非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
アオカラ

037 契約と約束

公開日時: 2021年2月10日(水) 23:59
更新日時: 2021年12月30日(木) 00:22
文字数:4,296


「みなと、本当に行くつもりなの?」

 

 僕がお風呂に入って考えをまとめるのは、閉塞的な空間が思考を巡らせるのに最適というのもあるが、それと同時にみそぎの儀式でもあるのだ。

 古来より、人は水で身を清めることでけがれを浄化できるという考えがある。


「神道」と呼ばれるものだ。

 

 その影響を、僕は受けやすい。

 ミズチが水系の神様だけでなく、日本由来の神様であるから、禊の儀式は特に効果が高い。

 

 わざわざ禊を行うのは、これから立ち向かう困難への前準備だからこそ、姉さんは表情を曇らせる。

 

「いま私が『血は吸わせない』って言えば、行かせないこともできるわ」

 

「……姉さんは、そんなこと言わないさ」

 

「どうかしら。今まで秘密にしていたことは全部ばれてしまったわけだし、なんの手加減もする必要なく止められるわ」


 姉さんが怪異の専門家であることを知らなかったころは僕が起こす、というより僕が自ら巻き込まれていく数々の無謀を、見て見ぬふりで有耶無耶にされていた。

 止められる状況であっても、力づくで止めるわけにはいかなかった。

 

 しかし、その行動はきっと、ただの放任ではなかったのだ。

 

「姉さんは、たとえ僕がどんな無茶をしようとしても、最初は見過ごしてくれていたよ。代わりに帰ってきたらお説教の嵐ではあったけど……。それは多分、お互いの秘密を知ってしまった今でも、変わらないんじゃないかな」

 

「自信満々ね。そこまで確信をもって言えるなんて、甘く見られたものね」

 

「まさか。信頼してくれているんだって、僕は受け取っているよ」

 

 彼女は、決して僕の意思を無下にはしないのだ。

 

 たとえどんな困難に立ち向かおうとしても。

 それが自分には全くの利益をもたらさず、その場限りの偽善であったとしても。

 

 僕の意思や行動を矯正することは、最初はしないのだ。

 

「今回の仕事を完遂するためには、ミズチの力と、姉さんの許可が必要なんだ。神様の力を使ってでも、どうやっても救いたい女の子がいるんだ」

 

「女の子……ね。私としては、とても不安になる単語だけれども。けど、それを終えたらちゃんと帰ってくるって約束できる?」

 

「もちろん、それは守るよ」

 

 これは、いつも姉さんと僕が交わす約束事であり、言わなくとも通じる了解であり、だからこそ僕が事件に首を突っ込む時。

「行ってきます」と言えるぐらい余裕のある状況であれば、毎度忘れずに誓い合う。

 

 沈黙と視線が交錯し、静寂が続く。

 腕を組んで思考に耽っていた姉さんは、「じゃあ、そうね」とぶつかり合っていた目線を逸らして言う。


「帰ったら、私にキスしなさい」


 一瞬、僕はなんでいつもしていることを、交換条件のように切り出してきたのか疑問に思った。

 が、それがいつものことではない、別の意味を含んだ約束であることは、姉さんの色白な頬がわずかに赤らんでいたことで、鈍いながらも遅れて気づいてしまう。

 

 彼女の求めているものが、首元に吸い付く、吸血のキスではなく。

 唇にする、愛情のキスであることを。

 

「ごめんなさい、やっぱりなしで……」

 

「い、いやいや! 僕が姉さんのファーストキスの相手になるのもそれはそれでどうかなって思っちゃっただけで、全然嫌じゃないから! 姉さんの希望だっていうなら、僕は必ずその約束を果たすためにちゃんと戻ってきます!」

 

「なんでそんな事細かに説明するのよ!? 一時の気の迷いだから! そんな本気にならなくていいから!」

 

