男はさらりと言いながら、誰も飲まずにストローの刺さっていないコーラを手元に寄せて、潰さないように優しく握り込む。
「俺みたいなオヤジには、ファーストフードっていうのはどうもガキ臭くて嫌いだった。けどあいつは、ハンバーガーのソースピクルス抜きが大好きだった。よくわからんものを好む息子に呆れていたんだが、まあ、結局さ」
特殊な注文で中身を抜かれたハンバーガーの包み紙を、広げた。
そしてかぶりつく。
「俺でも食えるようなハンバーガーを、考えてくれてたんだよ」
もくもくと、食べ進める男。
それ以外の倍チーズバーガーやポテトには、まったく手を出していない。
「なあ、悪いけど持ち帰り用の袋をふたつ、もらってもいいか?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
手早くお辞儀をしたあと、すぐカウンターへ戻ったロゼさんは、紙袋と手提げ袋を二つずつ持ってくる。
「こちらはドリンクホルダーです、どうぞお使いください」
「ああ」
「ストローとナプキンも新しいのをお入れしてます。お持ち帰りの際はお気を付けください」
「ああ」
淡々と返事をしながら、男は封の開いていないハンバーガーとポテトを袋に詰めていく。
手提げ袋に全てを入れ終えると、席をたった。
ロゼさんは出入り口となる扉まで付き添って、ドアを支えて見送りをする。
「この度は申し訳ございませんでした。またのご来店をお待ちしております」
「……本気で言ってるのか? こんなクレーマーにまた来てほしいのか?」
「烏龍茶は、お年を召されていても飲みやすくておすすめですよ」
「……ははっ。あんた、商売上手だな」
憑き物が落ちたように苦笑を浮かべながら、男は言った。
今まで止まっていた時間から、抜け出したように。
「迷惑かけて悪かった。あんたのことも悪く言ってすまなかった。もう来ねえからよ」
「でしたら、うーばー、デリバリーもございますよ」
「……本当に商売上手だな、あんた」
ばつが悪そうに後ろ髪をかきながら、男はすたすたと帰っていった。
カウンターの奥からは、他の店員たちが小さな拍手をロゼさんに送っている。
戻ったロゼさんは、英雄のように店の仲間に囲まれて歓声を浴びていた。
「……僕ら、まったく心配いらないね」
「そ、そうね……」
戸牙子と視線が合い、先ほど僕らが抱いていた殺気が嘘のように笑い合う。
「のお? あれが年の項というやつじゃ。お前さんらも参考にしないといかんのぉ?」
ミズチはちゅうちゅうとキャラメルシェイクを飲んで、その濃厚な甘さに舌鼓をうっている。
ハラハラしていたのは店員さんたちだろうけれど、僕らは男を懲らしめることしか考えていなかった。
あんなに穏便に、そして優雅に場を治める方法もあるものだな、非常に勉強になる。
「……ロゼさんは最初から男が怒ってる理由を見抜いていたのかな?」
「それは聞いてみんと分からんが、まあ持ち前の魅了でそれとなく察したんじゃろ」
「え、魅了術ってそんな使い方ができるの?」
「心に入り込む技というのは、どれも似た本質を持っておる。ロゼはそれが『魅了』として働いておるだけで、それが『洗脳』や『信仰』になるやつもいるということじゃ。ほら、わしが使ってた『他心通』も本質はあやつの魅了と同じじゃぞ」
相手の精神を読む時の、アプローチの仕方によって技の種類が変わる、ということらしい。
ロゼさんは「歩み寄って、信頼させる」という働き方をしている。僕だけでなく、周りで対応を見ていたギャラリーが、ロゼさんの心意気に魅了されて、惚れ込んでしまっている。
それは紛れもなく、王のカリスマなのだと。
「わしにはあんなやり方無理じゃな。きっとみなとや戸牙子のように、ぷちっと潰していたやもしれん」
「人のこと言えないじゃん!」
「だからこそ学びを得られるんじゃよ。全く同じ行動をする者同士で寄ってたかれば、結果は火を見るより明らかじゃし」
冷静で客観的な分析をしながらも、自分ならどうするかも見切った上で、ミズチはロゼさんに任せきった。
なんというか、やっぱりこういう考え方は人間らしくない気がする。
いや、神様だったわ。
「ごちそうさまじゃ。いやはやしかし、聞いておったかみなと!? 倍々チーズバーガーはチーズでかさ増ししていることを!」
