「なるほど、大体のことはわかったよ。みなと君が無茶をするのは別に、ミズチの力があるからというわけじゃない事実も確固たるものとなったわけだし、いい経験じゃないか」
「……すみません」
「残念ながらというか、ありがたいことに、説教をするのは僕じゃないからね。結奈ちゃんにこってりしっぽり絞られる覚悟だけしておけばいいさ。なあ、みなドM君?」
「みなドM君!? なんか新しい命誕生してません!?」
「変身系ヒーローっぽい名前でかっこよくない? マスク・ド・ミナト」
「僕のみなとは『M』のみなとじゃないですよ!」
とまあ、そんなこんなで。
僕はいつもの瞬間移動で目の前に現れた虹羽さんに現状と、咲良行方不明の事件をある程度かいつまんで説明し、それがこの前に渡した「赤い灰」の件と繋がっていることを理解してもらえた。
まあ、いつも見透かしたことを言うようなこの人なら、僕が説明しようがしまいが関係ないのかもしれないけれど、話の道筋は大事にしようという配慮だ。
「その咲良ちゃんだっけ。どうするつもりだい? 方舟で保護するのなら、手続きするけど」
よっこらせと言いながら彼は咲良の作り出した灰の山の側に座り込んで、積もったちりを面白そうに見つめている。
「……どうなんでしょう。怪異が勝手に消え去ってくれることってあります?」
「よくあるとは言えないけど、あるよ。時間が解決してくれる問題もあるからね。ただ、元凶となる要因が必ずあるから、その子は怪異に取り憑かれている。乗っ取られていた、ということから確実に『災害に巻き込まれた一般市民』ではないだろうし」
「……進んで、自分から巻き込まれた?」
「おいおい、忘れたのかい? 怪異に巻き込まれる大前提を」
言われて、虹羽さんとの実戦特訓時にしていた世間話を思い出す。
動けなくなるほどぼろぼろにされて、僕の根源色が空色だと分かったあの日に話していた、何気ない雑談。
『怪異は、何かしらの死を経験すると出会いやすくなる』
思い出しながらも、不思議に思う。
取り憑かれていた本人である咲良は、至って普通に生活していたのではないかと。
「……どこか怪我した雰囲気はないですし、精神的なものは、見えないというか……」
「社会的な死は?」
「え?」
社会的な死というのは、いわゆるデジタルタトゥーのようなものだった記憶があるが、思わず聞き返してしまった。
「最近の子なら、SNSは使いこなしてるだろ。どっかしらで炎上してたりしない? たとえばすこし危うい自撮りを上げて特定されたとか……いやごめんて、ごめん、ごめんなさい、ホントにごめん! 謝るから! だからその殺気をしまっていただけませんかみなと様!」
ミズチにまで腕を掴み引っ張られて、制止されていた。
怒りに飲まれて、手の中に透明な水でできた睡蓮の花がある。
まるで、鈍器のような重さをした、睡蓮の鏡だ。
「……ああ、すみません。友達のことを甘く見られて、我を忘れるなんて、ちょっと大人げなかったですね」
「子供が言う台詞じゃないよ……こわい……」
「まあ確かに、秘密の一つや二つなんてありますもんね。それは姉さんにも言われてましたし、はい。分かってますよ、そういう可能性もあることを考えるべきなのは」
秘密。
いや、秘匿されるべきものなら、見てしまった。
クローゼットの隅に置かれた、女の子の秘密を。
あれが彼女の、雅火咲良の「死」に直結するかと聞かれたら、微妙ではあるが。
「いやはやなんというか、君の凶暴な二面性は空木に似ているな……。というかさっき会ったのが二回目だって?」
「え、まあはい。会った回数に意味があるんですか?」
「…………知らない方がいいね。知ってしまうとさすがに、がんじがらめになるし、それは君も多分好かないだろうから」
回数。
そういえば、姉さんが空木さんと電話しているときにもちらっと、その話題が出てきたし、最初に会ったときも、空木さん自身が言っていた。
