非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
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裏転 原罪の桜火

094 神楽坂結奈の銀想 ―Silva bullet―

公開日時: 2021年7月23日(金) 21:00
更新日時: 2022年5月11日(水) 01:06
文字数:3,823


 私は母親になったことはないけれど、もしみなとに抱いているこの感情を例えるのだとしたら、それは「息子が母親にだけ見せる特別な笑顔」を知っている優越感に似ている。

 

 どれだけ彼の周りに女がいても。

 どれだけ彼が言い寄られても。

 どれだけ彼が、誰かに惚れ込んだのだとしても。

 

 そいつら全員『本当のみなと』は知らないのでしょうって、思えるから。

 

 ゆがんでいる。

 気がふれている。

 人としておかしい。

 

 理解している。

 そういう、他人から理解してもらえない感情を抱えて、生きていることを。

 

 私の人生は、神楽坂結奈の人生は。

 馬鹿みたいにおかしくて、見るのも汚らわしくて、鼻で笑えるほど醜い。

 

 だからせめて。

 

 心の綺麗なみなとには、歪んで汚い私の背中なんて見習って欲しくない。

 それが姉としての、せめてもの愛情だと私は信じている。

 

 だから、はやく独り立ちして、姉さんを安心させてよ。

 




「あーもしもし姉さん。えっとね、えーっとですね、怒られる覚悟で言うんですけどね……?」

 

 四月十六日、金曜日、午後九時十三分。

 方舟の地下書庫で仕事をしている最中に、携帯の着信画面に映った「弟」の文字で、すぐ電話に出た。

 隣にいる仕事仲間は会話を中断されて手持ち無沙汰になっていたが、気にせず通話を続ける。


「電話したら、まず相手に『いま大丈夫?』と聞きなさい」


「あっ、すみません……」


「それで、どうしたの?」


 会話の流れで聞き返しはしたが、申し訳なさそうな声音から察してはいる。

 またいつものだろうと。

 

 私の唯一の家族で弟のみなとは、「怒られる覚悟」という言葉をよく使う。

 まるでそういう風に予防線を張っていれば、少しでも私の怒りを抑えられるとでも思っているような、そういう「怒られ慣れている」人間の特徴がある。

 

 悪びれしない、ではなく。

 もっと言うなら、「悪いことをわかっているからこそ対抗策を先にもってくる」といった感じだ。

 

 思い返して軽いため息が出てしまうが、とりあえず電話先にいるみなとの返答を待つ。


「今ですね……咲良の寮付近というか、学校付近に、います……」

 

「咲良ちゃんの? なんで、こんな時間に?」


「……咲良を追いかけて……」

 

 追いかけて。

 みなとはそういった。

 

 その言葉だけで、瞬時にことの全容が見えてしまった。

 何故彼がわざわざ、こんな夜更けに電車で二時間はかかるような辺境まで出向いたのか。

 申し訳なさそうに電話を入れてきて、報告をしてきたのか。

 

 雅火咲良。

 やはり、あの庭園にいる灰蝋巴が追っているような件が、放置で解決する問題ではないということか。

 全くもって、叔母さんの慧眼が羨ましいものだ。


 単純な勘だけの行動で、いつも事件の本質を貫いているのだから。

 

「みなと、あなたはどうしていっつも体が先に動いているのよ。二時間電車に揺られている間、せめて家族である私に連絡するとか考えなかったわけ?」

 

「ごめんなさい……」

 

 いつものパターンというと、まるでそれを私が許しているかと誤解されそうだから気に入らないけれど、みなとは最初こそ熱が入り、無我夢中に突っ走って行動するが、どうしようもなくなって立ち往生になると、冷静になって誰かの助けを求める。

 

 そこに至るまで、誰かの助けが必要な状況下であっても、彼は自分一人でやりたがる。

 だからこそ、逆にいえば、連絡や報告が入ってきたということは、何かしらの問題や壁にぶつかったとも言える。

 

 そうなると大抵の場合、私へ申し訳なさそうに助けを求めてくる。

 絶対的な信頼だと受け取れば、少しだけ気分がよくなりもするけれど、それはそれ。

 

「もう慣れてるけれど、はあ……」

 

「あの、えーっと……」

 

「あなた、咲良ちゃんのことをどう思ってる?」

 

「どう、と言いますと……?」

 

「何の連絡もなしで、一週間もどこかを放浪しているのか。それとも、泊まるあてがあるのか」


 みなとは黙りこくる。

 先ほどまで弁解の余地がなさそうにへこへこしていた雰囲気が、電話越しではあるが、塗りかわったように思う。

 

 これは姉弟特有の以心伝心、といったところ。

 まだ冷静に考えられる余裕があるということは、窮地に陥っているわけではないのだろう。

 彼の思考を促すために続ける。

 

「どちらにしたって、未成年がそんな大冒険をしているのは危ないわ。まあ咲良ちゃんはみなとの影響をもろに受けてるし、不良行為には慣れてそうだけど」

 

「ふ、不良って……僕はともかく咲良はそんなことしないって……」

 

「どうかしら。もしかすると、お金も寝床も、体で得ているかもしれない」

 

「姉さん、ふざけるな」

 

 ぴしゃりと、冷徹な声が刺さる。

 最愛の弟から諸に浴びる怒りの感情に心臓がしまる、少しこわい。

 けれど声には出さない。

 

