「戸牙子、起きてる? って、また食べてない……」
部屋に入ると、彼女はベッド隣にあるサイドテーブルとの隙間に三角座りで鎮座していた。
隙間が大好きな人なのかと疑いそうになるが、二人は泊まれそうな大きさの部屋でそんな行為に走るとは、隙間好きというよりただの根暗だろう。
しかし、自分の知らない土地で三日間も軟禁されているとなれば、精神的なコンディションが崩れるのも、その中で非常に狭いパーソナルスペースを確保しようと奇行に走ってしまうのも、おかしくはない。
おかしくはないが、むしろ心配していることは精神面ではない。
彼女はこの三日間、絶食を続けている。
今日も置いた食事には一切手を付けておらず、温かさが完全に抜けきって不味そうな見た目になっている。
「ねえ戸牙子、たしか君はハーフだからご飯を食べないと死んでしまうんじゃないの? ちゃんと食べてよ」
「……死なないわよ」
「へ?」
「餓死する手前で再生するのよ。だから、食べなくても死なないわ」
初耳だった。
いや、初耳であること自体は問題ではない。
自分の能力や体質すべてをつまびらかにするのは親しい者同士の話であり、これは僕の知らない戸牙子の秘密だっただけ。
たしかに吸血鬼なんだから、再生力が高い特性があっても不思議ではない。
しかし、そこまでのものだとは思っていなかった。
飢えで死んでしまう体が、危機に反応して、全身をリセットリカバリーするのか。
まるでそれは、不老不死とも言えるのではないのだろうか。
「あたしを監禁する組織のご飯なんて、怖くて食べれるわけないでしょ」
「それは……もっともだけどさ。いや、うん……僕も諸手を上げて『安心して』とは言えないのが、申し訳ないところなんだけども」
「死刑囚には最後の晩餐が振る舞われるって言うじゃない……」
「殺さないから! 何かあったら僕が守るからそこは安心して!?」
あいもかわらず、戸牙子節全開だ。
まあ、突然何者かに襲われて、その脅威から守るためとはいえ今度は別の組織で軟禁状態というのは、住まいをたらい回しにされているようで苦しいはずだ。
奇しくも、僕が半神半人となった時に方舟で監禁されたのと似たような状況でもあるわけか。
とするなら、似たことを経験した者として、最大限のサポートはしてあげられるはずだ。
「えっとね、いま戸牙子のことや、襲ってきた鬼のことも調査しているところだから、もう少しだけ耐えてもらえる?」
「……どれくらい?」
紫色の薄暗いまなざしから垣間見える不安を、嘘でもいいから払拭させてあげられたら良かったものだが。
そこらへん、僕は愚直な性格だったせいで、返答を濁してしまった。
「分からないのね?」
「……なるべく急ぐから、ごめん」
「いいの、別にあの家に帰る必要なんてないんだし」
自暴自棄な発言に聞こえるのに、それが運命だとでも言わんばかりの開き直り。
未練なんて一切残っていないように、あくまでさらりと。
「おっすー、元気してる?」
神経を逆なでするような、調子の軽い中年男性の声が背後からぬるりと現れる。
驚いた戸牙子は膝に手を寄せて、さらにきゅっと縮こまる。
「虹羽さん、突然出てくるのはやめてくださいよ。ほら、逃げ場を失ったネズミみたいになってますよ」
「女の子を窮鼠扱いとか君はずぶといセンスしてるよ。ってそんな冗談は場違いだね、まずは挨拶しないと」
虹羽ヤノは不敵な笑みを、彼の放つ物の中では比較的友好的に見える笑顔に作り変えて、言いのける。
「面と向かっては初めましてだね、山査子戸牙子ちゃん。僕は虹羽ヤノ。みなと君の上司かつ、親愛なる友人だよ、以後よろしくね」
「あ、あっはい……」
吸血鬼は宝石の目をぱちくりさせて、グラサンを見つめる。
驚くのも当然だろう。
だって彼は、確実に「山査子戸牙子」と呼んだのだから。
「えっと、みなと……この人は一体……?」
「詳しく説明するほどの人でもないから、趣味の悪いグラサンをかけたおっさんだと思えばいいよ」
「ちょいちょいちょーい! おっさんなのは認めるけどこのサングラスを趣味悪いって言うのは全世界のスポーツマンへの宣戦布告だぜ!?」
「わざわざ虹色に光るのを付けてるところとか、喋り方とか見て胡散臭いのわかるでしょ? 近寄らない方がいいよ」
「ひどっ! 確かに僕はいじられ役だけどさ! ここまでドストレートにいってくれるのは君ぐらいだから一周回って清々しいねぇ!」
どこか楽しそうな反応をしているのがまた気持ち悪い。
しかもこの人は戸牙子の裸を見て、性的なものではなくVtoberのガワとして興奮していたのだから余計に気持ち悪い。
戸牙子のそばに近づけない方がいいのだ。
「ほら、M気質」
「確かに……危ない人かも……」
「初対面の女の子にとんでもないレッテル貼りされちゃったよ! おじさんは悲しい!」
まあでも、戸牙子を前にして桔梗トバラのファンとして興奮しないだけマシか。
あんな過呼吸はもう二度と見たくない。
それに、密かに企んでいた復讐が完了しただけで僕の気分は満足だ、うむ、清々しい。
「で、なんですか? なんか用があるんじゃないんですか?」
