非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
アオカラ

051 鬼の兄として

公開日時: 2021年4月7日(水) 21:00
更新日時: 2022年1月31日(月) 14:07
文字数:4,776


「おはよう、六戸。気分はどう?」

 

 むくりと起き上がった六戸は、驚いた風に目を瞬かせている。

 包帯の下にあった傷はすべて消え去り、肌も見違えるほどつやが良くなった。

 もとからある筋肉も合わさって、最初彼を見た時に抱いた汚らしい印象は奇麗に流れ去っていた。

 

 まだ状況がうまくつかめていないのか、それとも単に寝ぼけているのか、彼はきょろきょろとあたりを見回している。

 

「えーっとね、ここはロゼさん……いや、六戸にはこっちの方がいいか。山査子霞さんざしかすみさんのお屋敷だよ」

 

 彼は、赤い目を大きく開いた。

 けれど、それだけ。無言の驚愕だった。

 

 どうやら再生力の塊である竜血を飲まされて回復しきっても、声までは戻らないようだ。

 いや、声はロゼさんに譲り渡しているから、再生したところで戻る戻らないの話ではない、ということかな。

 

「説明すると長くなるから、君には端的にお願いだけしたいんだ。聞いてもらっても良いかな?」


「『よくわからないけど、君の頼みならいくらでも』と言っておる」

 

 ミズチが隣で喋れない六戸の代弁をしてくれた。

 今は仕事をさぼらない良い神様だ。

 

「ついさっき、戸牙子と霞さん、あの母娘の長年の誤解を解いてきた。けどまあ、距離感が上手くつかめないのか、今ふたりはこの屋敷で言い合いしてる。ああ違う違う、そんな不安そうな顔しないで。喧嘩じゃないよ、あれはね、解釈戦争だよ」

 

『まさか、いつもの癖が?』

 

「あれ、もしかして六戸……。いやそうか、戸牙子の家のそばにいたんだもんね。配信者としてやってることを知ってるんだ」

 

『毎日、二十三時はかかさず起きている』

 

「君トバラファンだったのかい!? 戸牙子の定時配信を逃してないんだね……」

 

『俺は、一応家族だから』

 

「……そっか」

 

 よそよそしい言い方なのは、彼自身が戸牙子とどういった距離感で接するべきか分かっていないからだろうか。

 もっと端的に、お兄ちゃんと言わせられたらいいのだけど。

 

「六戸。戸牙子のお兄ちゃんであって、現在の山査子家大黒柱である君にお願いしたい。あの母娘二人を、少しの間守ってあげてほしい」


『……それを俺にさせて、君はどうするつもりなんだ?』

 

「君を襲った人間と、話をしに行くだけだよ。その間、誰かしらの奇襲が無いように、君の能力でここを守ってほしいんだ」

 

『なんで、そこまでしてくれるんだ?』

 

 なぜか、彼は悲しそうな表情で僕に尋ねてきた。

 

『君は、人間なんだろう? 父さんでもないのに、他人の俺や、戸牙子と霞のために、どうしてそうも動けるんだ?』

 

「人間って見てくれるんだね、僕のことを。角だって生えてるし、髪色も人間らしくないのに」

 

『いまここで、俺の話を聞いている君は、人間だから。通訳してくれている彼女は、違うけれど』

 

「……はは」

 

 ただ単純に、嬉しかった。

 僕を半神半人として扱う人はいても、『神楽坂みなと』という人間として捉えてくれる人は、こうなってからあまりいなかった。

 この体は半神半人ではなく、ひとりの人間と、ひとりの神様が混ざり合っているのだと。

 

 そんな扱いをしてくれたのは、姉さんぐらいだ。

 

「うん、俄然がぜんやる気が湧いてきたよ。君たち山査子家のためなら、僕は頑張ってもいいって思った。動く理由はほんとに、ただそれだけなんだ。絶対に力になれる保証なんてないけど、それでも時間稼ぎぐらいならどうにかなるから。もし僕が帰ってこないのなら、君たちは雲隠れならぬ霧隠れしてくれていい」

 

『……君の頼みは、守る。だから、俺からもお願いしていいか?』

 

 六戸の大きな手が、その大きさに見合わない優しい手つきで僕の手を握ってくる。

 その温かさに、僕は小さな確信を思い出した。

 

 山査子六戸は、手加減ができる優しい鬼なのだと。

 

『もし話がつけられないのなら、戸牙子だけでも連れ帰ってあげてくれ。君が居たら、少なくとも戸牙子は幸せだ』

 