 私は、「姉さん」だから。

 

「あ、姉さん……その、ごめん。でも咲良がそんなことするなんて……」

 

 電話越しで顔が見えないのが幸いだった。

 みなとは私の無言を、気圧されたものではなく、そういう主張だと捉えたようだ。

 

 それなら、建設的に会話は進めやすい。

 一瞬だけ感情が勝ったようだけれど、冷静になるのも早くなっているのは、修羅場を越えた証なのかしら。

 

「厳しく言うわよ。それはみなとの願望でしょう? あの子は女の子よ。年上に好かれやすい愛嬌があって、それを武器にできるだけの器量も、無意識なんだろうけれど持ち合わせている。いくらでも可能性はありうるわ」


 言いながら、心苦しくなる。

 私だって、こんな可能性は言いたくない。

 私にとって妹みたいに大切な咲良が、自分の身を安売りしているなんてこと、あってほしくない。

 

 でも。

 それは私の願望。

 

 願望が事実をねじ曲げてしまってはいけない。

 一番あってほしくないこと、絶対にそうであってほしくない物事であればあるほど、真実はそこに近い。

 自分が望んでいる結果から最も遠い出来事の方が当たっていたりするのが、人生ってもの。

 

 人生は、残酷だ。

 残酷は、普遍のものだ。

 

 そのまま、私はみなとへ「本当にあってほしくない可能性」について言及した。

 雅火咲良が身売りをして男の家で寝泊まりし、売春をしているのはあり得る可能性の話であり、簡単に流せるような話ではない。

 だがそれ以上に、もっと恐れていることを、私は伝える。


 私の恐れはつまり、怪異絡みのこと。

 

 痴情のもつれというのは、その後の人生で足かせとなってしまうこともあるし、法律や倫理にも関わってくるからどちらの方が悪いなど、比べることすら間違いではあると思う。

 

 でも、普通の人間が起こすようなもめ事というのは、私からすると「所詮その程度」だと思ってしまうのも、また事実。

 結局のところ、他者からの風評が原因で死に向かう人というのは稀だからだ。

 

 本当に恐れるべきは、あの灰蝋巴が目覚めた次に起こした行動が、咲良を見定めに帰ってきたことにある。

 久しぶりに三人で食卓を囲んだ日に、わざわざ帰ってくるだなんて、よほどの危険を察知したのか、それとも単なる気まぐれなのか。

 

 彼女の真意は分からない。分かるはずもない。

 だがそれでも、一つだけ分かることがあるとすれば、あの日の叔母さんは、「あの場で咲良を殺していてもおかしくない」ほど緊張状態にあったことだろう。

 

 呑気なことに、当の本人とみなとは叔母さんの殺気に気づいていないようだったけれど。

 

 けれど、最終的には咲良は見逃された。というより、問題ないと判断されたのか。

 叔母さんほどの人なら、裏で咲良を密かに処理することなんて造作も無いはずだ。むしろそうする方が効率が良い。

 なのにわざわざ、私たちに顔を見せに来た。

 それはつまり、遠回しでありながら直接的に、答えを伝えに来たと受け取れる。むしろそう受け取ってほしいと、叔母さんは願っていたのだろう。


『咲良には何か憑いてるぞ、気をつけろ』と。

 

 あんな婉曲的なサインを解読できるのは、元弟子の私ぐらいだと思う。

 何年経ってもというか、何年も眠っているから、変わりませんね、本当に。

 

 昔から「背中を見て覚えろ」なスタンスで困るわ。

 

「……みなと、今すぐ帰ってきなさい」

 

「それは、無理だ」

 

「お願い、今のあなたには咲良ちゃんを助けられる力も、見つけられる力もない。丑三つ時が近づくに連れて、あなたの周りに良くないものが集まり始めてしまう。だからお願い、せめて私のそばにいてくれれば守ってあげられるから――」


 咲良に怪異が憑いている話を進めていくうちに、今のみなとの中にはミズチがいない事実がわかり、状況がいつも通りではなくなる。

 なんだかんだ、ミズチは私との契約をしっかり遂行しているから、本人の安全は確かに守られていた。


 非常に危険な状況にまで追い込まれても、ミズチなりに最適解を提案して、それにみなとが合意し、死ぬことだけは回避し続けていた。

 

 最後には、必ず私の元へ帰ってきてくれていた。

 それは、相棒のおかげであることに違いないのだ。

 

 だが、インスタントV・Bを飲んで別行動をしているとなれば、話は違う。

 体は半神半人なのに、神力は無い。誰が狙ってきてもおかしくない状況である。

 

 それこそ、篠桐宗司のようなおかみの人間が虎視眈々と狙っている場合も……。

 

「その必要はあらへんで、結奈ちゃん」

 

 関西弁の低い声が、電話越しに聞こえてくる。

 たった二言程度で、全身から気持ち悪い汗が浮き出る。

 おかみより、よっぽど恐ろしい人間が彼へ近寄っていることに、気が動転した。

 

 聞き間違えるはずがない。

 だってそれは、私の身内であり、兄弟子だったのだから。

 

 灰蝋空木。

 私の叔父で、巴さんの弟で、「月白の庭園」に所属する殺し屋の声だった。

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