エピローグというか、今回のオチ。
今回僕が出会った怪奇現象、もとい「桔梗トバラ身バレ事件」は、戸牙子は忘れられなくなったという一応ハッピーな結末を迎えて、収束した。
不思議なこと、そしてまだ理解できていないことは残っている。
玄六さんがなぜ戸牙子と会えないのだとか、グロウが来たのはさらに別の目的があったのではないかとか。
だが、それでも今回の結果だけで見れば、僕は概ね満足していた。
ずっと孤独だった戸牙子が家族と和解できたのだ。王道でありきたりなストーリーではあったかもしれないが、当の山査子家からすれば願ったり叶ったりな結末だろう。
戸牙子に付いていた術式は消え去り、彼女はあの屋敷から解放された。
外に出ても全く問題なくなり、いつの間にか気を失って屋敷に戻されることもなくなったのだ。
というより、戻される屋敷が消え去ったから、帰る必要がなくなったという方が正しい。
これは僕が家に帰ってきて、そこからもう一度山査子家まで赴いて確認した時に知った事実であるのだが。
山査子家の屋敷がそこにまるで何もなかったかのように、更地になって跡形もなく消滅していたのだ。
僕と篠桐宗司の戦闘は苛烈ではあったが、あの屋敷が完全になくなるほどではなかった。
だから、家を消滅させたのは誰か別のやつだ。
それは多分というか、ほぼ100%グロウであり、裏で糸を引いていた玄六さんの企みなのだろうけど。
あの件に関しては僕も庇ってもらった身であるし、グロウの顔を立てるわけではないが、自分の失態を完全に霧隠れさせることができてしまった都合のいい結末に、結局僕は甘えてしまった。
いや、むしろ罪を一緒に背負ってくれると言ってくれた人がそばに居たからこそ、僕は心にのしかかる罪悪感に潰されずに済んだというのもある。
だから。
姉さんから「山査子家のお屋敷がなくなったのは、黒式であたりを抹消させた篠桐のせいだと言いなさい」と告げられたのは、正直なところ意外だった。
妥協案どころか、まるでそれが本来のシナリオだったかのように淡々と言いのける姉さんの口ぶりに、この人も全てわかっている側なのではないかと勘ぐったほどには。
知らなくていいことが世の中にあるのだとしたら、知っている者だけが背負える罪もあるのだろう。
無知であることは徳ではあるが、得ではない。
けれど今回は、それでいい。
山査子家が背負ってしまうかもしれなかった罰は、僕が受け止めよう。
篠桐に救いの手を差し伸べることも、グロウの暗殺を止めることができなかった罪は、戸牙子たちが背負うものではないのだから。
とまあ、大層な話ぶりで物思いに耽ってみたりはしたが、後日談はこの程度で終われない。
後でもう一度触れることになるというか、先に戸牙子側の話をしておかないとややこしくなってしまうため、僕側のお話は一旦置いといて、山査子家の後日談に移ろうと思う。
僕がグロウから送り帰されている間に経ったのか、それともロゼさんの異象結界から出た時点で経っていたのか。
どちらにせよ、日付にしてみれば約五日間。
戸牙子とロゼさんは、じっくりと時間をかけて話し合いをしていたらしい。
今まで話せなかったこと。
これまでの誤解。
そしてそれに対する、すべての謝罪。
戸牙子は母親からすべてを聞いて、聞かされて、そのうえで「許さない」と言ったそうだ。
「許すわけないじゃない。だから、これから償ってもらうわよ。もう一度やり直したら、いつかは許す気になるかもしれないんだからね」
もう一度。
それは、家族として。
不和の家庭環境は偽りの夢だった。
その夢から覚めたのなら、これからは現実として改めてやり直せると、彼女は信じていた。
それは、もしかすると戸牙子なりの贖罪なのかもしれない。
今まで自分が母親に抱いてきた恨みつらみに対しての後悔なのかもしれないし、懺悔なのかもしれない。
そんな自責に自分なりの償い方をしようと考えたから、彼女は後ろめたさを持つ兄と母親へ半歩、歩み寄ったのだろう。
だからこれは、どちらが悪いとも、どっちも悪いとも言えない。
