「怪異っていうのはさー、何かしらの死を経験すると出会いやすくなるんだよね」
人の神経を逆なでする、飄々として胡散臭い中年男性の声が、方舟の特別訓練場の床を舐めるように突っ伏している僕の背中越しへ浴びせられる。
虹色に輝くグラサンをかけた、黒橡の方舟トップ。虹羽ヤノ。
そんな彼との実戦修行中に、なんてことのない世間話のように振られた話題が、僕は気になった。
「何かしらの、死……?」
「うん。物理的とか、概念的とか、精神的とか、種類は問わないんだ。事故での部位欠損や、精神的な鬱。他にも社会的な死とかね。今だとほら、アルバイト先でのバカやった動画を上げて炎上して、住所や名前まで特定されるような『デジタルタトゥー』とかも含まれてたりするね」
「あの程度でも……?」
「いやいや、みなとくん。あの程度とは言うけど、意外と馬鹿にできないんだよ。いろんな人から指をさされる状況って、『人間としての死』に含まれるんだよね。すると怪異に付けいられるようになるんだ」
実戦修行ということで、虹羽さんの攻撃を食らい、吹っ飛ばされて内臓と脳がぐらぐら揺れている体を起こせず、ぐるりと半回転させて訓練場の天井を見上げる。
そんな僕のそばで彼はあぐらをかいて、真面目な口調で続ける。
「『人間として生きるのが辛い』とか『人生終わった』みたいな。そういった思い込みで自分を呑みこんでしまうと、『じゃあこっち側に来いよ』ってあちら側に誘われるんだ」
「……最近、自殺する人が多いのはもしかして……」
「おおむね、妖しい者たちから誘惑されてることが多いよ。いや、結局誘われたとしても、どうするかは本人の意思次第さ。苦痛から逃れる甘い誘いをはねのけることができた、人間としての勝ち組が生き残っているのが、今の世の中の人たちでもあるわけだからね。『生きてるだけでえらい』っていうのは、そういう意味」
ここ数年、人に対して優しくあろうとする風潮が強くなっていたが、もしかするとそういった裏事情があったのだろうか。
「で、その話がこの実戦特訓と何か関係あるんですか?」
「あると言えばあるし、ないと言えばない。みなと君が何を大事にするかによって、今後必要になってくるものなんだけど。時にみなと君」
「なんでしょう」
「君が今回僕に持ち掛けてきた特訓内容は、『人として強くなりたい』で間違いなかったよね?」
咲良や巴さんと再会して、関西弁のイケオジと接触をし、春休みも終えたあと、僕は個人的に虹羽さんへ連絡をいれた。
通信制ならではの自由時間の多さを活かして、これまで付け焼き刃で使っていた白式と、ミズチパワーに頼りきりだった僕を、本格的に特訓してほしいと。
「間違いないです。ミズチの力に頼らずに、僕一人だけでもできる戦術や技能を教えてほしいんです」
「結奈ちゃんに頼めばよかったのに」
「言いましたよ。でも、白式以上のことは教えてくれないんです」
僕を真人間に戻そうとする彼女が、僕が独り歩きしやすくなる技を教えてくれるわけがない。
愛情深いというか、過保護というか。
けれど、僕はまだまだ未熟で大人になりきれない子供ではあるが、交渉人として方舟に籍を置いている。
攻撃の策とはいかなくとも、自衛の手段ぐらいは知っておきたいと思い、虹羽さんに頼んだわけだ。
「まあまあ、結奈ちゃんも苦労してるんだよ。お転婆な弟をもってさ」
「目の前で言われるとなかなか効きますね」
「自覚ありだろ?」
「それはそうですけど」
「ならばその自覚を活かさない手はないね。あーあ、僕はまた結奈ちゃんに叱られちゃうぜ。弟に悪知恵を教えるなって」
立ち上がった虹羽さんが倒れている僕に手を差しのべる。
てっきり手助けしてくれるのかと思い、手をつかんだ瞬間、見えない衝撃がみぞおちに襲い掛かった。
視界が宙を舞い、体が訓練場のクッション壁まで吹っ飛ばされる。
柔らかい壁のおかげで衝突のダメージこそ和らいだが、もろにくらった自分の腹部に鈍痛が響く。
「どうだい、痛い?」
「痛いに……決まってるじゃないっすか……」
「そうかそうか、ちゃんと人間で安心したぜ」
「虹羽さん、もう少しまともにやってくれませんか……? 僕を痛めつけて何になるんです」
「限界まで追い込まないと、人っていうのは強くなれないよ。いや、生き物はみんなそうさ。火事場の馬鹿力ってやつは、追い込まれて切羽詰まって、一矢報いる気が起きてこそ発揮される。そのためにはみなと君、あともう二、三発はくらってもらうぜ」
実戦特訓を頼んだのだから、痛みを避けることなどできないと覚悟こそしていたが。