『二度あることは三度ある、三度目の正直、仏の顔も三度まで』
灰蝋空木は「三回」という数字に何か、強い執着があるのだろうか。
「ま、そうだね。咲良ちゃんが怪異に取り憑かれている原因を探るには、友人でありながら専門家であるみなと君が請け負ってあげた方がいいだろう。それ以外の時は、普通に生活させてあげたら?」
「間に合うと思います? また操られて、ふらふらと放浪するまえに判明しますかね……?」
「そこは他ならぬ幼馴染みの頑張りどころ、だろ? どうやら君は、咲良ちゃんに人間らしく生きていてほしいみたいだし。そのためなら、方舟も協力はしよう。僕らは怪異との仲介役でありながら、予防策もするところだからね。庭園みたいに後手に回りはしないさ」
「あ、それ聞きたかったんですよ」
はて、と咲良が作り上げた灰の前であぐらをかきながら、僕の質問に首をかしげる虹羽さん。
「『庭園』ってなんですか?」
「……あれ、聞いてないの!?」
「なんであなたたち方舟の人はみんな説明したつもりで話を進めてるんですか! いっつもそれで置いてけぼりをくらってるの知らないんですか!?」
「あー……そうだね。ごめんね、それは僕と結奈ちゃんの共謀というか、方舟のメンバーたちが悪いわけじゃないんだ……」
「きょ、共謀って……何を企んでいるんですか?」
「いや、めっちゃ単純。『神楽坂みなとには、神楽坂結奈と虹羽ヤノが順番に説明するから、本人から聞かれてもあまり答えないように』って、根回しをしているんだよ。シオリさんぐらいじゃないかな、みなと君が聞いても答える人って」
けれど、それは別にシオリさんが命令を無視しているわけではないとも虹羽さんは言った。
制作者や技術者には漏れてしまう情報が伝わっているだけだから、仕方ないと。
「庭園のことだよね。詳しく説明すると長いからざっくり言うと、『黒橡の方舟』と同じ怪異専門組織、『月白の庭園』の略称さ。ただまあ、最終的な目標の方向性が違う」
「方向性?」
「方舟は怪異との和平や仲介をして平和に暮らすことを理念にしつつ、もし戦争が始まったら人間を守るために存在しているんだ。戦火から逃れるための大きな船を造って、いつでも逃げられるように、ってね」
「ノアの箱船みたいですね」
「そうそう、まさにそれ。もちろん選ばれた人だけしか乗れないっていうのはあんまりだから、怪異とも仲良くしていろんな避難船を作っているんだ。ただ、月白の庭園もそういう『人間を守る組織』ではあるんだけど、あそこは人間至上主義なんだよね」
人間至上主義。
ふと思い出す、「怪異は排斥するべき」という理念で動いていた老人を。
「んー、みなと君はラピュタってわかる?」
「逆に分からない人、いるんですか?」
「テレビを見ない子が増えてるし、もしかしたら知らないかもしれないってね」
「それでも、日本人ならジブリ映画はどっかしらで見る機会ありますよ」
「ならよかった。いやあ僕は結構不安なんだぜ? 若者のテレビ離れはゆくゆく、映画離れやアニメ離れにつながって、映像業界の衰退に繋がるんじゃないかって」
「脱線」
「ごめんごめん」
話の矛先がぶれまくる。こういうところがおっさんなんだよな。
「巨大な空中庭園を思い浮かべてもらったら良いよ。そのなかで完結するように、人類や地球の産物を博物館みたいに閉じ込めて、数千年と暮らせるようにってね」
「でもそれは、入れる人はかなり限られるんじゃ……?」
「まさにそう。『箱船』っていうのは海を渡るものだから、たくさん作ればいろんな人が乗れて、宇宙を泳ぐことも、地球へ帰ってくることもできるけど、あっちのは『庭』だぜ? 全人類は乗せられない。なのに地球の重力からは逃れられない、というか逃げるつもりがない。もう何度も『一緒に庭みたいな宇宙船造ろうぜ』って誘ってるんだけど、『怪異と仲良くするなんてあほくさ』って突っぱねられるんだよねぇ」