どちらもが歩み寄った結果、今度は一緒に並んで歩むことを決めた、歪な家族の物語。
始まりは歪であっても、これからは分からない。
夢を忘れることがなければ、いつ始めたとしても遅くはない。
そんな理想論を、彼女たち山査子家はきっと忘れないだろう。
だがまあ、ひとつ問題があった。
家族が一緒に暮らすのなら、家がないとだめだ。
もし三人が一緒に住むのだとしたら、ロゼさんの作っている異象結界の洋館がおあつらえ向きなのだろう。
だが、僕が後日改めてロゼさんに、篠桐宗司のことは心配ない旨を伝えに行くと、彼女は近いうちに異象結界は放棄すると決めた。
もともと決戦兵器として保有していた空間は、目的がないのなら捨ててしまっていいと判断したのだとか。
それだと家がどうなるのか心配になったが、ロゼさん曰く「私たち怪異は家がなくてもわりと気にしませんよ」なんて言っていたが、さすがに戸牙子は反対気味だった。
「ネット環境がないと配信できないじゃない!?」
異象結界のなかで過ごしていたロゼさんや裏山で野宿を続けていた六戸と違って、戸牙子の暮らしは人間らしさが捨てきれていない。
というか、彼女は生活様式が人間らしいからこそ、ハーフヴァンプでもあるのだから。
一応、Vtuber活動に理解がある六戸は戸牙子の意見を尊重していたが、ロゼさんは不思議そうにしていた。
まるで「別に活動をしなくても死なないでしょう?」といった感じで。
理解がない親というのは確かに一定数世の中にはいるが、どちらかといえばロゼさんがネット文化に詳しくないために起こった齟齬であったため、僕も進言はしておくことにした。
「戸牙子って登録者百万人越えの配信者で、ファンがたくさん待っているんです。それにこの活動だけで結構な収入になってますよ」と。
それを聞いてロゼさんもさすがに思うところがあったのか、山査子家は現世での家探しを始めることになったのだ。
ちなみに、戸牙子は配信で得た収入を何に使っているのか気になって聞いてみたら、「ほぼ全部機材とか配信環境に使ってるわ。リスナーにもっと楽しんでもらうためにね」と言いのける、配信者の鑑だった。
いや、けどこの前BL同人誌に使ってなかった?
「あれは経費」と先読みするように一蹴されたが、だらだらと冷や汗をかいて狼狽していなければ信じていたんだけどなぁ。
異象結界の中は現世と隔絶されているせいでネット回線が引っ張ってこれないから、あの洋館で住み続けるのは家探しが終わるまでとなったらしい。
ここまでが、山査子家の後日談。
そしてここからもう一度、僕個人の後日談へと移る。
いや、というかここで一回僕側の話を通しておかないと山査子側の話がこんがらがるため、閑話休題として挟ませていただこう。
僕が家に帰ってきた日付が、三月の二十四日である。
通信制特有の長い冬休みの最中であり、だからここまで自由に行動できたというのがあるわけだが。
決して学業をおろそかにはできないし、大学に行くためには受験勉強をしなければならないと、劇的な日々から打って変わり僕はこれまでの日常へ戻ろうとしていた時。
「おっすーみなと君、元気してる~?」
僕が夕食用の買い物をした帰りに、背中から調子の軽い浮ついた中年男性が僕に話しかけてきた。
「……」
「おいおい、無視なんてひどいじゃあないか?」
「いえ、こういう扱いをする方が嬉しいのかなって思ったんですけど」
「勝手にドM認定されてるけどそういうのじゃないから、愛のあるムチが一番気持ちいいんだよ?」
「気持ち悪い」
とまあ、激しめなコミュニケーションを皮切りに虹羽さんとは話しがちだが、彼がなんの用もなく会いに来ることはない。
それが分かっていたから、僕は虹羽さんを促すように目に入った公園のベンチに座る。
「どうかしましたか」
「みなと君、理想を叶えるために信念があるのだとしたら、夢を壊すために必要なものはなんなんだろうね」
「何ですか急に。深夜テンションで思いついたポエムを披露されてイタタってなる身にもなってほしいですね」
「ははは、真面目な話さ」
あっさりと、何気なく言う。