虹羽さん、かなり容赦がない。だが、頼み入ったこちらが音を上げるのはとても恥ずかしいので、我慢する。
宣言通り、へたり込む僕に虹羽さんは手を差し出し、それを握って立ち上がるとまた見えない衝撃波を食らい、壁に吹っ飛ばされるのを三回繰り返す。
三回目、僕が立ち上がる気すら起きなくなった時にようやく、変化は訪れた。
「お、なるほど。君の根源色は水色だね」
「こんげんしょく……?」
「自分の性質を端的に表し、それでいて一番核となりうる傾向の色さ。覚えてるかい、君が方舟に入った時、シオリさんに検査してもらった『色属性』を」
「……たしか、僕は青と紫と緑でしたよね……?」
倒れる僕の顔をのぞき込むダサオジは続ける。
「そ、しかし本来人間であれば一色が普通だ。だが君は色を三つも持っていた。もちろん君がめちゃくちゃ奇特な人間で、もともとそうだった可能性も無きにしも非ずだが、普通ならまずありえない。ならばその三色のうち、どれか二つは君の色ではなく、ミズチの色だろう」
「怪異はたしか、多色持ちが多いんでしたっけ」
「むしろ彼らは多色になってしまいがちなんだよ、二度目の人生組だからね。瀕死の君からにじみ出ているのは水色……というより、うーん、もしかして空色かな」
「空色……」
「青色は神秘、鎮静、平和、そして大自然をつかさどる海のシンボルカラーだ。空色はその青からさらに滲みを抜いた、明るい色だ。君のような誰にでも好かれる人間にぴったりの色だね」
「それが僕の、根源色ってやつですか?」
「だろうね。根源色が分かると自分の適性も知れるし、何が弱点なのかも分かる。君の場合『神秘』の技がかなり得意だと思うから、そっち方面で訓練メニューを考えていこう」
神秘。
それは、日本語だと「神」が入っている。もちろん別の言い方をすれば「ミステリアス」ではあるが。
不安が募った。僕は人間業を会得したいのであって、もし神秘の技を身に着けたら、それはミズチに頼っているの一緒ではないかと。
「あー違う違う、みなと君はむしろミズチの性質を利用するぐらいの気概でいかなきゃ」
「利用? どういうことです?」
「君が一番得意なのが青色系統の技であっても、紫と緑を全く使わないのはもったいないってこと。色は複数合わせたら他の色になるだろう? 多色持ちっていうのは弱点も多いけど、そこが強みでもある」
合わせ技みたいなものか。
「よし、とりあえず今日はひとつだけ技を教えよう。痛みや気の高まりを抑える青属性の技、鎮静の魔術だ」
「ま、魔術……」
「そんなかしこまらなくていいよ。言ってしまえば自分の体で起こす科学みたいなものさ、とんでもパワーとかじゃ決してない」
魔術、と言っている時点で不思議パワーだと思うのだが。
倒れている僕の頭に虹羽さんは優しく手を置き、いつもより誠実な声色で静かに語りかけてきた。
「イメージするのは、波紋のない鏡のような水面だ。誰も入っていない、大きなプールを想像してみて」
起き上がる気力も体力もないから、言われた通り、頭の中で広いプールを思い浮かべる。
誰もいないプールには、夜の星と月が反射して写っている。その場で一人、プールサイドから水面を見続ける僕を想像した。
「いいイメージだ。深淵のように深く、暗く、それでいて月明かりの灯る世界。その水面は、たった一人の君を静かに見定めている」
彼の言葉が、すうっと頭に入ってくる。意志をもたないはずの水面が、僕に語り掛けるように。
「そこに、一滴の水を垂らそう」
言われた通り、プールの水面に一粒のしずくを落とす。
波紋が生まれ、波が起こり、映り込む月と星々が揺らめいた。
「いやぁ、すげえなみなと君。最初からここまで適性があるのはびっくりだよ」
「え?」
「体はぼろぼろだけど、今なら立てるんじゃない?」
ダメージを受けて、先ほどまで鉛を飲み込んだように重かったのに、今は浮くような軽さをしていた。
「お、おお! すごい、立てます! これが魔術ですか!?」
「残念、僕が教えたのは『神秘術』でした」
「あれ? でもさっき、魔術って……」
「神秘術って言ったら、君は毛嫌いしてできないだろうと思ったから、騙した。神に頼りたくはないんだろうけど、使ってみたら結構便利だろう?」
「うっ、それはまぁ……」
「一番適性があるものって、一番嫌うものだったりするんだよ。嫌よ嫌よも好きのうちとか言うだろ? 君が得意なのは、人の常軌を逸した神秘の技ってことだ」
皮肉だが、そういうものらしい。
嫌う存在であればあるほど、中身をよくわかっている。感覚で全容を理解し、使うことができるのだと。
……というか、「神秘術」だって?
