「ヒーロー、目は覚めた?」
「あ、うぁ? あれ、姉さん?」
僕の体は姉さんに抱きつくように支えられていた。
「目覚ましにはちょっと刺激が強かったかしら、まあ傷は無いようだから問題ないわよね?」
「……僕、姉さんにとんでもないことをしてしまった気がするんだけど……」
「ふむ、一応記憶はあるようだから加点してあげましょう。いいみなと? 神の力を借りるっていうのはそういうことよ。彼らの価値観が私たちと一緒なわけないの。だから、ちゃんとコントロールできるようになりなさい。それまでは、私が面倒見てあげるから」
言いながら彼女は手で僕の顎を癒すように撫でてくる。
叱り終えたあとに慰める母親のようで、どこかくすぐったい。
「ぎ、ぎ、ぎぎぎ銀の殺し屋だとぉっ!?」
奴隷商人は、この世の終わりを見たような恐怖で倒れ込んだ。
本当に、冗談抜きで姉さんは恐れられる存在なんだな。
家では優しく笑ってくれる人なんだけどなぁ。
「くそっ! ここまでうまくいってたのに! おい巨人! 雇い主であるワタシを守らんか!」
「……おまえ、やくそく、やぶった」
下水路に深く響くノスリの声には、静かな怒りが混じっている。
「すぐこうかんって、いった。それをやぶったおまえ、てきだ」
「な、な、なにをいうだぁああぁぁ! この低能の木偶人形がっ! ワタシを怒らせたこと、後悔させてやる!」
商人は今にも噴出しそうな怒りを露わにしながら、ポケットから赤色のビー玉を取り出した。
怒りに任せて地面に叩きつけたビー玉が割れると、黒いもやがあたりを舞い、その奥からずしんと、大地に響く巨大な着地音が一度、鳴り響いた。
それは、聞いたことのある音だった。
人間の体格の数倍はある、巨人の顕現だ。
「おい! 女巨人! ワタシを守れ!」
ぐらぐらと、現れた巨人の呼吸だけで下水路内に反響した振動がめぐる。
巨人は両手を構えて今にも襲い掛かるような体勢で、こちらを見据えていた。
「あれ! おれのなかま!」
なに?
上半身から羽織るようにボロ布しか着ておらず、下から覗けばいくらでもその裸体があらわになってしまいそうな、それでいてノスリに比べると肌の質がどこか人に近い、肌色の巨人が?
ノスリが助けたい女の子なのか。
けど、あれはどう見たって……。
「まずいわね、あれは操られているわ」
「……やっぱり?」
「呪術がかかっているように見えるわ。それに……ひどいわね、首にかかっているのは、自壊用の首輪よ。あれが起動したら、彼女は死んでしまうわ」
「それは、だめだ!」
ノスリは僕らに向かって声を上げる。
「あのこを、たすけないと、だめだ!」
「……そのとおりだよ、ノスリ。呪術を解いて、首輪も壊して、彼女を正気に戻さないと」
「でも、おれには……ときかたが、わからない……」
「大丈夫、僕らに任せて。そのために、君と協力関係を結んだのだから」
ただ単に正気に戻すのなら、さっき僕が姉さんからやられたように頭に衝撃でも与えたらいいのか?
いや、巨人がどれくらい頑丈なのかも分からない。
僕と同じように頑丈なのかもしれないが、力加減を誤って女の子の顔に傷は付けたくない。
となれば。
「姉さん、呪術はどうやって解けるの?」
「呪術を行使しているやつを殺すか、術を上書きするか、ね」
「この場合、あの商人が主人になるのかな。じゃあ、首輪は? 自壊用ってことは、多分任意のタイミングで壊せるんだよね」
「そう、爆発で首を消し飛ばすわ。それも付けたやつが鍵を持ってるはずよ」
「なるほど……どちらにせよ、奴隷商人をやらないとか……」
女巨人の後ろからこちらを睨んでくる商人に狙いを定める。
「みなと、ステイ」
「僕、犬じゃないよ」
「なら待って聞きなさい。商人は、自分が狙われたらやけになって、首輪の起爆スイッチを押すかもしれない。だから、それを奪いなさい」
「……え、僕が?」
「起爆スイッチとなるものは、開錠する鍵にもなっているわ。あの女の子は、私とノスリが止める。手加減を知らないみなとには、手加減する必要のない相手をやってもらうわ。ノスリ!」
「わかった! おれ、あのこをとめるぞ!」
たった一つの呼びかけで、ふたりは意思疎通を済ませていた。
すごいな、一度やり合った相手とは、呼吸が合うようになるのだろうか。
女巨人が唸り声をあげて、獲物を見つけたゾンビのように突進してくる。
「とまれえぇ!」
ノスリが素手で巨体を受け止め、踏ん張った足元にばりばりとひびが走り、大地が揺れる。
拘束を解こうと暴れまわり水路で地鳴りが響き渡るが、銀色の火花が散るたびに女巨人は動きを阻害され、地鳴りが収まる。
二人になら、巨人の女の子は任せて大丈夫そうだ。
「あんた」
自分を守る巨人が拘束され、盾が無くなった恐怖でおびえながらこちらをにらむ、奴隷商人。
その手から、炎がゆらめいた。
「死ねっ!」
「死ぬかよ」
陽炎をまといながら投げられたボールのような火の玉を、手の甲ではじく。
熱さすら感じなかった。
僕の属性が水系だからだろうか。
「ひとつ、聞かせてくれ。なんであんたは、あの女巨人をすぐこの場に出せるのに、明日交換するって言ったんだ?」
「……はあ?」
馬鹿を見るように一瞥したあと、うす汚い笑みを浮かべた。
「あんな低脳でクソみたいな知恵しか持たない巨人の言うことなんて、聞くわけないだろうが?」
「……つまり、明日森で引き渡すっていうのも」
「嘘に決まってるだろう? なんで律義に守らんといかんのだ。あの女巨人はみすぼらしい姿だが、体だけは一級品だ。そういうのを好むやつらに高値で売れるのだ、手放すわけがないだろう?」
煮えたぎる。
姉さんのように、できるかぎり冷然に、沈着に物事をとらえようとした。
この奴隷商人にも何かしらの過去があり、たどってきた人生があり、そのうえでこんな非道なことをしてしまっているのだろうと。
同情してやりたかったが。
こいつは、無理だ。
「……あんた、まずそうだな」
「は?」
「ぶくぶく太ってて、脂が乗っておいしそうとか思ったけど、どんな工程で作られたのかを知ってしまったから、食ってもきっと後味の悪さでゲロってしまう気がする」
「……お、おまえ、人間なのか……?」
「さぁ?」
依然地鳴りが響き渡る下水路を、軽く蹴る。
「少なくとも、あんたに教える義理はないよ」
音すら遅れてくる速さのまま肉薄し、脂で肥えた薄汚い腹を殴りつけた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!