「ああっと、そうだった。いやね、僕が戸牙子ちゃんに直接聞ききたいことがあったから少しだけ時間をもらおうと思ってさ」
戸牙子は訝しげに虹羽さんを睨んではいたが、自分の存在を認知してくれているだけで信頼としては成り立ったのだろう。
「なんですか?」と、端的に聞き返す。
「戸牙子ちゃん、『玄六』っていう人の名前は聞いたことある?」
「……いえ、ないですけど」
「ホントに? 全く一切合切ほんのちょっぴりのかけらも、聞き覚えはない?」
「は、はぁ……ありませんけど……?」
「そうか、ふむふむそうか。いやはやありがとう。聞きたいことは聞けたから、僕はそろぼち仕事に戻るよ」
と言って、彼は胸ポケットに差していた電子タバコに手を伸ばした。
それは、彼が消える時に他人に見せる分かりやすい合図でもあることを覚えていたから、僕は声を忍ばせながら彼に近づく。
「ちょっと虹羽さんっ」
「んー? わわっ、どったの?」
虹羽さんの体を押して部屋の外まで連れて行き、がちゃりとドアを閉める。
「さっきのなんですか、意味深すぎるでしょ!」
「いや、『知らない』なら知らないで良いんだ。知っても意味がないことだし、今は必要ないことだから」
「そんなの分からないじゃないですか! 僕にだけでも教えてくださいよ!」
「んー、それはちょっと無理かな」
「……何でですか、意地悪ですか?」
「はは、さっきの君じゃないんだから。僕は冗談の通じない意地悪はやらないよ? 別に意地悪じゃなくてね、みなと君が戸牙子ちゃんとここ数日した会話の内容を教えてくれたでしょ? あれから僕なりに推測してさ。でもあくまでこれは一個人の見解として受け取ってほしいんだけどね?」
大げさで、慎重な前振りをしつつ虹羽さんは続けた。
「妄想癖持ちじゃないのかな、戸牙子ちゃん」
軽蔑するような口ぶりでもなく、見下げるような態度でもなく、不敵な笑みを一切匂わせず、真剣に言いのけた。
「軽度のならいくらでも理由付けはできるよ。一時の気の迷いだとか、ストレスが積み重なったとかさ。戻れるだけの余力がある妄想なら、いくらでも浸ってて温かく過ごしていいんだけども。けどこれが現実にまで影響を与えるような、重度のものだったら、彼女に与えるものは最低限に済ませた方がいいんだ」
「与えるもの?」
「そう、それは君が得た情報ですらだよ。みなと君が知ってしまったら、それを戸牙子ちゃんは君から察しとってしまうかもしれない。妄想癖持ちは想像力が豊かだからね、あれこれ飛躍させてしまうんだよ」
淡々と、冷静に分析するところはさすがに人生経験の差を感じた。
たしかに僕は「妄想癖はあるけど、そこまでひどくないでしょ」と楽観視していたのかもしれない。
その楽観で、しなくていいことまでしていたのだとしたら、それは取り返しがつかない。
「もちろん鵜呑みにしなくていいからね。ただそんな可能性もあるんだと考えて、みなと君は僕がリストしたことを順番に聞いていってみてくれよ。録音は多分彼女には効かないから、それぞれどんな返答が来たのかをメッセージで報告してくれたら」
「……わかりました」
虹羽さんの送ってきたリストは、単純な質問形式の問答だった。
「生まれはどこですか」「何歳ですか」「種族はなんですか」「趣味はなんですか」など。
単調に見えて、その時の反応を見つつ、僕の裁量で聞いていけばいいらしい。
カウンセラーがやるべき仕事が僕に務まるのかと思いはしたが、実際こういうのは一度組みあがった信頼関係からようやく始められるらしい。
「んじゃ、また僕の方でも進展があったら言うよ」
「……あれ? 虹羽さん、僕の件で動いてくれてるんですか? てっきり他の仕事に行くのかと」
「本業もあるから、ついでついでにやってるよ。スマホをみんなが持つようになったから、今の時代は最高だね。報連相が楽すぎる!」
「は、はあ……」
そんなところでテンションがあがるのも不思議だ。
見た目は三十代のおっさんなんだから、バリバリ電子社会の生まれだろうに。
そして引き留めていた彼はようやく持っていた電子タバコにありつき、口に咥えたところでパッと消えた。
とりあえず、扉に手をかけて部屋に入りなおすと、戸牙子が先ほどの隙間から、なぜか移動していた。
まるで、急いで元居た場所へ戻ろうとしたような、そんな焦りをまといつつ、からりと力なく笑う。
「ははは、どうかした? みなと」
「……これから、君に質問をしていくよ。君のことをよく知るための、大事な質問だからね」
そうして、虹羽さんから送り付けられた電子ファイルにまとめられた大量の質問を、僕は数日使って、彼女の調子が良さそうなタイミングで聞き出していった。
初めはなかなか要領を得ない回答をする戸牙子だったが、日にちが経つごとに気を許してくれたのか、次第に自分の過去を話してくれるようになった。
そしてその人生こそが僕が一番知りたかった情報であり、聞いているこっちが辛くなってしまうほどの悲しい過去。
山査子戸牙子の過去は、囚われの生き地獄だった。
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