「大丈夫! ミズチもなんか後ろですっごくテンション上がってて、結構乗り気みたいだし! ここまで気分上がってたら、ミズチも惜しみなく力を貸してくれると思うよ!」

 

「あっ……そっか……みなと相手だと、ミズチに筒抜けだったんだわ……」

 

 がくぜんとした表情でうなだれる姉さんを見て、ミズチは僕の中でけたけたと笑っていた。


「あ、その……嫌だったら、僕はしないよ……?」

 

「嫌だったらそもそも言うわけないでしょう? 違うわよ、試したいだけよ」

 

「試す?」

 

「その惚れた女の子を助け出して帰ってきた時、私とのキスを受け入れられるのかどうかって」

 

 ……惚れた女の子?

 いや、そもそもキスを許せるという発想自体も、よくわからない。

 

「だって、身を呈して誰かの力になろうなんてことは、たしかに今まで何回も見てきたけど、さすがに不安になってきたから」

 

「え、不安? それは……何に対して?」

 

「あなたが半神になる前なら、私が心を鬼にすれば、最悪行かせないこともできた。でも今は違うじゃない。みなとがミズチの力にのまれて、意思も意識も関係なく、私欲のまま暴れたら、もう止めることなんてできないの」

 

「……そんな身勝手なことしないって決めてはいるけど、姉さんから見たらやっぱり信用ない……?」

 

「みなとは信じているけど、ミズチは信じれないってだけ。実際、あなたの体を好き勝手に使った時期だってあったわけだし」


 ミズチが僕の体を乗っ取り行った、二週間に及ぶ大暴走は、方舟の中では『初夜逃し』と俗称されている。

 半神半人となって、巨人ノスリとの事件も終えたあとに起きた、大事件。

 

 暴走状態となった僕が、行く先々で甚大な被害を撒き散らし、壊れた建造物やらの修繕費だけで姉さんの貯蓄は数億円からほとんどゼロになったという、僕の大前科。


 しかし、僕自身は暴れた記憶も、何をしたかも一切合切覚えていないということで、組織のなかで無条件に働くことを誓約に、許しを得たわけだが。

 

「まあ、あの時私はミズチと契約を交わしたから、それを反故ほごにして暴れることはきっとないけど。でも、心は約束で縛れるものじゃないから……。馬鹿なことを口走ったわ、やっぱりなしにする」

 

「言ってよ、姉さん。言ってくれないと、僕は虹羽さんじゃないんだから、わからないよ」

 

 人の心を読んで見透かしたような物言いをするあのおっさんなら、言わなくても通じてしまうのだろう。

 けれど、僕は半神半人であっても、万能ではない。

 

「僕の、何が不安なの?」

 

「……馬鹿にしない?」

 

「内容によるかな」

 

「そこはッ! 嘘でも『馬鹿にしない』って言いなさい! 女心の分からない子ね!?」

 

「いやさあ、やっぱり余裕のない姉さんって僕にとっては珍しすぎるから、もうちょっと長く見ていたいっていうか」

 

「そんないじわるな子に育てた覚えはないわよ!?」

 

「じゃあお外で学んできたってことで」

 

「……そうか、ならこれからずっと監禁でもしておかないと、みなとを私色に染めることは無理か……ふむ……」

 

「ガチで考え始めないで!? こわい、こわいよ姉さん!」

 

 こういったことも本気でやりそうなのが、僕の姉さんだ。

 

 懐かしいなぁ。

 中学生の頃、不良の真似事をしている同じクラスのいじめグループに僕はイラついて、軽い喧嘩を売ってぼろぼろになって帰ってきた時には、やり合った相手の住所とSNSのアカウントに電話番号やらの個人情報をネットに流出させつつ、しかも相手全員を僕の家に連れてきて、土下座させて謝らせるまで帰らせないという所業をこなした。

 