彼は冗談っぽく、笑いながら言っていたが。
その笑顔が、どこか寂しそうで、そして悔しそうに見える。
いつもの卑屈でひねくれた笑みなんかが、嘘に思えるぐらい。
虹羽さんは、憂いていた。
「んで、その庭園にいる実働部隊の責任者が、あの巴ちゃんの弟で結奈ちゃんの叔父に当たる、灰蝋空木ってわけ。別称は『桐隠しの灰朧』なんだけど、聞いたことはないかな」
「ない、ですね」
「ふむ、そうかい? なら仕方ないか。彼と会って物怖じしないどころか、眠らせたなんて、みなと君は後世まで語り継がれてもおかしくない偉人になるぜ。いや、偉神かな」
「そんなにやばい人なんですか、空木さんって」
「やばいどころか、会ったら死を覚悟しないといけないよ。それこそさ、『灰刀の巴嬢』や『銀の殺し屋』と同じぐらい恐れられる人間だから。あの二人よりまだ温情というか、情けはあるけど」
そういう血筋というか、家系なのだろうか。
元々僕は姉さんや巴さんが好きだから、二人と似た殺気に慣れてしまっている節があるのかもしれない。
「まあ、話はこれぐらいにしておこうか。僕はこの灰を持って帰るから、みなと君は咲良ちゃんに挨拶でもしておけば?」
「えっと……いや、別にしなくてもいいかなって……」
「なんだい、喧嘩でもしたのかい?」
虹羽さんには今回の件をかいつまんで説明したから、咲良との押し問答というか、些細な言い合いまでは言っていないのだが。
意外にも、察されてしまっていたようで、ニヤニヤと薄気味悪い笑みをこちらに向けてくる。
「みなと君、胡散臭いおっさんからのアドバイスだ。君は悪役になりきれるだけの素養はもっていない。所詮どこまでいっても、どこまで墜ちても、偽善者になりきろうとする善人だ。偽性者、とでも言うべきかい? 自分を偽って、自分の善性を塗りかくして、自分ではない何者かが誰かを助けたのだと、そういう糸引きで演じなければ、自分の行動を肯定できないんだろ」
「……………………」
「悪くはない、とは言える。立派だとも尊敬する。だが健全ではない。己の身を滅ぼして、その血肉が誰かの糧になるのなら、別に構わないと思っている。なぜなら、君の血肉は罪を背負った穢れ物で、それを誰かのために捧げるのが罰だと、誤解しているから」
「誤解、じゃないですよ。真実です」
「真実ねえ、くだらない定義だよ。君自身の人間性を決める要因が、他者からの価値観で決められるなんてさ。一度さ、向き合ってみなよ。みなと君に生きていてほしいと思う人が、この世にはまだ居るってことを。そんな人たちの願いを裏切ることが、君のしたいことなのかい?」
僕のしたいこと。僕の願い。
今虹羽さんが言っているのは、咲良にだって、言われたことではないか。
自分の命を安く見積もっているのをつい愚痴ってしまい、怒られた。
家庭を大事にはしても、家庭にいる家族を顧みない僕の愚行を、たしなめられた。
楽になりたいと。
もうこんな罪人は、いてもいなくても一緒だと。
そんな風に、考えてしまっていたのだろう。
「……僕の願いは、僕のしたいことは」
「うん」
「友達を、助けたい」
「ああ」
「でもそれは、傲慢な願いです。自分勝手で、独りよがりで、押しつけがましい親切で、大きなお世話で…………」
「だがそれは、君の願いだ。決して、他人に任せてはいけない。他人がやったからと、言い訳してはいけない。しっかりと責任をもって、君自身が、神楽坂みなと自身が、傲慢な罪を償えば良い」
傲慢な罪。
それを背負い込むのなら、償えばいい。
虹羽さんらしくないとは思った。
罪とか罰が人間の定義で、くだらないものだと一蹴する人なのに。
ああ、違うか。
それは、虹羽ヤノの意見なのだ。
虹羽ヤノは、罪と罰を阿呆らしく考える人であって。
