「ミズチ。力を貸してくれて、本当にありがとう」
「感謝されるほどのことはしておらんよ。わしは遊びたい気分だったから動いただけじゃ」
「けど、ビルから落ちかけた時とか、猟犬に殺されかけた時とか。何回か僕の身を守ってくれたでしょ? あれがなければ、きっと死んでたから、命の恩人だよ」
「心配するでない、もとからわしはお前の命の恩人じゃ。一回やれば二回三回も変わらん」
「はは、景気の良い神様だね」
ツンデレ的な照れ隠しにも聞こえるが、実際彼女にとって人間の命を守ることなんて、赤子の手をひねるようなものなんだろう。
「そうだ、ちょっと詳しく聞いておきたいことがあるんだけど」
「なんじゃ」
「その、最初に結んだ契りにあった、えーっと……しょ、処女の血を飲むっていうのは……なんでなのか聞いてもいい……?」
「お前さん、姉を持っておるのにずいぶんと初心なんじゃのう? 生理の話題すら口に出すだけで血のように顔を真っ赤にしてそうじゃ」
「いや、姉さんは姉さんでも義理だし……。というか、恋愛対象だし……」
「ほうほう。わしは色恋を見るのは大好きじゃからな。姉弟の純愛も悪くはないが、魅了と媚淫の加護を付けてやってもいいぞ? お手軽に女の囲いを作れて、猥らな日々を送るのもやぶさかではない」
「ゼッタイヤメテ」
僕の恋路を邪魔しようとしてないか、この神様。
というか処女を求めるところも含めて、性をつかさどる神様だったりするのか?
「質問に答えようかの。血を求めるのは、純粋にわしが食欲旺盛だからじゃ。肉の方が味気があるんじゃが、一度食べたら無くなってしまうじゃろ? しかし血なら、ちょっと飲んでも日をおけばまた作られる。だから血を飲ませろと言ったのじゃ」
「もしかして、吸血鬼かなんかですか?」
「あんな人まがいと一緒にせんでくれ。むしろわしにとってあやつらは美味い血を出す者なんじゃから、気に入っておるんじゃぞ」
「じゃあ、処女の血っていうのは?」
「わしの趣味じゃ」
……なんか、かなり俗っぽい神様な気がしてきたぞ。
「けど実際、どうやって飲ませたらいいんです? 輸血パックにでも詰めたらいいんですか?」
「おいおい、血の鮮度を舐めたらいかんぞ。本体から離れた血はあっという間に神性を失っていくんじゃ、直飲みに決まっておろうが」
「ま、マジですか……」
つまりなんだ。
処女である女の子の血を、吸血鬼みたいにがぶがぶ吸い付いて飲めってことなのか?
ちょっと、絵面的にというか、倫理的に無理でしょ。
「ま、わしもいつでも飲みたいという気分ではおらん。わしが後ろから見ていて、こいつの血は飲みたいなと思った時に、こうやって二人で相談しようではないか」
「あれ、いいんですか?」
「もちろん。わしは好き好んでお前さんの中にいるんじゃ。主導権はお前さんにある、逆らえはせんよ」
「……いやいや、暴走していることの方が多くなかったですか!? あれってミズチのせいですよね!?」
「いやぁ? なんじゃ、気付いておらんのか」
……え?
「てっきりのう、わしはそれも了承したうえで暴れているのかと思っていたのじゃが、どうやら理性と記憶を代償にして動き回っていた、ということかの」
「……どういうことですか?」
ここから先は、聞いて良いのかも分からない。
なんだったら、知らないほうがいい真実であり、知ってしまうと不幸になる事実であることを、予想できてしまった。
「わしは、お前さんに二回しか力を貸しておらんよ。貸したのは、ピエロの男の時と、わんころを倒すのに頼まれた時だけじゃ」
「……それ以外の時、たとえば僕が眠りから覚めて、暴走していた時や、自動防御が働いてるときは……?」
「全く、何もしておらん。というか、お前さんが寝ている時は、大抵わしも寝ておるぞ」
じゃあ。
虹羽さんの言ってた話が嘘、になるのか……?
いや、それはありえない。
姉さんだって、暴走を止めたと明言していたのだ。
ミズチが僕の体を乗っ取って、勝手にやったわけではないということは。
その暴走は、もしかして僕自身の意志で……。
「みなとよ」
水のように涼しく美しい、透き通るような声色で諭される。
「深く考えすぎるでない。お前の姉君は、お前さんの面倒を見ると啖呵を切ったのじゃ。じゃからお前さんは、姉を信頼して突き進めばいいのじゃ」
「でも……放置してたらいけない問題な気が……」
「だからといって、今のお前さんが持ってる物だけで解決できる代物ではないと、わしは思うがの。もう少し手駒がそろってから、改めて直視してみるとよい。神の忠告じゃ」
そう言い残すと、ミズチは眠ったのか応答しなくなった。
いろいろ追及したいこともあったが、返事のない神様に諦めて僕もベッドの中に入り、目をつぶる。
結果として見れば、問題こそあったが難なく終わったと言えるのだろう。
奴隷商人もティンダロスの猟犬に変化していただけで、中身はぶくぶく太った人間のままだった。
しかし、五体満足であったのに商人の息は、とっくに絶えていたらしい。
僕が躊躇なく殴り続けたから死んだのか、それともティンダロスの猟犬になった呪いで死んだのかも分からないらしい。
しかし、個人の奴隷商であることは分かったため、報復の危険性はないとのこと。
また、そもそも報復自体を気にする必要性がなくなった理由がある。
なぜかというと、僕の懸賞金が九億円から、地の底まで落ちたからだ。
「黒橡の方舟に手を出すと、末端組織まで壊滅させられる」
という噂が裏世界では広がっているらしく、見聞のあるものなら組織所属の人間に手を出そうとする輩は少ないらしい。
だからこそ、まだ組織に所属していなかった状態の僕にとんでもない懸賞金がかけられていたわけだ。
報復がやってこないのだから。
まあ、僕が「神楽坂結奈の弟」だと知ってる者は手を出すわけがないため、今回の犯行は商人の浅慮が招いた事態だったとのこと。
……しかし、本当にそうだったのだろうか。
あの奴隷商人は、僕が姉さんの弟であることを知っていた。
そして、銀の殺し屋にあれだけ恐れを抱いていた。
普通なら報復を考えられそうなものだけど、ノスリにやらせたから自分は無関係だと言い切るつもりだったのか?
なんだか、いろいろ腑に落ちない……。
悶々と考えていたら部屋の扉がかすかな音を立てて開く。
忍び込むような、小さな足音がひたひたと僕のもとへ近づいてきた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!