「あー…………えっと、聞こえてるのかなこれ……。OBS触るの久々すぎて設定が……。あ、マイクの位置悪いかな……」
テキパキと小慣れた手つきでボリュームのつまみをしぼり、ごちゃごちゃとした画面のなかで軽快にマウスが飛び交う。
「あーあー、テステス。立ち絵は、動作軽めにしたいし静止画にするか。SNSに告知もして、チャットログだけ出るようにして……よし」
僕もこっそり、音量はゼロにして自分のスマホで彼女のライブ配信を見る。
告知なしの唐突なゲリラ配信ながら、わずか一分で視聴者は千人以上集まっていた。
「あはは、久々ね、君ら。てっきり忘れられたかもって、不安だったんだけど、来てくれてありがと」
:トバラきちぁああああああ!!!!
:とんでもねえ、待ってたんだ
:出所おめでとう
:バラバラしてきた
:なにしてたんだよいったい
リスナーのコメントを写したチャットログは滝のように爆速で流れ、トバラの帰還を喜んでいた。
「あーまあなんというか、いろいろあったんだけど、とりあえず生存報告だけはしておこうと思って。今後の予定とかも話せたらいいなって思うんだけど、とりあえず心配かけて本当にごめんなさいと、言わせてもらいます」
:は?トバラがあやまるとか解釈違いなんですけど???
:お前別人だろ
:俺らのメスガキ返して
:桔梗トバラは彼氏フラの犠牲になったのだ、今いるのは抜け殻だけだ
「君らひどいなぁ!? せっかく誠心誠意込めたっていうのに! 誰よメスガキってコメントしたやつお前ID覚えたからな! 違うし、彼氏じゃないし! ていうかあたしに彼氏できると思ってるの?」
:ない
:ないです
:却下
:チェンジで
:まだおっさんと付き合えって言われる方がまし
「そうだろ? いやまあ自覚してるんだよな……こんな女多分誰も好いてくれないと思うし……。腐を極めた絶叫女と付き合おうなんて思うやついないでしょ……」
:ヘラるな
:トバラだったわ
:ぺろっ、これはっ、ヘラトバラ!
:偽物にこの病みヘラは生み出せない、よって彼女は桔梗トバラ本人、QED
「証明完了させるんじゃないわよ! ヘラがアイデンティティとか悲しくなるじゃない!?」
笑いをこらえるのに必死だった。
本当だったら声をあげて思いっきり笑いたいのに、残念ながら彼女の後ろで傍観している僕はひとりのリスナーであってはならない。
トバラとコメントの痛快なプロレスを、配信に声を乗せないためぐっとこらえるのは、図書館でギャグ漫画を読まされる苦痛に似ている。
「そんでさ、次の配信がいつごろできるのかはまだ未定なのよね。今日はちょっと帰ってきたばかりで、疲れててあんまり考えられなくてさ……」
:休んで
:毎日配信更新ストップしたんだ、死んだように寝ろ
:お兄ちゃんと帰省でもしてたの?
「帰省……あっ、そうね。うん、お兄ちゃんが急に帰ってきて、そんで一緒に付いて行った。その時スマホ忘れたから、連絡ができなくてさー」
僕が配信中に訪れた通称「兄フラ事件」と、一週間近くの空白をカモフラージュする言い訳を、さらりと流れたコメントから一瞬で作り出した。
これがトップVtuberか。
この脊髄反射並みのトーク力は、芸人にも勝る神業だろう。
「はあ、デビューしてからずっと毎日配信してきたのになあ。それがめっちゃくやしい」
:兄バレしたんだし今年は家族配信しろ
:トバラにも私生活があったんだな
:引きこもり卒業おめでとう
「家族配信って……あれ仲良い家族がやるやつじゃん。まあでも……うちのお兄ちゃん無口だから、配信向きじゃないと思うけどね」
ちなみに、彼女の言う「お兄ちゃん」は僕のことではない。
たしかに、あの時配信に声を乗せてしまい、そして今話題として持ち上げているのはお兄ちゃんという名の僕であるわけだが。
戸牙子が今言ったそれは、僕だけが知っている秘密。
彼女の、本当のお兄ちゃんのことだ。
それから、戸牙子はいつもより熱量のあるコメントを拾って非常に強めのプロレスを繰り広げつつ、一時間ほどの雑談配信として幕を閉じた。
SNSのトレンド一位には「桔梗トバラ」が上がり、同時視聴者数はVtuberの配信として過去最高の数字を叩き出すほど、簡素なのに大盛り上がりの一夜となった。
一夜と言いつつ、終了時刻は午前五時前と、早朝までもつれこんだが。
「はあ……緊張した……」
「お疲れ。後ろで生殺しされる気分ってこんな感じなんだね」
「え、なんであんたも疲れた顔してるの?」
僕がひとりのファンであることを忘れているようだ。
意外と鈍感系主人公の気質ありだな。
「さすが個人トップVtuberだね、貫禄が違うよ」
「ええ? よくわからないんだけど」
「……ちなみにさ、あのお兄ちゃん設定は、狙ってたの?」
「まさか、ふっと思いついたのよ。あの鬼が本当にそうなのかはまだ信じられないけども、説得力が増すものなら躊躇なく使うわ」
空想にはリアリティが大事だからね、と彼女は言う。
「六戸のことは、いまミズチが詳しく聞き出してくれてるから。終わり次第すぐ帰ってきてくれるはずだよ」
「……本当に言ってたの? っていっても、みなとが嘘つくわけないか」
「ミズチが嘘をついてる可能性も考えられるけど、嘘をつくメリットもなさそうだし……信じていいと思う」
山査子六戸。
それは、戸牙子をさらって、僕を行動不能にしようと攻撃してきた鬼の名。
彼は迷いなく、ミズチにそう名乗ったらしい。
「鬼のお兄ちゃん……か。あたしに他の家族がいたなんて、びっくりだわ」
「まあ、いてもおかしくはないんじゃないかな。生き別れの兄弟って、よくありそうなものだけど」
「でも、今までどこにいたのかしら……。この辺りにいたのなら、あたしが感知できないはずがないんだけど」
「そこはほら、お兄さんの方が霧術に関して強いってことなんじゃない? 僕もあれで錯覚を起こされて、攻撃が届かなかったわけだし」
鬼が持つ固有の能力。
それは鬼の由来が密接に関係しているらしく、また一定の傾向もあるのだと。
「おに」はもともと、「おぬ」が転じた呼ばれ方で、姿の見えないもの、もしくは人の世にはいない存在をさすものだった。
今でこそ力が強いとか、酒が好きとか、はたまたゾンビ的なイメージをもたれる鬼だが、彼らの本質は『陰に潜むもの』である。
つまり、「隠れる」技能に長けた怪異である。
それが霧だったり、もしくは何かへの擬態だったりと、個体によっていろいろ派生するのだとか。
実際、鬼に殺されるのは面と向かって一騎打ちというより、奇襲戦法が多いらしい。
暗闇の夜道でこっそりとか、寝首をかいてくるとか、美男美女に化けて夜伽に誘って背中からなどなど、その戦法は多岐にわたる。
「意識の外にいるっていうのは、やりづらいね。いい教訓になったよ」
「教訓って……それを活かして何するのよ」
「んー、実は僕って覚醒状態じゃなくても、ある程度の攻撃に対して勝手に防御をしてくれるんだ。でも六戸相手だと、それもできなかったんだよね」
「勝手に防御……あ、そういえばあんた、あたしの眼の石も全部止めてたわね。あれ、違うかしら? 最初は当たってたような?」
「そう、出会った最初の夜は、飛んできた宝眼を止められず、というか止まらずに僕の頭に当たったんだよ。杭を引き抜いた帰りだったから、ほぼ完全な覚醒状態だったのにね。普段なら、僕の脅威になりうる攻撃は意識せずとも勝手に止まるはずなんだけど……」
そこが、戸牙子と六戸の恐ろしい特性だ。
山査子の血筋が持つ、特異な性質。
意識の外へ向かってしまい、いたことすら忘れるような徹底した隠遁性。
「無意識を縫ってくるんだよ、君らの攻撃は。それと似たような、奇襲性の高い攻撃が来た時の対処法を今からでも学んでおかないといけないって、改めて思わされたよ」
「え、あんたって誰かに狙われてるの?」
「半神半人って結構貴重らしいからさ。僕の体を利用したい人もいるし、消したいって思ってる人もいるから、用心はしないとね」
「ぶ、物騒な話ね……怖くないの?」
問われて、ふと考え込んでしまう。
命を狙われて怖くないのかと聞かれたら、怖くない。
だがそれは、「ミズチがついてるから」という安心からきている。
後ろ盾があるから恐怖を忘れているだけであり、神性が消えてしまったり、使えない状況なら、当然僕の心は揺れ動くだろう。
神の力に甘えているのだ、僕は。
最終的にどん底の端っこまで追い込まれたら、「ミズチに頼ればいい」なんて甘い考えを持っている。
実際、六戸との戦闘でも虹羽さんに渡されたネックレスがなければ、僕は迷わず自分の体を代償としてミズチに頼っていただろう。
これでは、「姉さんの負担を軽くするために自立したい」なんて願いを叶えられるわけもない。
仮初めの自由であって、ひとりで立っているとは言えない。
「そ、そんな難しい顔して考える質問だった……?」
「んー、いや、ちょっと別のこと考えてた」
「器用すぎない? 別人格でもいるの?」
「言い得て妙だね」
戸牙子の言う通り、ミズチのことは自分の体に乗り移っている別人格とでも思ってしまえば、楽なのだろうけど。
だが、不意にでも、ほんのわずかでもそう考えてしまったのなら、それこそミズチの術中だ。
ぴとん、としずくが落ちる音が部屋の中に響いた。
噂をすれば、か。
「みなと、お前さんは周りに恵まれているんじゃのぉ?」
ミズチが帰ってきた。
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