「え、うん」
「これはまた来ないといかんのお! 今度は倍チーズバーガーを頼まなくては!」
「お前が『学びを得た』のってそこかよ!」
くだらねえ学びだよ。何年神様やってるんだ。
人間の浅ましい知恵といたずらに引っかかってるじゃないか。威厳のかけらもないわ。
「はあ……とりあえず要件は済んだし、僕らはもう帰るよ。この袋は預かるから、また結果が分かったら連絡するね」
「あ、うん。お願いします」
戸牙子は何やら思考にふけっていたようで、気のない返事をされる。
上の空な戸牙子を見ていたら、僕の頭に、見えない声が入り込んだ。
声、と例えるには少し毛色が違うが。
とにかく透明で、澄んだ色をしていて、ガラスみたく簡単に割れそうな、音。
意思持つ音。意思が波打つ音。
水面に起こる波紋は、僕に何かを訴えてきた。
――~~~~~~~――
不思議な感覚だった。
ミズチが脳内で言ってきたわけでもなく、自分の無意識から作り出されたものでもない、波音。
なのにその音が、どことなく悪い知らせと似たざわめきをしていたから、僕はもう一度戸牙子に向かい直って眼をあわせる。
「戸牙子、言いたいことでもあった?」
「……えっ。いや……ええっと、なんでも」
「そうか。まあなんかあったら電話でもして。僕が無理ならミズチに行かせる」
ぺしぺしと幼女の手が腕を叩いてくるが、気にしない。
そんな仕草が面白かったのか、戸牙子はへらりと笑う。
「わざわざここまで来てくれてありがとうね、気をつけて」
「そっちこそ、未成年なんだし二十二時までには帰りなよ」
「あはは」
吸血鬼に人間の法律を押しつけるのもおかしい話だが。
彼女はどこまでいっても、どこから見ても、ヒューマンなのだから。
ミズチと一緒に店を出ると、彼女は腕に組み付いてきた。
周りからは兄妹だと思われるはずだろう。けっしてロリコンではないからな、僕は。
「お前さん、最後のあれはどうしたんじゃ」
「え、最後って?」
「戸牙子の心を読んでたじゃろうが」
……そんなつもりないけれど。
「ほー、無意識……というより自覚をしないことが条件なのかの。まあ真相は闇の中じゃな」
「ちょっと待って、そこで話題をにごされると気になって仕方ないんだけども」
「ほら、戸牙子の心のざわめきを、敏感に察知していたじゃろ? 何を考えているかまでは読み取れておらんかったようじゃが、ふうむ、これはお手本役をやってくれたロゼに授業料を払わんといけないのぉ」
心のざわめきを、読み取った……?
そんなの、直感や勘が鋭い、で済むようなお話ではないのだろうか。
「うんにゃ、さっきのあれは心に入り込む技じゃった。いや、ちと語弊があるわな。『技』は行使するものを指すから、みなとのは『第六感』じゃろうな。はっきり言うぞ、それはわしの『他心通』やロゼの『魅了』のようにずけずけと入り込む技とは比べものにならないほど、優しい力じゃ」
「優しい……? 人の心に入り込むことが?」
「他人の出すサインに気づく、というのは人間の持つ五感だけではどうしようもない時がある。だが、第六感は五感すべてを完全に使いこなした上で相手と自身を冷静淡々と俯瞰し、五感の精度を極限まで高めながら、それでも捉えきれずに見定められなかった世界を見通す能力。つまり『第三の眼』じゃ。おまえさんはそれを、『波打つ音』として心に宿しているようじゃ」
「や、やばい……ミズチが何を言ってるのかさっぱり分からない……」
マジで今のはもう一度聞き返しても理解できる気がしない。
専門用語も多いし、長いし。
「ミズチ、三行でおねがい」
「台詞で三行は改行含んじゃってちょっとスペース取るじゃろ。ま、句点で区切るか」
こほんと咳払いしたミズチが、(ない)胸を張って誇らしげに、高らかに言う。
「みなとは他人のSOSに気づきやすい。それは無意識でやっている。だから天然たらし」
「最後のは罵倒だろ! 褒め言葉の中にちゃっかり混ぜてんじゃないよ! 持ってくるならせめて最初にしてよね! 下げてから上げてよ!」
かかかと凄惨に笑い、ミズチは腕を絡めて寄り添ってくる。
まあ、褒められたことを内心密かに喜びつつ、僕は妹で娘のような幼女と一緒に帰路を共にした。
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