だからといって、僕もそうであるわけがない。
僕の芯が、他人の価値観で揺らいではいけないのだと。
彼は遠回しに、そう言っているのだろうか。
「……虹羽さん」
「なんだい」
「僕は、これからいくらでも罪を背負います。いつか、もし、本当にどうしようもないと判断したときは、今回のように、頼みます」
「あはは、なんだ、結構察しが良くなったじゃないか。男を上げたね」
「不思議には思っていたんです。いつでも、どこにだって瞬時に移動できるあなたが、肝心なタイミングでいなかったりするときもあるので」
もっと、これ以上無いくらいに危険な状況の時に、止めに来てくれても良いのではないかと。
未然に防ぐことができる事件なんて、この人にはいくらでもあるのではないかと。
篠桐宗司が殺された時のように。
だが、そうではないのだ。
逆だったのだ。
虹羽さんが現れるタイミングは、「どうしようもないほど事態が悪化するかもしれない」時なのだ。
「今日、ここで虹羽さんが来てくれなかったら。多分僕は、道を誤っていたんでしょうね」
「さあ? それは時が進まないと分からないね」
「神通力まで持っていて、なんでも見透かしているあなたが、それを言います?」
「なんでもは見透かしていないさ、経験則と勘だよ」
それが恐ろしくもあるのだけれどな。
「……咲良に、挨拶しておきます」
「もし面と向かって言いづらいなら、手紙でも良いと思うよ」
そういって、虹羽さんは手のひらを開いて、パッと瞬時に便箋と封筒にボールペンを顕現させる。
こういうところが、何気に気が利く人である。
受け取ったら、僕はぺこりと軽くお辞儀する。
「友達との縁は、大事にします」
「ああ、そうしてくれ。君が怪異だからといって、人間との縁を断ち切る必要は無いんだよ。秘密は、誰にでもあるものさ」
ひらひらと手を振った後、虹羽さんは立ち上がって灰に手を触れながら、積もる山と共に一瞬で消え去った。
あれが、大人らしい分別の付け方なのだろう。
子供の僕からすれば、これから学ばなければならない立ち回り方だ。
腕時計を確認すると、時刻はもう午前五時を回っている。
空が薄闇から青白くなり始めて、神眼がなくとも文字が書ける程度の明るさになっていた。
「……手紙って確か、時候だっけ。最初に季節の挨拶を入れるんだよね?」
「幼馴染み相手にそんなかしこまったことするかの?」
風俗や文化に強いミズチに助言を求めたが、返ってきたのは意外にも、気さくな意見だった。
まあ、それもそうかと、僕は現状報告と先の問答への謝罪と、これから咲良に憑いている怪異を調査する方針について書き記し、封筒に収める。
地面にあった石の上で書いたので少し文字はがたついたが、読めはするだろう。
こういうとき、空中にかける金伝手の筆は便利だと痛感させられるな。
書き終わった便箋を折りたたんでいざ封筒にしまったら、ふんわりとした厚みで膨らむほど、それなりの枚数を書いていた。
端的に書くつもりが、熱が籠もってしまったようだ。
そして、それを咲良の元へ持って行こうとしたら、寮のあたりでちらほらと起床しはじめた女子生徒がいたので、僕はミズチにお願いをして、封筒を咲良の部屋にある窓へ挟むように頼んだ。
そこから、始発の電車で帰ろうと考えて、人に会わないようにひっそりと山を下り、最寄り駅までたどり着くと、なんと待合室で姉さんが待っていた。
いつしか、僕が監禁されていたときと同じような、普段の美しさが見る影もない状態になっている。
長い銀髪はボサボサに乱れていて目の隈もひどく、ひどく荒んでいる彼女が、迎えに来てくれていた。
お互いにボロボロな状態を見て、二人とも気が抜けたようにへらりと笑いながら発した言葉は、ハモった。
「「おつかれ」」
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