「……わかった。その約束は守れるから、聞いたよ。でも僕も、自分がした約束を破るつもりはないからね」

 

 絶対に、山査子家を救ってみせる。

 覚悟は伝えずに、心の深く奥底で誓う。

 

 話をつけにいくだけだ。

 なんてことはない、ただの交渉。

 

 人間同士の、拙く醜い舌戦だ。

 

 *

 

 異象結界。

 またの名を「常世から最も遠い庭オヴィリオン・ガーデン

 

 神話レベルの偉業を成してきた人間、あるいは怪異が作ることができる特殊な結界である。

 まあ、ほとんど怪異や人外ができる所業であり、人間では一生かけても無理だと言われている。

 

 行使する者が歩んできた歴史、知識、風習、そして記憶を頼りに、人どころか世界の目すらも掻い潜ることができる箱庭のような空間を作り上げる。

 ありていに言ってしまえば、空想と妄想を非常に緻密なレベルでくみ上げることによる、世界の具現化だ。

 創作世界、と言っていいかもしれない。

 

 メリットは色々ある。

 例えばその人が何かに追われる身だった場合、異象結界の中で引きこもれば一生見つかることはない。

 他にも、異象結界の中に道具や得物を入れておくことで、いつでも取り出して使えることができたりする。

 もちろん、ロゼさんのようにお屋敷をその中に作ってしまえば、衣食住に困ることもない。

 

 なんなら怪異は衣食住すら必要ないことも多い。

 それは、異象結界を作れるレベルの人外であれば、一生困らない程度の財力に似たような、圧倒的な生命力を持っているからだ。

 

 デメリットは、ただ一つ。

 本来の世界から外れて、孤独に生きることによる、忘却と喪失の可能性だ。

 

 他人からの認知というのは人間だけでなく、怪異にとって重要なことである。

 いや、怪異であるからこそ、怪異として生きているからこそ、肝要な事柄だとも言える。

 

 僕ら人間に衣食住が必要なのと似たように、怪異は「他人の記憶に残り続けること」が必要なのだ。

 神様であれば「信仰」を捧げてもらわなければいけないし、吸血鬼であれば「畏怖」で人間を脅かし続けなければいけない。

 だが、デメリットはありながらも、異象結界を持っているだけでステータスになり得るぐらいには、象徴的な能力で絶対的な格を示すものらしい。

 

 そして本来であれば異象結界からの脱出というのは、かなりの高難度テクニックであり、一筋縄ではいかない。

 一筋縄ではいかないが、脱出の手段は大きく分けて二つの方法がある。

 

 壊すか、上書きするか。

 しかし、壊すのははっきり言うと微妙な案だ。

 

 ロゼさんの異象結界は広大であり、お屋敷から離れた場所には高くそびえたつ砦や、城塞都市じょうかくとしに古代遺跡のようなものまで見える。ここまで広い世界を力技で無理やり崩壊させるのは、たとえミズチモード全開の僕でもあまり現実的ではない。

 

 火急の事態ならそれも選択肢として仕方ないが、久々に訪れた母娘水入らずの機会を邪魔するのも忍びないと考えた僕は、ミズチに協力を得ることでお屋敷からひっそりと抜け出すことにした。


 異象結界の突破手段であるもう一つの方法、「別の異象結界による上書き」で。

 その上書きも、中身をすべて新しく塗り替えるわけではなく、大きな絵画に小さな穴を作るものだと思えばいいらしい。

 

 先ほど、戸牙子へ母親の独白を聞かせるために、ミズチが隠れて行使していたものだ。さすがそこはミズチというか、ロゼさんも格では神様には敵わなかったようで、世界を無理やり上書きされていることに気付けなかった。


 そんなミズチは異象結界を一つどころか二つ持っているらしく、「あれはいつも使っておるわい。わしの本気結界を見たらきっと驚くぞぉ?」と、自信満々にドヤ顔していた。

 

 そんな簡単に複数持てるものなのかと疑問を抱きはしたが、とりあえず今は心の片すみに留めておく。 

 それより気になったのは、この結界から出ようとした時に、なぜか僕に肩車を要求してきた人外青髪ロリっ子である。

 

「ほら、今のお前さん角が生えてるから、それを掴んだら乗り心地良さそうじゃろ?」

 

 と、抱っこのポーズでぴょんぴょん跳ねるミズチ。

 これから命がけの交渉に行くというのに、どうしてこうも緊張感がないのかと呆れを通り越して軽蔑の眼差しを打ち付ける。

 