確かそれは、灰の件で出会った銀髪のイケオジが言っていた知らないワードだ。
疑問を抱いてから数日後に答えを知ることになるとは、僕にしては珍しい。
「ちなみに、これって技名とかあるんですか?」
「基本的に自分の技には自分で名前を付けるのが流儀だね。礼節と言っても過言じゃない。たとえそれが他人から教えてもらったものや、見よう見まねの技であっても、それを自分の得物として落とし込むための作業として、名づけは大事なんだ」
てっきり流派や格式にうるさい世界かと思っていたが、実戦はルールに縛られる世界ではないと、彼は飄々と言う。
自分で好き勝手に名付けていいと言われると、またそれはそれで悩むところだ。
「この神秘術、とやらを再現する時は、さっきのイメージで良いんですよね?」
「もち」
「じゃあ、名前はまた考えときます」
「神秘の技は『そこにはないもの』を自身の創造力だけで引っ張り出す技だから、おすすめは色を連想できるものを名前に入れることだね。まあ詠唱が必須ってこともないから、分かりやすさ重視で良いさ」
「色を連想ですか。虹羽さんって、その名前だけで虹色を連想しちゃいますけど、ほんとに全色持ってるんですか?」
「持ってる」
「人間じゃないじゃん」
「人間だよ」
あっけらかんと告げる彼は、多分真面目に言っているのだろうけれど。
信じられっこない、瞬間移動とか見えない衝撃波とか繰り出す人が、人間って。
「根源色は虹色じゃないからね、器用貧乏のなれの果てさ」
「……あれ、じゃあどれが根源色なんですか?」
「気になる?」
にたりといやらしい笑みを浮かべる。聞いたことを後悔した。
だが、虹羽さんは特に冗談を続けることもなく、さらりとトレードマークでもあるサングラスに手をかけて、外した。
その奥には、宇宙があった。
「黒と白だよ」
「多色じゃないですか! やっぱり人間じゃないじゃん!」
「いやいや、さっき言ったじゃん。珍しいだけで、普通はありえないってだけで、例外はあるって」
右目は覗き込むと吸い込んで呑まれそうなほどに黒く、左目は白い星がきらきらと瞳の中で無数に輝いていて、焦がれそうなほどに明るい。
まるでブラックホールと太陽のようだった。
虹色のグラサンで隠したかったのは、特徴的な眼だったのか。
この世の物とは思えない瞳に、例えようのない感情を抱き、見惚れそうになるが、虹羽さんがサングラスをかけ直したところで、ぐいっと現実へ引っ張られたように正気を取り戻す。
「普通の人なら僕の目を見せただけで精神崩壊してもおかしくないんだ。さすが半神半人だね」
「幻覚でも見せるんですか?」
「理解不能なものを見せ続けられると、自我の崩壊が先に来ちゃうんだ。その点、君は意識がしっかりしてる。いや、しっかりしているじゃなくて、もとからイカれてると言う方が正しいかもしれないが、今は気にする必要はない。むしろそんな性質と性格こそ、神秘術の適正として一番大きな要素でもある。だから君は、神秘の秘儀もきっと扱いきれるだろう。けど残念ながら、僕はこれでもそれなりに忙しくてね。付きっきりで修行はしてあげられないから、神秘に長けた人に連絡しておくよ」
「ありがとうございます」
「まあ、時間かかるかもだけどね。諸々の手続きもしないといけないし」
手続き?
修行するにあたって、人事関連の申請か何かがあるのだろうか。
「とりあえず、今日はゆっくり休みな。傷の再生が速いといっても、結奈ちゃんに心配されない程度にうまくごまかしてくれよ?」
「はは……前に戸牙子にやったみたいに、傷を治してくれないんですか?」
「自分の傷は自分で治した方がいいよ。戸牙子ちゃんにやったのは、僕の異象結界に引きずり込んだ『酔い』を覚ましただけだからね。あのあと自然に回復したのは、彼女の不死能力が高いおかげだから」
不死能力。
そうか、今更ではあるし気づくのが遅すぎたぐらいだが、白式の攻撃を受けた戸牙子がミズチが迎えに行った頃にはもう起きていたのは、ロゼさんから分けられた不死性があったからか。
ハーフなのも合わせて、似た者同士だな、僕ら。
「んじゃ、高校二年生よ、受験勉強頑張ってねー」
「嫌なこと言わないで下さいよぉ……」
相変わらず、余計なことをぼやく性格の悪いおっさんだ。
※黒橡の方舟 極秘プロファイル
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