さて、僕はこれから山査子戸牙子の過去を、事細かに順序立てて振り返ろうと思う。
少しばかり長くなるが、彼女から1週間かけて聞きだした、一寸先の見えない真っ暗闇の人生を、頭のなかでしっかりと整理しておかなければならない。
桔梗トバラとして活動した4年間の略歴ではなく、ハーフヴァンプである戸牙子自身の、17年近い囚われの生涯について。
すべての始まりは、今から17年前。
山査子戸牙子は僕が直面し、対面してきた着物少女の姿でこの世に生まれ落ちた。
0歳の頃から、人間換算でおよそ17歳ぐらいの体格と知能を持って。
金髪紫眼の超絶美少女として、彼女が住んでいた歴史を感じられる日本家屋で誕生した。
それ自体は、怪異の世界ではわりと普通であるらしい。
おぎゃあと泣き喚いて生まれてくるような怪異は、そもそも怪異とすら言えないとも。
怪異は理に合する。
しかしそれは、人間の理に合するわけではなく、あくまで彼らにとってのルールに基づいて。
人間が赤ん坊から成長していくのなら、影に潜む異形たちはむしろ、その逆をいく。
流行の真反対を進み、逆張りに人生を捧げているのが彼らである。
そんな戸牙子は、真っ赤に燃えて輝くルビーのような眼を持つ金髪の女吸血鬼から生み出された。
眷属でもなく、同種でもなく。
娘として。
しかし、母親である熱血の吸血鬼は、戸牙子を生み出した次の日に蒸発した。
その蒸発は太陽に焼き殺されたではない方であり、つまるところ、生まれてきた娘になんの憂いも見せず。
いや、むしろ見捨てるように屋敷から出て行った。
母親と一緒に過ごし、話したのは、この世に生まれ落ちてから丸1日もなかったという。
その短い面会時間で、母親は戸牙子に最低限の情報を詰め込み、「明日にはもう家を出ていくから、あとは勝手に生きろ」と、冷たく投げやりにあしらった。
血も涙もない、あまりに勝手で自分本位な生き様。
彼ら怪異にとって、親と子の関係は人間基準ではないのかもしれないが……それにしたって、とも思う。
そんな母親が戸牙子に告げた情報のなかで、重要なものはふたつ。
戸牙子はハーフヴァンプであること。
霧の術式がかかっていること。
しかし、母親は戸牙子が何と何のハーフであるかは明言せず、霧の術式をなぜつけているのかも教えなかった。
初対面の時に戸牙子が「家族なんて他人でしょ」と恨みのこもった言い草をしていたのか、納得がいった。
彼女にとって『家族』は、自分を捨てた人でなしであり、恨んで然るべき対象なのだ。
しかし、母親がそうであったとしても、父親はどうしていたのか。
それは、孤独の牢獄で過ごし続けてから7年経った頃、つまり今から10年前の、夕闇に染まる風と共に訪れる。
戸牙子の家の近辺で、「道に迷った」と言う初老の男性が、屋敷の周りを徘徊するようにふらふらと彷徨っていた。
その時は晴天の夕刻であったらしく、言い換えると吸血鬼にとっての爽やかな朝であったから気分が良かったらしく、戸牙子は道案内をすることにした。
あの田舎からは出られないが、ギリギリまで送ることができるというのは、7年ほど生きてきたから把握していたようだ。
だから、男性を送り出すことさえしたら、あとはまた意識を失いでもして、いつのまにか家に帰っているだろうと。
いつものように、当たり前のように。
しかし、その日は違った。
戸牙子は初老の男性を田舎道の先にある、寂れた無人駅まで送ることができた。
夢のような気分だったらしい。
娯楽が何にもない、自然が豊かな程度で終わっていた世界が一気に塗り変わった。
駅まで辿り着くことができた戸牙子は、ここで帰ってしまうのはもったいないと考え、初老の男性に成り行きで付いていき、電車を乗り継いで、都会へお登りした。
道案内をしてくれたお礼だと言わんばかりに、男性は戸牙子を連れて夜の街を案内。
ゲームセンター、本屋、アニメコラボカフェ、同人誌ショップに行ったのだとか。
案内された場所から推察するに、夜の街というよりどうやらオタク街であるらしい。何故そのチョイスをしたのかは、よくわからないが。
金髪和服美人が初老の男性と並んで歩くさまは、まるで異世界から現代日本に来た女の子を連れ回す転移ファンタジー小説のように珍しい光景だったろう。
けれど、それはひとときの夢であった。
夢はいつか醒めて、現実に縛られ、帰される。
終電も逃すほど夜中まで遊び回り、男性から「どこに泊まる?」と言われたタイミングで、戸牙子の意識はふらりと途絶え、次に眼を覚ますと家に帰っていたらしい。
そして月日は流れ。
彼が自分の父親だと知ったのは、それから数年後のある日。
たまたま、掃除も兼ねて家の奥底に眠っていた荷物を引っ張り出すと、道案内をした男性の若かりし姿が写った写真があった。
確信めいたものは無くても、やはりそこは血の繋がりとでもいうのだろうか。
戸牙子は直感で、その男性が自分の父親だと分かったという。
そして、父親が屋敷の周りでふらふらしていたのは、数奇な巡り合わせでも、偶然立ち寄ったわけでもなく、彼自身の意志で会いに来たとも。
戸牙子は、まるでそう信じたいと思い込んでいるのに気付いていないほど、真面目に言ったのだ。
これに関しては、僕も戸牙子の主張を信じきれていない。
たしかに、親と子の絆が深く結びつき、霧の術式を乗り越えたというのは、よくできているし、美しい物語だ。
美しすぎて、リアリティの薄い、夢物語。
非常に不謹慎ではあるし、言い出せはしないが、僕はその話を戸牙子の妄想だとも考えている。
ある日そんな夢を見て、それが現実と混ざり合って、記憶に根付いているだけかもしれない。
押し入れに眠っていた写真を見た時に、そんな夢を見たことを思い出し、事実と結びつけたのかも。
なぜメンヘラチックな女の子として見ているのかというと、そうなってしまうぐらいの大きな傷を、彼女は背負っているからだ。
――母親も父親も、たった1日しか自分に付き合わない、薄情者だ――
それは、「忘れられてしまう」という自分ではどうしようもない特殊な環境も合わさっているからこそ、彼女はひとりで葛藤し、悶々と仄暗い毒を十数年もの間、ずっと溜め込んでしまった。
――どうしてママは、あたしを置いていったの――
――なんでパパは、あたしのことを忘れちゃったの――
心の奥底に秘めて、誰にも言うことができなかった孤独な本音を吐露してくれたのは、戸牙子を船で保護して1週間は経った頃だった。
それでも、そうであっても。
親達に酷く重い怨念を抱えているのに、執着に似たような想いが残っているように感じたのは、見当はずれも甚だしい夢見がちな妄想なのか、それとも願望なのか。
だからこそ、僕は自分が戸牙子に感情的に入れ込んでいることを自覚したからこそ、父親と出会ったことに関する話だけは、『妄想』である可能性も取り入れた。
抱えきれない負の想いは、別の何かに転嫁してしまう。
それは他人であるかもしれないし、物であるかもしれないし、存在しない空想のものであるかもしれない。
物である必要ですらない。
かけがえのない者である必要性もない。
普遍的な、ありふれた何か。
しかし、マイナスのエネルギーは必ず何かしらに転嫁する。
今は、彼女が持つ負のエネルギーはVtuberとしての、配信活動に活かされている。
チャンネル登録者も個人でありながら100万人越えで、カルト的な人気を保ち続けている。
現在は僕が配信に声を乗せてしまった「兄フラ事件」の影響で、良い意味でも悪い意味でも盛り上がっている最中なので、配信休止と世間には言っているが。
だが、父親だと思っている男性が訪れた時は?
そのころはまだVtuberとしての活動はしていなかったし、Vtuberと呼ばれる者すらいなかった。
ため込んだ感情のはけ口がなく、配信者としての活動もしていなかった頃は、別のやり方で発散したのではないかという仮定の話。
『妄想癖持ちじゃないのかな。戸牙子ちゃん』
虹羽さんの言葉が、ずっと引っかかっていた。
あくまで仮定の話であり、ひとりの個人的な見解であり、断定には至っていない。
その場の状況からどんどん話を飛躍させる戸牙子の会話パターンから、そう判断したのだろう。
ありていに言えばコミュ障だが、才能として活かされているのなら問題はない。
むしろ彼女の活動自体に問題はないと言える。
リスナーにキレるのは、清楚カッコカリである桔梗トバラの十八番でもあるのだから。
問題があったのは、家のお風呂に浸かってひとり黙々と、戸牙子の過去を振り返っている、今だ。
ナウであり、現下であり、暖かい湯船で身を清めて、こうやってわざわざ誰かに説明するように自問自答する時間を取らないといけなくなってしまった状況こそが、現在進行形で直面している問題。
戸牙子が、行方をくらましたのだ。
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