「ほーん、良いのかぁそんな失礼な態度を取っちゃって? こっそり抜け出したいんじゃろう? ならわしの機嫌を取るのは大事なことなんじゃないのかのぉ? 肩車してほしいな、お兄ちゃん?」


 上目遣いであざとく、お兄ちゃん呼び。

 たとえ目の前にいるのが年齢不詳のおばあちゃんであっても、なんかこう、クるものがあるな。

 妹や弟がいない僕にとって、お兄ちゃん呼びは憧れるものがちょっとあったり、なかったり。

 

「……はいはい、けどあんまり暴れないでね」

 

「いえーい、人力ドライブ、いや神力ドライブじゃな!」

 

「あ、こらっ! ハンドルみたいに角をべたべた触るな! って、うわっ、なにこれ……なんかちょっと、不思議な感覚……」

 

「お前さん、結構感度高いようじゃな。ほれほれ」

 

 額から生える角の根元から這うように、指先でなぞられた。

 

「へっ、はっ、な、なんだこれ……角ってこんな感覚なの……?」

 

「いやぁ? 角なんて神経ほとんど通っておらんぞ? まあみなとはさっき生えたばかりじゃし、ツノというより触角に近いのかもしれんな。ほれほれ」

 

「あっ……ちょちょ、ミズチ……待って……」

 

 子供のように柔らかい指でまさぐられるたびに、形容しがたい情念が駆け巡る。

 

 


 

「意外な弱点、発見したのじゃ」

 

「落とすよ」

 

「降ろすじゃなくて落とすなのが殺意を感じるのぉ」

 

「もういいから! 早くここから出るよ!」 

 

「わかったわかった、肩車のお礼じゃ。きっちり水先案内人になってやるからの」

 

 とまあ、緊張感が崩れるやり取りに意味があったのかとミズチに問い詰めたいところではあったのだが。

 僕はむしろ、心の片すみで感謝していた。

 

 これから相対するのは、僕を殺そうとしてくる人間だ。

 けれど、僕はこれから「話し合い」をしに行くつもりであって、殺し合いをするわけではない。

 

 たとえやり方が甘いと言われようとも。

 僕は神殺しでもないし、怪異殺しでもないし、人間殺しでもない。

 

 僕は、交渉人なのだ。

 怪異と人間の架け橋役であることを、忘れてはいけない。

 

 今回は怪異側として、人間側の篠桐宗司と落としどころを見つけるのが目的だ。

 そうであるのなら、僕が好戦的な状態であることは良くない。

 

 張り詰めた精神をうまくほぐしてくれたと、ミズチには感謝している。

 まあ口では言わないけど。

 

「あ、そういえばさミズチ」

 

「なんじゃ」

 

「ここってロゼさんの異象結界なんだよね? 現世にいる者が認知できないこの場所に、なんで僕や戸牙子たちを連れてこれたの?」

 

えんを辿ったんじゃよ」

 

「縁?」

 

「わしに任せて戸牙子たちを先に逃がしたお前さんの判断が、功を奏したんじゃよ。あやつらが逃げ帰る場所なんて、ひとつしかなかったからの」

 

「……故郷、ならぬ母親のもとってことか」

 

「そういうことじゃ。もしこれが『みなとも一緒に逃げる』となっていれば、お前さんが邪魔になって、母親とのか細い縁を辿ることができんかった。自己犠牲の精神が役に立つことがあるもんじゃのう」

 

「はいはい、僕はなりそこないのうぬぼれヒーローですよーだ」

 

 軽口を叩き合いつつ、幼女を肩車した状態で屋敷の外へ、厳密には水の繭をまとって屋敷の廊下からぬるりと瞬間移動するように現世へ戻ると、そこは篠桐宗司と戦闘をした森の中であった。

 

 ロゼさんのもとへ連れられた時は早朝だったはずなのに、今は暗闇に包まれている。

 姉さんから譲り受けた銀時計を確認すると、時刻は午後七時だった。

 ちなみに、この腕時計はかなり特殊なアイテムで、経過した時間ではなくその場の現実時間を正確に刻んでくれる代物だ。


 異象結界の中にいると時間の進み方が違うことを知識として持ってはいたが、どうやらロゼさんの場合「時間経過が早くなる」ようだ。

 

 闇夜の山中から、山査子家の屋敷へ向かう。

 きっとあいつは、篠桐宗司はそこにいる。


 そこで、怪異が戻ってくるのを待っている。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート