突然気を失った吸血鬼の戸牙子を、僕は慌てて背負い、自分の家まで連れて帰った。
幸いなことに家までは走れば数分で着く距離だったため、病院や救急車より効率的と考えたうえでの行動だ。
本来なら、体調不良のスペシャリストである医者に頼るべきなんだろうけど、僕たちはふたりとも怪異であり、人外であり、異形だ。
どうして気を失ったのか、そんなことを考えるよりも前に、僕は僕より怪異に詳しい専門家に助けを請うことにしたのだった。
「姉さん!」
玄関の扉を意思でふわりと開けて、土足のままリビングに駆け込む。
「び、びっくりした……どうしたの、その子?」
「吸血鬼なんだけど、話してたら突然気を失って、何が原因か分かる!?」
だらりと力の抜けた戸牙子を見て、銀の殺し屋で僕の義姉である神楽坂結奈は、一瞬で怪異と相対する時の仕事モードへ切り替わり、真剣な顔色になる。
「もしかしてその子……この前みなとが服を借りたって言ってた吸血鬼だったりしないわよね?」
「そう! あのVtuber吸血鬼!」
「……とりあえず、ソファに寝かせなさい」
「わ、分かった……!」
もしかしたら、「神殺し」とも言われる姉さんは、人外である戸牙子においそれと手を貸さないかもしれないという不安もあったが、どうやら急患の面倒を見てくれるようだ。
戸牙子をそっと背中から降ろすが、悪夢でも見ているのかうんうんと苦しそうに唸っている。
「……吸血鬼がこんな時間に、帽子もかぶっていなかったの?」
「吸血鬼と人間のハーフらしいんだ……。もしかしたら、あんまり日光の影響はないのかなって……」
「そんなわけない、どれだけ血が薄くなっても吸血鬼性が消え去ることはない。なのに、日光対策もせずに外に出てたなんて……生まれおちたばかりなのか、なったばっかりなのか……」
しげしげと、姉さんは戸牙子の体を頭から爪先までゆっくり見ていく。
「吸血鬼って、どうしたら体調良くなるのかな……?」
「手っ取り早いのは血を飲むことだけど、好き嫌いが激しいからむやみにあげない方がいいわね。何かここに来る前、していたことはある?」
「していたこと? ええっと、彼女が公園のベンチでうなだれていたから近づいて、ジュースをあげて、すこし話をして……」
「ジュース?」
僕が何気なく放った言葉に、姉さんは眉をひそめた。
「……もしかして、昨日みなとが『これ飲みたいんだ』って言ってた、桃のジュースだったりする?」
「え、そうだけど……まさか」
「……教訓として覚えておきなさい。桃は魔除け、厄除けの果物なのよ。魔族系には、時に毒となってしまうわ」
やってしまった……。
僕が飲んでも問題ないものが、吸血鬼の戸牙子にとっても大丈夫とは限らないんだ。
「まあ、ハーフヴァンプなら影響は薄いでしょうし……別に天界から降ってきたものでもない、ただの化学調味料だし、水でも飲めば大丈夫だと思うわよ」
「分かった、持ってくる!」
「透明なグラスに入れる方がいいわよ、タンブラーや鉄系はやめときなさい」
「りょ、了解です!」
急いでキッチンに向かい、ガラスコップを棚から取り出して水を注ぐ。
吸血鬼は銀が苦手、というのを今さらながら思い出し、姉さんが気遣って指示をくれたわけだ。
さすが異形の専門家だ、頼って良かった。
「ぎゃああぁぁぁあああああ!?」
リビングに、耳をつんざくけたたましい叫び声が響き渡った。
その叫び方は、あの桔梗トバラがホラーゲーム実況配信の時に、死角からの攻撃に驚いて発していた悲鳴と似ている。
いや、別に追ってないですよ?
吸血鬼が普段はどんなことしてるのか、素の反応が面白いなとか、そういうありきたりな理由でかるーく、流し目で、視界の端でちらちら見てる程度ですよ?
チャンネル登録はしてるけど、別にBGM代わりに流してる程度ですよ?
切り抜き動画とかにコメント残したりする程度ですけどね?
「あ、え、ぎぎぎぎぎ!?」
「落ち着きなさい、コオロギじゃないんだから」
「ぎ、銀の殺し屋!? あ、あんた! あたしを家に連れ込んでっ! こ、こ、殺すつもりなの!?」
「あいにく、創作物にいる人間のようなサイコパスな趣味はないの。殺すなら、苦しめずにやるわ」
「ひえぇぇ!」
戸牙子はソファから転げ落ち、スカートと長い金髪を床にこすりつけながら、ベランダにつながる窓まで後ずさる。
きっと、冷たい表情を向けられて、殺されると勘違いしたのだろう。
姉さんには、その無表情をもう少し和らげると、怖がられないよとは言ってるんだけどなぁ。
染み付いた癖というのは、なかなか治らないらしい。
「良かった、気がついたんだ。戸牙子、お水飲む?」
ガラスコップを持っていき、窓に背中を張り付けている戸牙子のもとへ近づく。
「え、みなと!? ……ま、まさか、神楽坂みなとって……あの神楽坂!?」
「ん? あのって?」
「神殺しの姉と、水神の弟の『マーキュリーコンビ』よ! 喧嘩を売ったら関係者どころか、種族すべてを根絶やしにされるって、怪異ネットで有名じゃない!」
怪異ネットなんてものがあるのか……。
姉さんと目を合わせるが、お互いにきょとんと首を傾げる。
「なんか……尾ひれがいろいろ付いてない?」
「私も今初めて聞いたわ。でもマーキュリーコンビって……もうちょっとセンスないのかしらね。短絡的すぎるわ」
にしては、口元がすこしほころんでない、姉さん?
「なんで喜んでるの!? こわい!」
「違うわよ」
「ひええっ! ごめんなさいぃっ!」
野暮なツッコミに冷たく返されて、戸牙子はびくびく震えながら、土下座。
金髪吸血鬼が手の先をぴしっと揃え、頭をフローリングにこすりつけている姿は、妙にさまになっていた。
外国人にこんな整った土下座をされたら、僕の日本人としての尊厳が危うくなるぐらいには、美しい所作だった。
「それ、座礼よ」
「へ?」
「茶道でするお辞儀じゃない、お礼しながら謝るのかしら?」
「あ、あっあっ……」
「姉さん、戸牙子をいじめないであげて……」
見てるこっちが痛ましいわ!
なんだかよく分からないけど、姉さんが対抗意識燃やしてるというか、ふたりの間によくない空気が流れている気がする……!
「ひぐっ、もう……なんで……ちょっと気分良かったからお外出ただけで、あたし何かしたのぉ……?」
「な、泣かないで戸牙子! 大丈夫、姉さんは怒ってるわけじゃないから! もともとこういう雰囲気の人だから、ね!?」
「ひっひっ……う、うええぇぇん……」
ガチ泣きし始めたじゃん!
どう収集つけるんだよこれさぁ!
「姉さん!」
「な、なに?」
「戸牙子に、ごめんなさいして!」
「い、いや……」
「ごめんなさいは!?」
「あ、ご、ごめんなさい……」
と、いった感じで。
恐怖でしくしく泣き続ける戸牙子を必死になだめるため、姉さんはあやまり倒し、僕は吸血鬼の背中をさすり続けた。
戸牙子が泣き止んだのは、一時間後だった。
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