非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
アオカラ

136 灰にゆられ、朧にかすむ

公開日時: 2021年12月20日(月) 21:00
文字数:3,557

 さらりと言いのけた巴さんの発言が、僕にはよく理解できなかった。

 なぜ神楽坂みなとを殺したら、灰蝋巴が死ぬのか。話の合理性や脈絡を一切感じられない。

 そう思っているのは僕だけではなかったようで、隣にいる咲良も眉をひそめて唖然としている。

 

 すると、真実を知らない僕らの疑問に答えるかのごとく、用意していた解答を読み上げるようにすらすらと、巴さんは続けた。

 

「みなとの命に付随する形で生きてるあたしは、本体が死んだなら消滅する。だって当然だよな、あたしの命はみなとの命が繋ぎ止めてるんだ。そうあるべきだったように、道理を無視せず、あるはずだった結果に終息する。神楽坂みなとが死んだなら、世界が灰蝋巴の存在を忘れ去るのは、当然の摂理だ」

 

「……巴さん」

 

 僕の喉の奥から、懐疑の念がじわりとしみ出した。

 

「じゃあ、僕を殺したらだめでしょ。つまりそれは、自殺じゃないか」

 

「おいおい、癌細胞は切除しないと本体が死ぬんだぜ? お前に牙を剥き続ける害悪を殺すのは、当たり前じゃねえか」

 

「いや、そんな話じゃない。そういうことじゃないんだ」

 

「じゃあなんだってんだ? お前は自分の体内を食い尽くす細胞にまで情けをかけるってのか?」

 

「巴さん、例え話で収まるようなことじゃないよ、冗談もほどほどにしてくれ。僕がおかしいと思ってるのは『どうして巴さんが僕を殺そうとするのか』だよ。無視して良いじゃないか。巴さんが生き続けられるのなら、神にでも化け物にでもなった僕なんて、忘れたみたいに放置したって良いじゃないか」

 

「はっ、分かってねえよなあ?」

 

 くしゃりと笑いながら、巴さんが瓶を手から離して、地面へ落とした。

 彼女の手を離れた瓶は維持するべき形を見失い、元々の素材であった粉々のガラス片と成り果てて、地面に綿のような白い砂山を作った。

 そこへ、彼女は白刀を突き刺した。

 彼女の足下に砂埃とガラス綿が舞い上がり、それが巴さんの人影にノイズを生み出した直後だった。

 

「惚れた奴に捧げる命は、誉れってもんだ」

 

 囁きが鼓膜の奥をなめ回した。

 巴さんが、僕のすぐ隣にいた。咲良を抱えていない方の、逆側の耳に口づけされながら、肩に腕を置かれた。

 

 姉さんは腕だけ素早く半回転させて、巴さんに銃を向ける。

 巴さんの位置は姉さんからすれば背中側であり、視界の端に捉えているわけでもないのに、銃口は正確に眉間を狙っている。

 

「次動いたら撃つ」

 

「こええな、まあ情けをかけてもらってるだけ儲けもんだって思ってやるよ」

 

 脅しを真に受けていないのか、巴さんは鼻で笑っているが、姉さんの師匠である人が姉さんの気性を知らないわけがない。

 

 神楽坂結奈はためらいがない。

 仕事暗殺だからとかではなく、僕に危害をなそうとする人間に容赦をするような人ではない。それは守られている僕自身が一番知っている。

 なのに、撃たない。ここまで至近距離に敵がいるというのに、引き金を引かない。

 

 それは巴さんに対する情けでもありながら、僕と咲良に対する最後の見栄なのかもしれなかった。

  

「と、巴さん……惚れた奴っていうのは……?」

 

「にぶちんドM変態処女厨のみなと君、女に二度も言わせるのか?」

 

「ち、違う! なんで僕なんかを、っていうのが聞きたいだけで……!」

 

「お前だからだよ。命の恩人を好きにならねえやつがこの世にいるのか?」

 

「じゃ、じゃあなおさら! 僕のために僕を殺して自分が死ぬみたいな……ああもうややこしい! とりあえずそんなバカな真似をやめてよ!」

 

「そりゃ聞けねえお願いだな。あたし、惚れた人間は上書き保存なんだよ」


「は? いや、それ今必要な話なの……?」


「そりゃなあ、だってあたしが化け物に恋でもしたら、それこそ『化け物殺し』は引退しねえとだし」

 

「あの、だからさ」

  

 いま、会話がすれ違っている気がする。どこか決定的な部分でかみ合っていないような、そういう歪なやりとり。

 確かに彼女は、灰蝋巴は、自分の話したいことだけ話して自分のペースを貫き通す。

 そういう人間性を知らないわけではないが。

 

 何か、おかしい。

 直情的で、直感的で、直接的な灰蝋巴がこんな回りくどい言い回しを、果たしてするだろうか?

