「私の趣味を危ないものだと勘違いしてるのを訂正しなさい!」
「趣味は秘されてこそ甘いものだよ」
「ああもうっ! 違うわよ! 買ってもらったのはこれよ!」
ムキになった勢いで紙袋を開けて取り出し、見せてきたのは絵本だった。
それこそ、幼児が読むような、暖かく優しい絵柄の絵本。
表紙には白地のドレスを来たお姫様が、草原で夜空を見上げている。
「絵本? なんでまた?」
「まあ、ちょっとした野暮用があって。そのためにね」
姉さんは絵本を紙袋にしまって、ソファにかけていたジャケットに手を伸ばして羽織る。
どうやらこれから出かけるみたいだ。
「それじゃあ私は出かけるから。留守番はよろしくね」
「いつ帰ってくる?」
「明後日」
「……気をつけてね」
思わず、明日は一人で過ごすことになる寂しさが顔に出てしまったようで、微笑を浮かべながら軽いため息をついた姉さんは、去り際に僕の髪をさらりと撫でて、リビングをあとにした。
「……シスコンね」
「シスコンじゃのぉ」
隣で戸牙子とミズチが呆れ気味にニマニマと笑っている。うるさいな、僕だって自覚してるよ。
「ふう……じゃあミズチ。あたしたちもやることやりましょ。さっさと帰りたいし、お姉さんも気を遣ってくれたんだし」
「いよ、待ってました!」
待ってましたと言わんばかりみたいな解説を挟もうとしたら、本人が先に言ってしまった。
悲しいかな、相棒とはいえ僕の出番まで奪うのかよ。
戸牙子は金色の髪を手で後ろに回して首筋をあらわにし、吸血される準備を整える。
きめ細かで色白の肌の眩しさもさることながら、前に吸った時の記憶がよぎって、ふつふつと沸くように情欲が蘇る。
逆らえない本能を恨めしく思いながらも、ゆっくりと近づく。
戸牙子は視線こそ合わせてこないが、全く物怖じせず僕が吸血するのを立ったまま待っていることから、意外と慣れてしまったのだろうか。
まあ、初心な反応を毎回されていたら、僕もさすがに申し訳なさが勝るし、これぐらいフラットな態度をしてくれる方がありがたい。
かぷ。
「ふぇええええ……」
さっきまでの冷然とした顔つきが一瞬で、スライムのように溶け切った。
そのまま、ふらりと気絶しそうになる彼女の体に抱きついて、なんとか支える。
「ふぉっと! さっきの威勢はどうひたんだよ!?」
「こらこらみなと、かぶりつきながら喋るんじゃあない。お行儀悪いぞ」
いけない、ミズチの言う通りだ。
早めに終わらせよう。またしても抱きつく形になるがご愛嬌ということで。
まあ、そんなこんなで。
結局、失神してしまった戸牙子が起きたのは夕日もすっかり落ちきった二十時頃だったので、お詫びもかねて晩御飯を作って振る舞うことで、なんとかご機嫌を取ることに成功した、と思う。
嬉しそうに目を輝かせて食べる戸牙子に、「また今度、うちに来て料理教えてよ」と言ってもらえたほど。
僕たちの友情が僕の、というかミズチの悪癖で破綻していなくて良かったと安堵したものである。
「家まで送ろうか?」
「誰に向かって言ってるのよ、私は吸血鬼よ?」
「ああ、そうだった」
彼女たちの場合、送り迎えが必要なのはむしろ朝であった。
玄関先で戸牙子はばさりと蝙蝠の翼を広げて、琥珀色の髪が夜になびく。
「今日はありがとうね。楽しかったし、助かった」
「こちらこそ、いい経験ができたよ。またいつでも遊びに来てね。姉さんも戸牙子のことは妹みたいに思ってるはずだから」
「そ、そうかしら……? みなとって結構鈍感? 多分あれって恋敵として牽制されてる気がするんだけども……」
「考えすぎさ。まあ僕が数日出てこない時は、うん、察して」
「それって監禁された時の話に聞こえるんだけど、ねえ大丈夫!?」
「大丈夫大丈夫、浮気を許す人じゃないからね」
「余計怖いわよ!」
姉さんの怒りの矛先が僕に向いてくれるのなら、問題はない。
戸牙子や他人に当てられることはないさ、きっと。
「まあ……今度はうちに来てもいいからね。家族が喜ぶわ」
「うん、ぜひ」
にこりと屈託無く笑った戸牙子は、ひらりと手を振りながらその場で小さく飛び上がり、一気に飛翔する。
瞬く間に夜の王、吸血鬼は夜空に消え、家族の下へ帰っていった。
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