 今思えばこんな華奢な姉さんにどうしてあんなことできたのか、不思議で仕方なかったわけだが、まあその時は「絶対零度の威圧にでもやられたんだろう」と勝手に納得していた。

 

 それぐらい、僕のことになると目の色が変わる人だ。

 頼りになる姉さんで、本当に好きではあるのだけども。

 たまにこの愛情深さが怖くなる時も、なくはない。

 

「もう、男の子ってどうして可愛げが減っていくのかしら……そこも好きだけど……」

 

「んー、なんかさ、『好きな人を守りたい』って思うようになるからじゃないかな。可愛いままじゃ守れないって思うから、変わろうってなるんだよ」

 

「……好きな人が、いるの……?」

 

「まあ、もちろん。これぐらいの年になれば、いくらでもいるよ」

 

「そっちの好き、か……」

 

「姉さんにもいるでしょ? そういう人」

 

 眉をひそめ、恨みのこもった目で睨まれたが、ほどなくして「はぁ……」とため息をつかれる。

 この嘆息が、「仕方ないわね」という諦めの意味を含んだものであることを、僕は知っていた。

 

 そして、彼女は細い手をチョーカーに重ねて、とめる。

 

 


 

「……仕方ない、って思って送り出すのは、あなたがちゃんと帰ってくるって信頼しているからよ。だから、みなと。あなたの大切な信念、決して忘れたらだめよ」

 

「……分かった。ありがとう、姉さん」

 

 チョーカーが外され、ほんのりと染まる一点のキスマークにくぎ付けになる。

 そのまま、いざなわれるようにかぷりと義姉の首元に吸い付き、とくとくと処女の血が蓋を開けたように、あふれ出す。

 

 唇でついばみ、舌でなめとった鮮血が、精神と神体の奥底に眠るうめきを呼び起こす。

 

 僕の神様は。

 取引に応じた。

 

 そのまま、僕は飛んだ

 夜の街を歩くことも、電車を乗り継ぐこともせず、室内からまっすぐ、吸血鬼のいるところまで。

 

 ミズチモード中の僕は、「神力」と同時に「神通力」も扱える。

 神力は「大自然を超越する超常現象」であり、神通力は「人間が神、仏に近づこうとして見出した力」である。


 つまり神通力は、悟りの果てに得られる力であり、あくまで人間だからこそできる、人の起こす神技である。

 半神である以外は平凡な人間の僕は、普通ならまず使えない。


 ただ、僕は半神半人であるおかげで、神の側面を強化した時にそれと比例するように、人の側面も強化される。

 僕とミズチの性質バランスというのは、5対5とは言いづらく、かといって血を吸ったら神性が増して、7対3になるかと言われると、また違う。


 単純計算で、ミズチモードになると5と5の割合だったものが、50と50になる。

 だから、普通なら使えることなく人生を終えてもおかしくないような、人間としての神技が扱えるようになる。


 瞬間移動も、その神通力の技のひとつ。

 神足通じんそくつうと呼ばれるこの力は、「自分の望む場に瞬間移動できる」


 逆に、行く先が知っている場所でないとむやみに使うのは危ない。

 当然それは、行った先に一般人がいようものなら、騒ぎになってもおかしくないというのもあるが、神通力自体が代償の大きい能力であるため、無駄撃ちはできないのだ。


 だからこそ、「つながり」を重要視したのはそれに尽きる。

 これから会うべき人との縁を辿らなければ、会いに行くことすらできない。


 それをできるのが、結果的に僕だっただけ。


 戸牙子との縁が強いのは僕と。

 僕以外なら、彼女の『家族』だけだ。

 

「戸牙子」


 人の気配が全くない、無人駅の待合室が、神速通の終点だった。

 閑散とした冷たいコンクリートの床で、方舟で着せられた患者服一枚に身を包んで、へたりと座り込むハーフヴァンプへ、重苦しくならないよう軽口で切り出す。


「さすがにその格好だと、冬の寒空は凌げないんじゃないかな」



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