 クレーマーおじさんに対しても自分の体を売るようなことを言うこの女性が、どうしてすぐ僕を殺そうとしないのか。

 

 行動が遅い。思慮の時間が多い。

 余裕があると言えばそうとも受け取れるが、どちらかといえば、ちんたらしている。

 遺言は聞く主義だとしても、もうそれは終わっているはずだ。僕の最期の願いを聞き届けて、それを咲良に聞かせて、終わった。

 

 巴さんの目標は「僕を殺す」だけになったはず。

 だというのに。

 遅々とした事柄を一切望まない人間である巴さんが、なぜそんなことを。

 

 まさか。

 

「……巴さん」

 

「なんだ」

 

「これは、なんの時間稼ぎ?

 

 すぐそばで、灰蝋巴と視線が交錯する。灰色の瞳が、わずかに収縮する。

 瞳孔の奥でゆっくりと、暗い闇が覗く。光を呑み込んで吸い込むような、奇麗で艶やかな闇。

 深い瞳の奥で、ちかりと、何かが煌めいたように見えた。

 

 

 巴さんが、にこりと微笑んだ。

 

 

 それは、いつもの豪快な笑い方でもなく、皮肉めいた嘲笑でもなく、空木さんのような剛胆なものでも、どれでもなく。

 ただの、女の人の優しい笑みだった。

 

「……気付かれちゃったなぁ?」

 

 茶目っ気を多分に含んだ言い方と共に、巴さんのいた場所で、つまるところ僕のすぐ隣で、砂埃が舞った。

 上半身まで舞い上がってきた粒子を手で払ったときには、巴さんは白刀を刺した場所に瞬間移動していた。

 

「やーめた。賭けはお前の勝ちだ、結奈。お互いほどほどに詰めが甘かったってことにしようや」

 

「……どうせやる気なんてなかったんでしょ。灰朧もないくせに」

 

 灰朧がない?

 それはたしか、巴さんの得物だ。神眼でも見えない刀、見透かせない刃。

 彼女はいま、それを持っていない……?

 

「ばれてーら。いつ分かった?」

 

「あたしのチョーカーが粉々になっていた。きっともう、方舟の全員が嗅ぎつけてるわよ」

 

「……ああ、あの仙器、一方通行じゃねえのか。なるほど、どうりで本調子じゃねえってのに、強気だったわけが分かったぜ。だが安心しな、ヤノは死んでねえ」

 

「当たり前でしょ、あの人が死ぬわけないわ」

 

 絶句した。

 衝撃の事実をさらりと言いのけて、それにさも当たり前のような態度で返答する姉さん。

 しかし、今思い返してみれば、海女露さんの作ったサークルの中に現れた虹色のわたあめみたいな空間は、虹羽さんの異象結界内の風景と全く同じだった。

 

 巴さんは、「仕事」とやらで虹羽さんを殺しに行ったとでもいうのか。

 

「それに、灰朧だけでなく、根源色の指輪も全部取られたみたいね」

 

「チッ……これだから空木に任せたっていうのに。包帯だって消えてるし、防護の術でも仕掛けていたのか?」

 

「ふっ」

 

 姉さんが鼻をならした。

 

「……なんだよ」

 

「いいえ、空木叔父さんは叔母さんじゃなくて、私を信頼してくれたってことよ」

 

「おいおい、まさかグルだってのかよ」

 

「いや、叔父さんは間違いなく叔母さんの指令を聞き届けて、遂行した。『神楽坂結奈を呪いで拘束しろ』とでも言ったんでしょう? 方舟の主要戦力はいま、たった二人。神楽坂結奈と虹羽ヤノ。どちらかを落としたとしても、もう片方が守りを固めてしまう。だから同時に止める必要があった。手薄になった方舟から、『神楽坂みなとを奪う』ためにね」

 

「憶測だな」

 

「けれど事実よ。実際に私は、空木叔父さんの治療術によって、強力な睡魔に襲われ続けた。起き上がるのも思考するのも一苦労な、幼児みたいな状態にね。でも叔母さんは重要なことを失敗した。失念していた。呪いによる拘束時間の『指定』を、叔父さんにしなかった」

 

「……まあその憶測が合っていたとしてだ。お前は空木にやられたのは違えねえだろ。初恋の相手だからってずいぶん脇が甘いんじゃねえのか?」

 

 巴さんが不敵ににやつきながら、姉さんの言葉を待った。

 一瞬「初恋の相手」という言葉に驚きながらも、どことなく腑に落ちる。あのイケオジに惚れるのは、僕も一緒だし。

 姉さんは巴さんの茶化しにも特に反応せず、平坦に続けた。

 

「本当は一ヶ月ぐらい大げさにやれば良かったのに、やり過ぎたら方舟に気取られると警戒して、叔父さんの裁量に任せてしまったのが、甘かった。私にかけられた『言霊ノ詩ことだまのうた』の拘束期間は、三日にも満たないのよ」

 

「あいつ……」

 

「叔父さんは、叔父さんの意志を通した。叔母さんの命令を聞きながら、自分のやり方を貫いた」

 

「空木は、あたしを信じらんねえってのか」

 

「違うわ、空木叔父さんは、巴さんを選ばなかったんじゃない。ましてや私を選んでくれたわけでもない。あの人が信じたのは、みなとよ」

 

「どういうことだよ」

 

 巴さんは苛立ちを見せつけるように、長いポニーテールの先を指先でぐるぐるといじった。

 

 


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