いつもならノリツッコミでもしてくれて、自虐を披露してくれる彼が、あまりにも平坦に。
何かおかしいとも思ったし、いつもと違うとも。
彼の抑揚の薄い雰囲気が、どこか真に迫るものだった。
「……夢を壊すために必要なもの、でしたっけ?」
「そ」
「……夢を、忘れることじゃないですかね」
「そうか。なるほど君らしい答えだ。でも君は、忘れたらだめだよ」
「……僕の夢は、忘れられるぐらいにはあっさりしてますけどね」
「いいじゃないか、あっさりした夢。ドデカすぎて叶えられない夢よりマシじゃない?」
「……そうかもしれませんね」
どういう意図をもった会話なのか、よくわからなかった。
彼が何を知ろうとしているのか、何を聞こうとしているのか。
でもそれは、分からなくていいことなのかもしれない。
知らないなら、知らないでいい。
分からないなら、分からなくていい。
覚えられないのなら、忘れていい。
大人の都合は、子供の僕にはすべてを理解することはできないが。
できないなりに、大人の事情があるのだと知っておくことぐらいはできるはずだ。
「君の大切な人が行方不明になった時、それを知っているのが君だけだったのだとしたら、迷いなく君は探すだろう」
「当たり前です」
「だが君が、その人を忘れてしまったのなら探すことも難しくなる。だからといって対策ができるものでもない。忘却は喪失より恐ろしいよね、甘くてむごいものだ。忘れてしまえば楽なのに、君は楽を取ろうとしない」
「…………」
「責任も無くなる。誰からも忘れられる。死んだことにさえ気づかれない。だからもし、行方不明だと言われている老人がいたとして、老い先が短い人間だったのだとしたら、それが他殺だったのか老衰だったのか調べる価値も無くなり果てる」
責めるような口調でもない。
虹羽さんの声色は、僕を気遣うように和らいでいるのに、心臓に重い鎖がのしかかってくる感覚に襲われる。
「誰の責任だとか、誰の罪だとか、誰が償うべきだとか、みんなみーんな主観的意見だ。もとより求められるものでも、求めるものでもない。自分を納得させる都合のいい理由付けであって、正しいとか間違っているとかはあっても、必要な物ではないのさ、罪と罰っていうのは」
「……必要ない、ですか?」
「そうさ。君が抱えようとした罰は、君一人でしか抱えられない。誰も助けてあげられない。そんな罪を、たった一人で償い続けて、いったい誰への贖罪になるんだい?」
「それは……」
「君自身のためだろう? 自責を少しでも軽くしたいから、罪を償おうとする。起こした行動の責任を取ろうと、躍起になる。なあみなと君、それはどうしようもないぐらい順序が逆になっていると思わないかい? 君の幸せのためではなく、他人の不幸を救うために罪をかぶっているだなんてさ。請け負った仕事の責任があるとか思ってるんだろうけど、罪と罰とは違うんだぜ?」
この人は、どこまで分かっているのだろう。
篠桐宗司が目の前でグロウに殺されたことを。
僕があの老人を見捨てたのも同然であった事件すらも、彼は知り得ているのだろうか。
「罪をなくすために新しい罪をかぶることになる。罰を消し去るために新しい罰で上書きする。果てしない無限ループ、終わらない輪廻。やめとけよホントに。僕は君が暗黒面に堕ちる二次創作なんて見たくないぜ?」
「……僕はもう、堕天してるようなものですし」
「はは、いやいやそんなことはない。君は今どん底にいるんだ。これから這い上がって、人間に戻るなんてストーリーを辿れば、それは輝かしい英雄譚じゃあないか」
「……そんな楽にいきませんよ、人生なんて」
「だからね、夢を忘れるなって言いたかったのさ」
と言いながら、虹羽さんはスーツの内ポケットに手を入れて何かを取り出した。
それを僕へ差し出しつつ、にこりと笑う。
「お疲れ様、よく頑張ってくれたね」
彼の手には、暖かみのある色をした和紙の封筒があった。
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